「霧のアーティスト」として世界的に活躍する中谷芙二子。そしてダムタイプの中心的メンバーであり、ソロのアーティストとしても30年以上にわたり国際的に活動してきた高谷史郎。このふたりによる協同展覧会「霧の街のクロノトープ」が、12月5日に京都駅東南部(東九条)の北河原団地跡地で始まった。
中谷は1933年札幌生まれ。アメリカのノースウェスタン大学美術科を卒業後、初期の絵画制作を経て、芸術と技術の協働を推進する実験グループ「E.A.T」に参加。その活動の一環として1970年の大阪万博ペプシ館で、初めて人工霧による「霧の彫刻」を発表した。以降、純粋な水霧を用いた環境彫刻、インスタレーション、パフォーマンスなど、人と自然を取り結ぶメディアとしての霧作品群を、グッゲンハイム・ビルバオやパリの共和国広場、ロンドンのテート・モダンなど世界各地で展開している。
いっぽうの高谷は1963年生まれ。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン科卒業。84年にダムタイプの創設メンバーとして活動に参加し、98年からはダムタイプの活動と並行して個人でも制作を開始しており、中谷芙二子とも度々コラボレーションを行ってきた。
今回ふたりが共演する「霧の街のクロノトープ」は、構想2年を経て実現したもの。会場がある東九条地域は戦前、韓国や朝鮮の人々が移り住んだり、住所がない「0番地」と表現されたりと、様々な歴史背景を持つ土地だ。そしてこの空き地にあった北河原団地も、60年代にバラックから人々を立ち退かせるために建てられた団地だった。このプロジェクトのプログラムディレクターを務める京都市立芸術大学教授・高橋悟はこの場所で作品を展開する意義について、こう語る。
「紋切り型で貧困や差別があったと要約するのではなく、例えば『0番地』にはある種の自由があったかもしれない。その自由を回収することで、先の見えない現代における新しい生き方のヒントにしたいと考えたのです。作品には自由に出入りできます。この場所は、放置された空き地でもなく、管理が徹底された自由のない公園でもない、その中間のようなアナーキーな空間としても発信したかった」。
「霧の街のクロノトープ」では、高谷がフレームと照明を手がけ、そこに設置されたノズルから中谷の霧が全体に広がっていく。
高谷と中谷はたびたび共同制作を行っているが、今回の作品について高谷は「イメージ以上のものができた」と頬を緩める。「中谷さんのアートに対する姿勢は、僕がメディア・アートを考えるうえでの指標。霧の作品はまさしくメディア・アートであって、コンセプチュアルな意味で核になるもの。いつも見ると感動してしまいます」。
いっぽうの中谷は「風との勝負ですから難しかったですね」としつつ、こう語りかけた。「苦労が楽しかったと思えるくらい、結果的には報われました。みなさん自由に体験してもらえたら」。