駐日英国大使館と、英国の公的な国際文化交流機関であるブリティッシュ・カウンシルが共同で展開する日英交流年「UK in JAPAN 2019-20」。ラグビーワールドカップが開幕した2019年9月から、東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催される2020年9月まで、2つの世界的祭典が日本で行われる1年間に、アート、スポーツ、ビジネス、教育分野の様々なプログラムを通して、両国間のパートナーシップを育もうという取り組みである。
この「UK in JAPAN 2019-20」の一環として、ブリティッシュ・カウンシルと三重県伊勢市の共催で、アーティスト・イン・レジデンスが行われた。英国を拠点に活動する6組7名のアーティストが、伊勢市に約2週間滞在し、伊勢神宮をはじめとする名所への訪問、行事への参加、地元の人々との交流などを通して、作品制作のためのインスピレーションを得ることを目的としたリサーチ・レジデンスである。アーティストは英国に帰国後、伊勢市での体験をもとに作品制作に取り組む。
アーティストの感性を通じて伊勢の魅力を発信することに期待する伊勢市と、英国アーティストに日本ならではの文化交流の機会を提供し、文化を通じた日英の絆の発展を目指すブリティッシュ・カウンシルの二者によって実施された本プログラム。伊勢市がアーティスト・イン・レジデンスに取り組むのは今回が初めてで、アートを通して伊勢の魅力をアピールすることは、これまでにないチャレンジとなったという。
多彩な分野で活躍するアーティストたちが参加
今回のレジデンスに際し、英国から600名を超えるアーティストの応募があった。審査員として、サイモン・ケイナー(イーストアングリア大学日本学センターディレクター)、カースティ・ラング(BBCブロードキャスター)、南條史生(森美術館館長)、クレア・レディントン(ウォーターシェッドCEO)、四方幸子 (キュレーター、多摩美術大学・東京造形大学客員教授)を迎え、選考を経て選ばれたのがこちらの6組7名である。
デビュー小説『Cygnet』を上梓したばかりのシーズン・バトラー。アートと科学が交わる節点で活動するグレース・ボイル。サウンド・アート作品を展開するダンカン・スピークマン。写真や映像メディアの分野で活動する一卵性の双子姉妹のジェーン・アンド・ルイーズ・ウィルソン。ダンサー・振付師のニコル・ビビアン・ワトソン。建築学の知識をインスタレーション作品などに反映するマシュー・ロジア。現代の英国の創造性を映す、多ジャンルのアーティストが参加した。
伊勢神宮での祭典等の参拝
今回のプログラムでメインとなったのは、伊勢神宮への参拝、神宮関連の祭典・行事への参加である。収穫の秋は、年間1500回に及ぶ神宮の祭りの中でもっとも重要だとされている祭典「神嘗祭」が行われる季節だ。アーティストたちも初穂曳参加などを通して、その文化を堪能した。
「お伊勢さん」と親しみを込めて呼ばれる伊勢神宮。約2000年の歴史がある内宮は、皇室の祖先とされ太陽神にもたとえられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を、外宮は天照大御神の食事を司り、産業の守り神でもある豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る。
毎年10月に行われる「神嘗祭」は、その年に収穫された新穀を、最初に天照大御神にささげて、その恵みに感謝する祭りである。外宮、内宮それぞれにおいて、午後10時と午前2時に神饌(しんせん)を奉る「由貴大御饌(ゆきのおおみけ)」が行われ、正午には天皇陛下の使者である勅使が幣帛(へいはく)を奉る「奉幣(ほうへい)」が行われる。10月15日午後10時に外宮で行われた「由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)」についても、アーティストたちは参拝が許され、儀式へと向かう参進の様子を厳かな気持ちで見守った。
「初穂曳」は、神嘗祭に合わせ、その年に収穫した初穂を伊勢神宮へ奉納する祭り。外宮領で行われる「陸曳(おかびき)」と、内宮領で行われる「川曳(かわびき)」の2つがある。「陸曳」ではアーティストたちも、他の参加者とお揃いの白い法被に身を包み、祭りに参加した。
