江戸時代後期の京都を代表する陶工/画家である木米(もくべい、1767~1833)。木米が手がけた書画や陶芸などを紹介し、その生涯や当時の文人文化に迫る展覧会「没後190年 木米」が東京・六本木のサントリー美術館で開幕した。会期は3月26日まで。
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木米は京都祇園の茶屋「木屋」に生まれ、俗称を「八十八」と言う。木屋の「木」と、八十八を縮めた「米」に因んで「木米」と名乗った。木米は30代で中国の陶磁専門書『陶説』に出会い、煎茶器から茶陶にいたる優れた陶磁器、書や画も数多く残した。本展はそんな木米の生涯と仕事の全容に、4章構成で迫るものだ。
第1章「文人・木米、やきものに遊ぶ」は、文人・木米がいかなる思想を持ち、製陶に打ち込んできたのかを紹介する。そもそも、江戸時代の文人とはどのような存在だったのだろうか。木米が生きた時代の文人とは中国の学問の素養を持つ教養人のことを指しており、「詩書画三絶」と呼ばれる詩、書、画のいずれも優れたものを残した中国の大家を理想とし、文人同士で深いネットワークを築いていた。
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第1章の冒頭に展示されている《染付龍濤文提重》(19世紀)は、まさに文人としての木米の思想を端的に伝えるものといえる。中国に古くからある食べ物や貴重品を収める木製の堤重をやきもので制作。重箱の角や縁の釉の欠けは、明代の古染付に見られる製造行程で出来た傷を、「虫喰い」として愛でる日本の茶人文化に則ってわざと加工したとも言われている。規則的な紗綾形文や雷文も明代末の染付磁器の雰囲気に通じるものがあり、木米が豊富な中国陶磁の知識を動員しながら、大胆かつ洒脱に編集して本品をつくりあげたことがわかる。多重な文脈を踏まえながら新たなおもしろさを陶磁器に織り込んでいく、文人ならではの視線を感じられるだろう。
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こうした文人としての素養を、木米は十代の頃より高芙蓉(1722~1784)のもとで学び、その後、陶業の道を極めるため奥田頴川(1753~1811)に師事することとなる。頴川は明から清への王朝交代の動乱を逃れて、江戸時代初頭に渡来した陳氏の末裔と言われており、京都における磁器づくりの先駆者として優秀な陶工を門下から輩出した。
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本章では木米の作品のみならず、師である奥田頴川の中国趣味をふんだんに織り込んだ器も展示。例えば《呉州赤絵花鳥文手付鉢》(18〜19世紀)は、明代末期に福建省の漳州近辺の窯でつくらた白釉地に赤と緑の色絵が特徴的な「呉須赤絵」の意匠を基調としたものだ。こうした当時の中国(清)ではなく明代の器に写しの対象を求めるこの頴川の作風は、そのまま木米にも受け継がれていった。
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また、木米と同じく頴川門下として活躍し、切磋琢磨した間柄であっただろう仁阿弥道八(1783〜1855)のほか、同時代に活躍した尾形周平(1788〜1839)といった、当時の文人の手がけた中国趣味の色濃い茶器も一堂に会する。
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第2章「文人・木米、煎茶を愛す」では、木米の手がけた煎茶器を紹介する。煎茶器の傑作を多くの残した木米を知るためには、まず江戸時代の煎茶文化についての知識が必要となる。18世紀半ばの京都では、禅僧・売茶翁(1675〜1763)が、煎茶道具を持ち歩き、洛中洛外の景勝地で移動茶店を開いて往来の人々に茶をすすめた。このような世俗を離れた売茶翁の生き様は、木米の世代の文人に強い影響を与え、煎茶は詩書画と強く結びつき、京都や大阪を中心に身分の違いに関わらず広まることとなる。
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木米はこの煎茶流行にあわせて、湯を沸かす焜炉である「涼炉」や急須、煎茶碗などをつくり、三十代の頃から好評を得ていた。会場には木米が手がけた趣向を凝らした炉や急須が並ぶ。
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《白泥蘭亭曲水四十三賢図一文字炉》(19世紀)はそのユニークな造形に目を奪われる涼炉だ。窓に見立てた風門には、満面の笑みを浮かべて外の鳥を眺める書聖・王羲之が塑像でつくられており、王羲之が飛び鳥の美しさからその書体を生み出したという逸話がモチーフにされている。また、背面には賢人たちが川岸に座り作詞に興じる様子が彫刻によって表されており、優れた技量で文人たちが理想とする世界が表現されている。
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また、木米は器に表す文字にもこだわった。唐代や北宋時代の詩を側面から背面にかけて彫刻した《白泥詩文一文字炉》(1829)や、五口の煎茶碗ひとつひとつの胴部に茶詩や茶に関する文章が赤絵で記された《染付色絵詩文煎茶碗》(1827)など、そのびっしりと敷き詰められた文字は、木米ならではの作風が見て取れる。
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第3章「文人・木米と愉快な仲間たち」では、木米の魅力をその交友から解き明かす。親友だった画家の田能村竹田(1777〜1835)が木米を称えた文書など、木米が気の置けない友人たちへ宛てた書状や、旧蔵品などを通じて、文人たちの豊かなネットワークが見えてくる。
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最後となる第4章「文人・木米、絵にも遊ぶ」は、晩年の木米が京都に集った文人たちとの交流を通じてその数を増やしていった絵画に焦点を当てる。木米の画のほとんどは山水画だ。長く、後世の文人たちに受け継がれてきた雄大な木米画を堪能したい。
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江戸時代の京都で花開いた「文人」たちの世界からは、俗世を離れた無為自然に憧れる大陸の老荘思想がいかに解釈され、中国美術の技法や表現とともに日本で翻案されてきたのかを知ることができる。木米とその交友から生まれた名品の数々を見て、現代の喧騒からひとときだけでも離れてみてはいかがだろうか。
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