姫路市立美術館の庭園で中谷芙二子の「霧の彫刻」の新作《白い風景―原初の地球》が公開されている。
中谷芙二子は1933年北海道札幌市生まれで、世界で初めて人工の雪の結晶をつくった実験物理学者の中谷宇吉郎を父に持つ。57年、アメリカ・イリノイ州のノースウェスタン大学美術科を卒業後、パリ、マドリードで絵画を学ぶ。60年に帰国し、62年に東京画廊で日本初個展を開催。66年、芸術と技術の協働を推進する実験グループ「E. A. T.」に参加し、その活動の一環として大阪万博ペプシ館(1970)にて、人工の霧を大量に発生させる「霧の彫刻」を初めて発表した。
70年代は、ヴィデオ・アートを軸に活動したが、80年代から「霧の彫刻」の発表を本格化し、世界各地でアートとテクノロジーを融合させたインスタレーションやパフォーマンスを展開。その作品は80点を超えており、その長年の功績を称えて2022年に文化功労賞、23年にはウルフ芸術賞を受賞している。
姫路市立美術館は「オールひめじ・アーツ&ライフプロジェクト」の一環として、2022〜24年度の3ヵ年にわたり、各年度において中谷の彫刻を展示する企画を実施しており、本作はその2作目となる。
本作の霧は庭園の中央部にあるアントワーヌ・ブールデル《モントーバンの戦士》(1898-1900)を囲うように設置された噴射機より噴霧される。彫刻が見えなくなるほどの濃さで滞留した霧は、やがて風によって庭園に広がっていく。海からほど近い同館では季節によって風の向きが変わり、「霧の彫刻」のかたちも自在に変化していくという。
庭園に広がった霧の向こうからは、明治時代末の建築である旧陸軍第10師団の兵器庫、被服庫を活用した、姫路市立美術館の歴史的な建築が顔をのぞかせる。さらにその屋根の向こうには、世界文化遺産・姫路城の威容を望むことができる。タイトルには「原初の地球」とあるが、本作はこうした作品を取り囲む歴史的建造物が建つよりはるか前、この地にあった原初的な風景を創出しているようにも感じられる。
昨年の中谷の第1作《白鷺が飛ぶ》では、庭園内に棚状のやぐらをつくり、高い位置に噴霧器を設置して霧が降りてくるような演出がされていたが、今年は霧が地を這うように設置されている。
同館館長の不動美里は、この3年におよぶ中谷のプロジェクトについて次のように語った。「極めて多忙な中谷氏にこれほどの長い時間をかけてひとつの場所で作品制作に取り組んでいただけるのは稀有なケースで、世界情勢に鋭敏に反応し、地球規模で思索する作家・中谷芙二子の現在形を感じられる展示だと自負している。来年の開催を経て、姫路市立美術館の『霧の彫刻』のひとつの完成を示すことができるだろうが、グローバルとローカルの両方の視点から長い目で中谷氏の創作を見つめていきたい」。
中谷の「霧の彫刻」は、長野県立美術館の《霧の彫刻 #47610-Dynamic Earth Series Ⅰ-》(2021)に代表されるコミッションワークによる恒久的な設置のほか、京都・北河原団地の跡地で高谷史郎と協働した「霧の街のクロノトープ」(2020)のような短期的な展覧会など、様々な形態で展開されてきた。しかし、この姫路市立美術館の「霧の彫刻」はそのいずれとも異なると言っていいだろう。長期的な視野に立ち、作家の思考の変化や現場からのフィードバックを経ながら3年の歳月をかけて変わっていくこの試みは、まさにいまの時代を生きる作家としての中谷の姿勢が現れたものだ。
最後に、中谷の本作についてのステートメントの一部を引用したい。
霧の中で遊ぶ子どもたちが見え隠れする…。
子どもたちが生まれたての地球のように自由奔放に生きていけるような夢を描きたい。
──中谷芙二子《白い風景―原初の地球》プレスリリースより
取材中も、街路や公園からそのまま入ることができる庭園で立ち上がる霧の中で、歓声を上げる子供たちの姿を見ることができた。中谷が歴史ある土地で志向する「原初」。その意味するところを、現地で探してみてはいかがだろうか。