伊勢の伝統工芸に触れる
訪問を希望する場所として、アーティストからとくに強い要望があったというのが「伝統工芸」の分野である。神宮関連の神祭具をはじめ、生活に寄り添う縁起物など、伊勢に脈々と受け継がれてきた伝統工芸の工房や、職人たちのもとを訪れた。
1899年の創立以来、伊勢神宮に納めるための神宮御用紙を奉製してきた伊勢和紙の老舗「大豐(たいほう)和紙工業」へ。御用紙は、用途に応じて透かしがすき込んであり、御神札(おふだ)や御守りなどに用いられる。和紙の原料は楮(こうぞ)や三椏(みつまた)と呼ばれる植物の樹皮。今回は、樹皮から不純物を取り除き、水の中に分散させた繊維を、簀桁(すけた)と呼ばれる道具で1枚1枚すくい上げ、乾燥させる工程を見学した。
神棚・神具の製造販売会社「宮忠(みやちゅう)」では、伊勢に特徴的な茅葺(かやぶき)・桧皮葺(ひわだぶき)・板葺(いたぶき)の神棚を中心に、盛り塩やしめ縄など、神具・神棚関連商品を広く扱っている。まずは外宮前のショップを見学した後、工房へ案内してもらい、制作過程のレクチャーを受けた。おみやげとして鉋で削った薄い木くずや、作業過程でできる木片を持ち帰り、清々しい檜の香りを楽しんだ。
400年ほど前、日本で生まれた工芸品「根付」。この分野で、数々の賞を受賞し、国際根付彫刻会の会長も務めた、伊勢根付の名工・中川忠峰の工房も訪れた。根付とは、留め具のこと。江戸時代、印籠や煙草入れといった小物を紐で吊るして携帯する際に用いられ、今日では彫刻の美しさから国内外にコレクターを獲得している。アーティストたち全員が、根付を見たのは初めてだという。小さなかたちに想いや技術を込めた美術工芸品に「こんな素敵な工芸品があったなんて」と、口を揃えた。
伊勢神宮の造営に従事する宮大工が、端材を使ってエビス大黒などを彫り始めたのが起源といわれている伊勢の「一刀彫」。約40年間この仕事に携わる一刀彫職人・岸川行輝が講師となり、一刀彫の魅力を伝えた。作業工程の一部を見学したあと、アーティストたちは、岸川が彫った一刀彫に、眼を入れる作業工程を体験した。
座禅体験、海女との交流
人々とのコミュニケーションや文化体験も、レジデンスのなかでは重要な要素である。今回のレジデンスでは、寺の住職から、海女さん、世界的に知られた著名人まで、様々な分野で活躍する人たちとの対話や、文化体験が計画されていた。
龍神伝説で知られている松尾観音寺の御堂の中で、座禅を体験。住職の木造隆誠(こつくりりゅうせい)は「最初から“無”になることを目指すのは難しい。まずは、畳に座り、ゆっくりと心を落ち着けて、いろんなことを考える時間を過ごしてほしい」と説明。また、「神仏習合」や「八百万(やおよろず)の神」という日本独特の宗教観を説き、あらゆるものに感謝することの大切さを語った。
三重県鳥羽市にある港町・国崎(くざき)へ。国崎では、伊勢神宮に奉納される熨斗鮑(のしあわび)の調製が2000年以上前から行われてきた。まずは、海女の祖といわれている「お弁」を祀る、海士潜女(あまかづきめ)神社を参拝。参拝後は、海女へのインタビューの機会も与えられた。答えてくれたのは、海女として50から60年のキャリアを持つ2人の女性。「命が危ない目にあったことはあるか」「海に潜ったら何が見えるのか」「娘も海女になったのか」など、様々な質問が飛び交った。
また、滞在の後半には、1971年にロンドンで日本人として初めてファッション・ショーを開催したことで知られる、山本寛斎とのセッションも。自身の創作について語る山本のエネルギーに、アーティストたちは圧倒された様子だった。
さらに、伊勢出身や、同地を拠点に活動する音楽家、建築家、ダンサー、書道家といった地元のアーティストたちとも対話により交流を深めた。伊勢のアーティストたちも、地元を見つめ直すきっかけになったと語った。
レジデンスを通して知る、伊勢の魅力
レジデンスは、神宮を中心に紡がれてきた伊勢の歴史や文化が存分に堪能できる充実した内容であった。約2週間という限られた期間のなかで行われた30以上のプログラムは、ここに挙げた以外にも、価値あるものがたくさんある。
『美術手帖』2月号(1月7日発売)には、アーティスト・イン・レジデンスのレポートを記録・掲載した小冊子が付録になる予定だ。この記事と併せて、ぜひチェックしてほしい。