1989年5月、日本初の公立現代美術館として開館した広島市現代美術館。同館が、開館以来初となる大規模改修工事を終えた。
広島市現代美術館の設計は、日本を代表する建築家・黒川紀章だ。巨大な円形の広場が特徴的な建物は、広島市内を見渡す比治山の丘陵、桜の名所として親しまれる緑豊かな公園に位置しており、長く市民に親しまれている。
しかしながら、竣工から30年以上が経過したことで漏水など経年劣化による不具合が発生。こうした経年劣化した部分の機能回復を計るための大規模修繕が2年以上にわたり行われてきた。
何がどう変わった?
今回のリニューアルの注目点をまとめてみよう。まず美術館の根幹に関わる展示室では、照明などのインフラ機能を強化。また上下2フロアの展示室をつなぐエレベーターも新設され、アクセシビリティは格段に向上している。
美術館を訪れるうえで重視される、カフェをはじめとする機能も真新しい。まず、エントランス横にはガラス張りの多目的スペースとカフェが増築。自然光あふれる空間で、鑑賞前後にリラックスした時間を過ごせそうだ。カフェからは、屋外に設置されたフェルナンド・ボテロの彫刻作品を眺めることもできる。
そしてこれまでカフェがあったスぺ―スにはショップが移設。ショップのあった場所には授乳室や多目的トイレが新たに設けられた。
今回のリニューアルでは、サインやピクトグラムにもぜひ注目してほしい。
同館は改修工事期間中に「新生タイポ・プロジェクト」として、広島市内各所や館にまつわる資料から様々なフォントを調査。それらをもとに、チケットカウンターやショップ、カフェなど館内7ヶ所のサインを新たに生み出した。それぞれのサインが個性を持ち、アクティブな印象を与える。ちなみにコインロッカーの番号も様々な場所で発見された数字を引用したユニークなものだ。
館内の案内に欠かせないピクトグラムは、広島市現代美術館の建物の形の要素をもとに構成された。柔らかな曲線が優しい印象を与えている。またトイレのピクトグラムでは男女の色分けをやめ、ジェンダーニュートラルとなるように意図されている点も評価できる。
様々な「前/後」に着目した特別展「Before/After」
美術館の改修工事によって生じた様々な変化。これらを足がかりにしたリニューアルオープン記念展が、全館を使用した特別展「Before/After」だ。この展示では様々なキーワードを館内に散らばらせ、様々な「前」と「後」の現象や状況に着目したものとなっている。
まず注目したいのが展示の冒頭を飾るセクションだ。ここに並ぶのは作品ではない。美術館開設準備室時代の古い看板や改修工事で使用された図面や記録写真、LED化のため役目を終えた照明器具や古いエレベーターの部品、サイン、取り替えとなった大理石の欠片など、工事現場から救いあげられたものの数々だ。本来であれば廃棄されそうなものを歴史を語る資料として展示する。これこそがミュージアムの重要な姿勢だろう。
では作品を見ていこう。本展では45組による約100点もの作品が並ぶが、ここではリニューアルに向けて新作を制作した作家のなかから、石内都、竹村京、田村友一郎、毒山凡太朗、横山奈美、和田礼治郎らを中心に紹介したい。
あるひとつの着想源から長大なストーリーを紡ぎ出す田村友一郎は、2019年に行われた同館30周年記念展に参加した経験を持つ。田村は当時、広島市現代美術館の開館記念日(1989年5月3日)に撮影された1枚の写真を起点に、インスタレーション《ずるい彼》を構成した。いまは撤去された館内公衆電話で電話をかける女性たちの姿と、同日に放送されたテレビ番組「夜のヒットスタジオ」で歌われた少年隊の「デカメロン伝説」と工藤静香の「嵐の素顔」の歌詞。これらを組み合わせ、電話で交わされていたかもしれない会話を生み出した田村。今回はこれをもとに、1989年の痕跡を2023年を接続させる作品《ガラスの花嫁》へと拡張させている。
竹村京は家族や記録、失われたものの存在をテーマにしたインスタレーションや、壊れた陶器の破損部分を絹糸で縫い直す「修復」シリーズで知られる作家だ。本展では美術館の改修工事で意図せず壊れてしまった回廊のガラスや、役割を終えた品々を用いた新作を見せる。
