Museum from Home:広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」

新型コロナウイルスの影響で、会期途中で閉幕した展覧会や臨時休館となってしまった展覧会などの展示風景を紹介する「Museum from Home」。第3回は、開幕日が未定の広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」をご紹介します。

広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)
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 「式場隆三郎:脳室反射鏡」は、精神科医でありながら、民藝運動、ゴッホ論、精神病理学入門、性教育書にいたるまでの健筆をふるい、約200冊の著書を残した式場隆三郎(1898~1965)の足跡をたどる展覧会だ。

 式場隆三郎は新潟県五泉市生まれ。新潟医学専門学校(現・新潟大学医学部)で学び、精神科医として医務につきながらも、大正期の文化環境に触れながら、多彩な文化活動を展開した。民藝運動との関わりも深く、学生時代に柳宗悦を知った式場は、生涯にわたって「私の芸術に関する恩師」と仰いだ。芹沢銈介、バーナード・リーチ、富本憲吉らとも親交を結び、柳宗悦の木喰仏の全国調査にも協力している。

 また、式場の功績として語られるのが、フィンセント・ファン・ゴッホの日本への紹介だ。同展では、戦後に式場が全国巡回させたゴッホの複製画などを紹介。これらは、多くの日本人が初めて見たゴッホ作品であり、「炎の人」としてのゴッホ像を決定づけるものとなった。

 ほかにも式場は、山下清のプロモーターを務め、初期の草間彌生を支援している。一方で『人妻の教養』『結婚の饗宴』『独身者の性生活』といった著作でジャーナリズムの寵児となり、出版社やホテルの経営にも関わった。

 同展はその副題を、可視(科学)と不可視(芸術)の両極を往還したその特異な個性を象徴する言葉として、著書『脳室反射鏡』(1939年)から採る。人間とその生活への深い愛着があふれる式場の多彩な足跡を、約200点の作品・資料を通じてたどる展覧会だ。

広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)
広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)
広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)
広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)
広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)
広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)
広島市現代美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展示風景より 写真=藤本遥己(ライフマーケット)