秀真は作家としてだけでなく、東京美術学校で教鞭を執り、多くの後進を育てた教育者でもあった。また、日本の工芸界全体の発展にも尽力し、金工の研究に関する40冊以上の著作を発表するなど、日本金工史の研究において先駆的な存在だった。その功績が認められ、1953年には工芸家として初の文化勲章を受章している。
セクション「秀真と松本」では、秀真と松本との深い関わりに注目している。秀真の4人目の妻・たけ江が現在の長野県塩尻市出身であったため、昭和初期から松本方面を度々訪れるようになった。また、池上喜作や胡桃沢勘内など松本の文化人たちとは親交が深く、1944年、太平洋戦争の激化に伴い、秀真一家は松本市郊外にも疎開していた。
疎開中、金工品の制作が困難だったため、秀真は主に書画を制作した。それらの作品の一部は現在、松本市美術館の池上百竹亭コレクションに所蔵されており、本展で展示されている短歌や書画は、松茸狩りの思い出など、工芸作品とはまた異なる秀真の芸術の一面を垣間見ることができる。
最後のセクション「秀真の真骨頂」では、秀真の代表作が集結している。秀真は伝統的なかたちや文様を踏襲しつつも、装飾をそぎ落とし、シンプルで力強い造形を追求した。とくに動物をモチーフにした作品が多く、そこには秀真ならではの洗練された美学が感じられる。
同セクションで展示されている《鳩香炉》(1949)は、東洋の伝統的な文様を取り入れつつも、アールデコの影響を受けた西洋のエッセンスが融合された作品。また、ほかの動物をモチーフにした作品群も非常に豊かで繊細な表情が特徴的であり、東洋と西洋の美を巧みに組み合わせた秀真の金工技術を存分に感じとることができる。