大分県宇佐市の酒造メーカー・三和酒類株式会社が販売するロングセラー商品「いいちこ」。そのアートディレクションを長年手がけてきた河北秀也の個展「イメージの力 河北秀也のiichiko design」がスタートした。会期は3月29日まで。
河北は1947年福岡県久留米市出身。いいちこのボトルを風景に配置したポスターをはじめ、雑誌広告やCMなどのプロモーション、東京地下鉄路線図のデザインなど、そのクリエイティビティを幅広い分野で遺憾なく発揮してきた。
本展では、河北が一貫した世界観をつくり上げてきたデザインの数々から、「iichiko design」が提示するストーリーとその狙いに着目。いくつかをピックアップして紹介する。
1983年、「デザインには一切口を出さない」という条件のもと三和酒類から依頼を引き受けて始まったiichiko designでは、まず河北による徹底的なマーケティング・リサーチが実施された。その結果、いいちこファンの多くが「四十代、年収600万円以上、日本経済新聞の愛読者」であり、その多くが人に勧められて選んでいたことが判明。河北は当初、これらのファン層をターゲットとした広告展開と口コミでさらにファンを増やしていくという戦略を推し進めた。
その戦略のもと1984年4月に掲載された第1作目には、「広告の世の中だけど噂だけで飲まれる酒があるミスマッチストーリィ」というヘッドコピーがつけられた。アンティークの上に置かれたボトルとグラスは、大衆向けの焼酎におけるイメージの一新を意図したものだ。この切り口は、当時様々な広告であふれかえっていた世のなかに一石を投じるものであった。
また、主に地下鉄の構内という殺風景な場所に掲載されていたこれらの広告は、時間や心に余裕のない忙しない社会人が多く行き交う場所であり、ひとときのやすらぎや四季の訪れを知らせるような癒やしの効果をもたらした。
商品が選ばれるためには「イメージの力」が何より大切であると語る河北は、どんなに優れた商品でもイメージが損なわれた途端売れなくなってしまうと考えのもと、「ゆったりとくつろいだ雰囲気」「心に深く染み入る癒やしのイメージ」といったいいちこを飲むときの気持ちと通底するようなイメージづくりを心がけた。これらの世界観を河北とともにつくり上げてきたカメラマンの浅井慎平、コピーライターの野口武、デザイナーの土田康之らの存在は非常に大きいものであったと想像できる。
また上記の理由から、河北はポスターの印刷方法や紙の選定にも非常に注力している。制作にあたっては紙の種類や刷色を徹底的に吟味。場合によっては特色インクや特殊紙への印刷なども行うことで、焼酎およびいいちこのブランドイメージを最高品質なものへと押し上げた。本展では、その印刷による美しいビジュアルも大きな見どころと言えるだろう。
iichiko designにおいて、河北は雑誌広告も複数手がけた。1986年から発行されている『季刊 iichiko』は、河北による監修のもと、哲学者・山本哲士によって編集。「民俗」と「精神」をテーマとした論考が記されたこの文化科学誌には、商品広告が一切掲載されていないというのだから驚きである。いっぽう、若年層をターゲットとした商品「いいちこスーパー」の広告は、雑誌『BRUTUS』に掲載。「人間を作っているのは食べ物」をコンセプトに、カラフルかつユーモアにあふれたビジュアルが目を引きつける。
いいちこのボトルデザインさえも、その世界観をつくり出すための大切な要素となっている。ウイスキーやウォッカのポケットボトルに触発され、「世界で一番きれいなポケットボトル」を目指して生み出された「いいちこパーソン」はその事例のひとつだ。「美しすぎて捨てるのに勇気がいる」というコンセプトで登場した「いいちこフラスコボトル」に至っては、空き瓶すらも惜しまれるほどの人気を博したという。
近年では積極的な海外展開も視野に入れていることから、米国のトップバーテンダーと共同開発した「iichiko 彩天」も誕生。一部の国で限定販売されており、世界最高峰の蒸留酒コンペティションでは最高金賞を受賞した。
ほかにも会場では、iichiko designをメインに据えながら、河北がデザイナーとして頭角を現し始めた頃の作品も展示されている。河北の卒業制作である「営団地下鉄(現東京メトロ) 地下鉄路線図」や、デザイナーとして注目されるきっかけとなった「地下鉄マナーポスター」シリーズからは、iichiko designにも通ずる哲学の系譜が垣間見えることだろう。
1982年から毎年13枚が掲載されてきたいいちこのポスターは、昨年末にその総数が500枚を超えた。それらはどこか遠くにある風景への郷愁めいた感情とほのかな幸福感を、いまなお我々に与えてくれる。
40年にもわたって河北が示し続けている独自の世界観。これらからは今後も目が離せそうにない。