日本美術のなかで儒教はどのように表現され、私たちにどんなメッセージを伝えてきたのか──。東京・六本木のサントリー美術館で11月27日より始まる「儒教のかたち こころの鑑 一日本美術に見る儒教一」展は、そんな問いに答える展覧会だ。
本展は、難解に思われがちな「儒教」をテーマにしながらも、貴重な日本美術の作品を通して、古代から近世に至る日本人の価値観や美意識の変遷を紐解いていくもの。儒教は、紀元前6世紀に中国の思想家・孔子によって説かれた教えであり、仁・義・礼・智・信の五常という徳目を重んじ、人間関係を豊かにし、理想の社会を築くことを目指す思想だ。本展では、この古代から伝わる思想が日本美術にどのように影響を与え、日本人の生活や価値観のなかでどのように受け入れられてきたかを探る。
展示では、同館のコレクションをはじめ、東京国立博物館や京都の仁和寺、南禅寺など国内各地から国宝や重要文化財を含む100点以上の作品が集結。サントリー美術館では初めてとなる、本格的に儒教をテーマにした展覧会だ。担当学芸員の大城杏奈は「美術手帖」の取材に対し、「教育の場で教えられている『論語』や、家族や身近な人々との関係を考えるときに、儒教の教えがいまも様々なかたちで影響を持っている」とし、「これまでにない視点とスケールで、改めて日本美術をご覧いただければ」とその意義を語っている。
御所ゆかりの至宝も
4世紀頃、仏教よりも早く日本に伝来した儒教は、古代から近世に至るまで、時代ごとの日本社会において多様なかたちで受け入れられてきた。とくに古代では宮廷で為政者としての理想像を学ぶための学問として重視され、中世には朱子学が禅宗僧侶に学ばれたことで寺院文化にも深く影響を与えた。さらに近世の江戸時代には、文治政治を推奨する江戸幕府によって奨励され、儒教の教えは武士階級のみならず庶民や子供たちの教育にまで広く浸透していった。
古代宮廷での「為政者としての理想像」
儒教が政治と深く結びついていた時代を象徴する作品には、京都・仁和寺所蔵の重要文化財《賢聖障子絵》(1614)がある。狩野孝信による現存最古の「賢聖障子絵」とされるこの作品は、天皇の高御座の背後を飾るために制作された大画面の絵画であり、32人の賢聖像が天皇の背後で見守る構図は、為政者にとって理想的な徳を体現する存在として儒教思想を視覚化している。
また、京都・南禅寺に伝わる《二十四孝図襖》(1586)は、狩野永徳とその一門の絵師たちによって描かれたと推測されるもので、儒教で重視される親孝行の模範である「二十四孝」における24の故事から画題が選ばれている。同作は通常非公開のため、今回の展覧会は実際に目にする貴重な機会だ。
さらに、本展のメインビジュアルにも使用されている狩野探幽の《名古屋城本丸御殿上洛殿襖絵 帝鑑図 露台惜費》(1634)は、3代将軍徳川家光が名古屋城を訪れた際に用意された上洛殿の「上段之間」に飾られていたものだ。「露台惜費」の画題は、漢の文帝が浪費を戒める逸話を描いたもので、理想的な為政者の教訓として、時代を超えた普遍的なメッセージを含んでいると言えるだろう。
中世における禅僧と儒教
中世では、禅宗と儒教の結びつきが深まるなか、歴代の校長を禅僧が務めた足利学校で使用されていた教科書的な書物が注目される。栃木県の足利学校所蔵の国宝『尚書正義』(12世紀)は、中国南宋時代に書かれた『書経』の注釈書である。当時、学問の中心地であった足利学校では教科書として重宝され、『書経』の内容は昭和や平成の年号の典拠としても影響を与えるなど、現代にまでその重要性が続いている。
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