ネオンを成立させている背後のフレームや配線も同等に描いた油彩画の「ネオン」シリーズで注目を集める横山奈美。本展では、様々な人が書いた手書きの文字「history」をもとに描いた新作「Shape of Your Words」シリーズを発表した。歴史とは大きな流れであるとともに、誰もが固有の歴史を持つという、ごく当たり前のことに気付かされる作品群だ。
広島市立大学と同大学院で学んだ和田礼治郎は、様々な文化で象徴的な役割を持つ素材を作品に使用することで知られている。和田は展示室とつながる外部空間「光庭」を舞台に、リンゴやブドウ、ザクロなどの果物を素材としたインスタレーション《FORBIDDEN FRUIT》を見せる。「楽園」を象徴するような果物たちだが、それらもやがては朽ちていく。楽園とその後を想起させる見事な作品だ。
2007年から、広島平和記念資料館に収蔵される被爆者たちの衣服などを撮影する「ひろしま」シリーズに取り組んできた石内都。石内は2019年の台風による川崎市市民ミュージアムの浸水被害で自身の作品も被災するという経験をしている。そうしてダメージを受けた自身の作品プリントを被写体とした「The Drowned」シリーズが、未発表の新作を交えて並ぶ。
東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故によって、故郷・福島が一変したことをきっかけに作品制作を開始した毒山凡太朗。近年、精力的にリサーチベースの作品を展開する毒山は今回、広島でのリサーチを経て、「フクシマ」と「ヒロシマ」の考察を促す映像インスタレーションを館内2ヶ所で見せている。
シリン・ネシャットと田中功起の作品も、とくに注目すべきものとして紹介したい。
第6回ヒロシマ賞受賞作家であるイラン出身のシリン・ネシャット。その「ランド・オブ・ドリームズ」は、ニューメキシコで撮影された映像と一連のポートレイトで構成された作品だ。膨大なポートレートはアメリカという国を投影したポートレートであり、それはそのままアメリカの多様性を示している。いっぽうイランの古典的な文献から引用された夢の解釈の言葉を作品に盛り込むことで、アメリカとイランの緊張関係も暗に示されている。なおこの作品は、広島市現代美術館にとってじつに16年ぶりの購入作品である。
広島市現代美術館は8チャンネルの映像と、そこに登場する日用品で構成される田中功起の映像インスタレーション《everything is everything》を所蔵している。しかしそこにはインストラクション(指示書)がなく、作品の一部であるプラスチック製品の劣化が課題となっていたという。こうした状況を受けた《拡張されたアーカイブ/everything is everythingの場合》は、課題を乗り越えて作品をこの先どのように保存していくのかを作家と学芸員たちがともに考えるという、現代美術館ならではのプロジェクトだ。
今回のリニューアルオープンでは、3月17日に盛大なオープニングセレモニーが行われた。そのなかで、広島市の松井一實市長は、広島市現代美術館を「広島のいまを実感できる新たな拠点」としつつ、次のように美術館への期待を寄せる。
「都市における美術館は、その都市の品格を示すものであり、人々の想像力や感性を醸成する機能を持つ。国際平和都市である広島では、文化芸術を通じて世界に平和を願う気持ちを伝え、共感を生み出していく。多くの人から愛される美術館となるように努力したい」。
また寺口淳治館長は、「当館は平和文化都市の一役を担う施設。その軸をぶらさないように活動を続けていく」と意気込みを見せた。
美術作品と向き合うこととはどういうことか。寺口淳治館長の言葉を借りるならば、それは「自分自身と向き合うこと」だ。「Before/After」と題されたこの展示は、数多くの作品を通して、それぞれの来館者に来る「前」と「後」でなんらかの変化をおよぼすことだろう。