久保寛子と水野俊紀は、2013年の『広島!!!!!』展を機に出会い結婚。現在は各々がアーティストとして活動しながら、2017年から広島で「Alternative Space CORE」を営んでいる。
本記事では、2021年10月号の特集「アートの価値の解剖学」の「多様な価値軸で生きる作家の『美術』の担い方」(監修=原田裕規)で行われた取材をもとに、久保と水野のロングインタビューを掲載。COREを中心に形成されてきたコミュニティや、「アート界」にとらわれない幸せについての考え方を語っている。
作家夫婦がつくる「豊かさ」のかたち
二人が広島にいる理由
──お二人はどのように出会われたのでしょうか。
水野 2013年に、僕がメンバーのChim↑Pomが広島で開催した『広島!!!!!』展がきっかけです。このとき手伝ってくれる人が必要で、広島市内の「gallery G」の方に人探しを協力してもらっていたのですが、広島市立大学の先生まで話が行き、当時TAとして大学で働いていた妻が学生をまとめる立場として教授から指名されたんです。Chim↑Pom側では僕がメンバーと学生をつなぐ役割だったので、やりとりをするようになりました。
久保 Chim↑Pomのことは学生時代から知っていて、尊敬の念もあったし、ぜひ手伝いたいということで率先してやりました。長いこと一緒に過ごして仲良くなりました。
──2016年に結婚されて、水野さんは東京から広島へ移住されます。現在は久保さんのご実家の運送会社で働かれているそうですね。
水野 月曜から土曜まで、毎日がっつり12時間働いてます。
──Chim↑Pomは当時すでに有名な存在でしたが、移住に不安はありませんでしたか。
水野 結婚がどういうものかを考えたときに、日本においては家と家の結婚という意味合いも強いじゃないですか。少なくとも寛子の実家は昔ながらの考えのある家なので、その世界に自分が飛び込むなら、家業に入らないといけないかな、と。まあ、最初は軽い気持ちでした。玉の輿みたいな。社長になって悠々自適だ、というのも少し……(笑)。
──(笑)。ふたりで東京に住むという選択肢もあったんですか?
久保 ありましたけど、あまり考えませんでした。
水野 東京だと、久保寛子としての作家活動が大変になるな、と。単純に、妻の作品はでかいんですけど、実家は運送業ですし、そのメリットは大きかった。
久保 倉庫の一角を借りて作品を保管したり、輸送は結構親に頼っています。大学で働いていてそのコミュニティにも入っていたので、広島を離れるメリットがなかった。あと、水野俊紀が東京に疲弊している感じもあって(笑)。
水野 そこを救い出してくれたから結婚を決めたところもあった(笑)。
久保 Chim↑Pomのほかのメンバーも心配していて、「水野くんがやばいからなんとかしてくれないか」と相談も受けていたんです。だったら、脱退するわけでもないし、広島に住んだら空気が変わるのではないか、と。メンバーも移住を受け入れてくれました。
──実際に移られてみてどうでしたか。
水野 メンタル的なことって、肉体とリンクすると思う。いまは朝5時に起きて、夕方まで肉体労働して、帰って飯食って寝るという生活をしているので、病めないですよ。
働き詰めの毎日に「オルタナティブスペース」を
──お二人は2017年から、旧「原爆スラム」の場所に建ち、メタボリズム建築の傑作としても知られる「市営基町高層アパート」の一角で、「Alternative Space CORE」というスペースを運営されています。オープンのきっかけはなんだったのでしょうか。