シカゴの歴史的ランドマーク、ニッカーソン邸
南北戦争後の19世紀後半、アメリカでは、空前の規模で経済が拡大していた。急速に工業化が進み、労働者の賃金は大幅に上昇。ヨーロッパからの移民が大量に流入した。ロッカフェラー、カーネギー、モルガン、ヴァンダービルトなど、歴史に名を刻む実業家たちの成功もこの時代の潮流に後押しされ、アメリカの富の礎が築かれるいっぽう、貧富の格差は拡大、明確になった。マーク・トウェインはこの時期を「ギルデッド・エイジ」と呼び(ギルドは金メッキの意味)、その名が定着した。
その時期、シカゴに金融をはじめとする事業で大きな財をなしたサミュエル・ニッカーソンという人物がいた。彼が1883年に建てた邸宅が、現在のドライハウス・ミュージアムとなっている建物である。
建築・内装には当時流行していた「エステティック・ムーブメント」の影響が強く反映されている。「シカゴでもっとも大きく豪華絢爛な建物」ともてはやされ、大理石を多用されたことから「マーブル・パレス」と呼ばれた。当時の美とテクノロジーの髄が寄せ集められただけでなく、仮面舞踏会やレセプションが多く催される、シカゴ社交界の中心として機能した場所でもあった。
1900年、ニッカーソンはニューヨークへ移り住むにあたり、邸宅を売却。その後、持ち主は何度か変わったものの、ニッカーソンのレガシーは守られ続け、建物は現在シカゴの歴史的ランドマークに登録されている。
2003年、投資家のリチャード・ドライハウスがこの建物を購入。綿密な修復作業を経て、08年にドライハウス・ミュージアムとして開館した。普段はドライハウスの所有する19〜20世紀の美術品・調度品が展示されつつ、「ギルデッド・エイジ」が振り返られ、当時の富裕層の暮らしがうかがい知れる場となっている。
同館のエグゼクティブ・ディレクター、リチャード・タウンゼントは、『シカゴ・トリビューン』紙の取材にこう語っている。「この建物はシカゴの歴史と文化を語るうえで欠かせず、シカゴが近代都市へと成長する起点となった場所です」。
「しかしそれはそれ。もう時代は変わったのです」。自らの「歴史的価値」が足かせとなり、同館と現代のオーディエンスとのつながりは希薄になりつつあった。「建物とそれが象徴するものの限界を乗り越え、より深くコミュニティとつながることは、私たちにとって非常な重要なことでした」とタウンゼントは言う。幅広く、特に若い層の来館を促すために、オーナーであるドライハウスが、現代アートを介在させることを思い付いたという。
若い観客とのつながりを求める新しい試み
同館は、今年3月に現代美術を紹介するシリーズ「A Tale of Today: New Artists at the Dreihaus」をスタート。狙いは「ギルデッド・エイジを異なる視点から見直し、今日の社会・階級・人種・経済問題と地続きの歴史として精査する機会を観客に提供すること」。ニッカーソンのような特権階級が築いた「歴史」そのものを、現代の視点から批判的に再考する大胆な企画だ。
シリーズの第1弾のアーティストとして選ばれたのは、インカ・ショニバレCBE。「彼は19世紀のギルデッド・エイジやヴィクトリア朝を、テーマとして見事に取り扱います。本館の環境と無理なく調和するアーティストが必須と考えていたときに、ショニバレはまさしく適任でした」とタウンゼントはいう。本展では、ショニバレの6つの作品が選ばれた。
ダイニングルームに設置されたのは《Party Time: Re-imagine America》(2008-09)。もともとニューアーク美術館(ニュージャージー)のために制作された作品であるが、今回の展示において、まったく違和感なく部屋に溶け込んでいた。ニッカーソン時代の内装を背景にしたインスタレーションはとにかく圧巻。
ショニバレは、植民地主義やアフリカン・ディアスポラを象徴するダッチワックスファブリックを、ヴィクトリア調のドレスやタキシードに加工し頭部のないマネキンに着せる、独特の表現スタイルを持つ。本作では、マネキンたちが行儀悪く大騒ぎをしているなか、テーブルに孔雀が運ばれてこようとする構図が取られている。ニッカーソンらが満喫した社交界の残像のようでもあり、そこから見て取れる傍若無人さや過剰さには、ショニバレの批判精神が色濃く反映されている。
《Upstairs Downstairs》(1997)は、イギリス・リバプールにある18世紀貴族の別荘だった場所での展示用につくられたものだった。派手な彩りの磁器プレートがガラスのケースに並べて収められている。表面に金字の優雅な筆記体で記されているのは、裏方として別荘を切り盛りしていた召使いの名前とその役割。歴史に名を残すのは家の主となる側の人々であり、それを支える社会の下層の人々の存在はないものとして扱われる「歴史の一面性」を示唆している。アメリカの奴隷・差別の歴史ともリンクするメッセージを携えている作品だ。
アフリカ系アメリカ人から見る歴史
テーマとして明言されてこそいないが、今回のショニバレの展示で示唆されているのは、アフリカ系アメリカ人の目線から「歴史」を振り返ることだ。会場のインタビュー動画のなかでショニバレは、「歴史とは非常に主観的なもの。いつも権力者の立場から書かれ、それが正統なものとして提示されていく」と語る。
キャラ・ウォーカーやフレッド・ウィルソンなど、アフリカ系のアーティストたちが、自らの表現を行うことができるようになり、彼らの作品に触れる機会が一般化したのは素晴らしいこととしつつ、「このような表現をする権限がアーティストに与えられたのは、ここ50年ぐらいのこと。暴力や抑圧の歴史を再考するプロセスは、まだ始まったばかりです」とショニバレは言う。
ドライハウス・ミュージアムが示した可能性
同館の広報担当リズ・ティルマンスは美術手帖に対し「現代アートの大型作品を、19世紀の建物に搬入するにあたり、ロジスティックの問題をいくつもクリアしなければなりませんでしたが、その努力はたいへん報われたと思っています。本展への反応もかなり好評で、こちらが圧倒されるほどでした」と回答した。本シリーズは残り2回、来年と再来年に開催される予定となっている。
アメリカ国内における政治やアイデンティティに関する議論は活発になるいっぽうだ。ドライハウス・ミュージアムのような「歴史」を背負う文化施設の場合、ただこれまでのレガシーを一方的に見せていくような展示を続けていると、加速度的に一般への訴求力を失う可能性を孕んでいると言っていいだろう。
展覧会などの説明書きでよく見る「レレバンス(関連性)」という言葉があるが、文化施設にとって、いまを生きる観客と展示内容がどのように関連するのか示すことは、存在意義に関わる大事な問題である。ドライハウス・ミュージアムは、自らの持つ歴史をあえて現代の批判の目にさらすという、ラディカルな方法によって「レレバンス」の回復を試みた。そして、その挑戦はかなり成功したように見える。
特筆すべきは、会場の作品は同館のために制作されたものではないにもかかわらず、いずれもその場に調和し、強烈なメッセージを放っていたことだ。キュレーションの妙がいかんなく発揮されており、工夫とアイデア次第で、文化施設はいかようにも生まれ変われるという希望を感じさせる、稀有な展覧会を見た気がした。