アジア諸国の経済活動が世界的な注目を集めつづけるなか、その歴史的・社会的課題に対してアジアの現代美術家がいかに解釈しているのか? アジアの社会的文脈に根ざし、そこで生まれた現代美術に注目する「アジア・アート・ビエンナーレ」は、2007年より台湾・台中の国立台湾美術館で開催されてきた。
今年第7回となる同ビエンナーレは、「The Strangers from Beyond the Mountain and the Sea(山と海を越えた異人)」をテーマとする。キュレーションは、現代台湾を代表するアーティスト・許家維(シュウ・ジャウェイ)と、シンガポール出身の映像作家ホー・ツーニェン。
今回のテーマについて、許はこう語る。「『異人』とは、日本の民俗学者・折口信夫が提示した『稀人(まれびと)』という用語から由来するもので、遠くから贈り物を持ってきた遠方の神様を指します。ここでは、外国商人、移民、スパイ、シャーマンなどの『他者』を意味しており、彼らとの出会いを通して、私たちは既存の知識体系の限界やアイデンティティの認知を超えることができます」。
「山」と「海」とは、中部ベトナムの高地から北東インドまでの巨大な山塊である「ゾミア」と、西太平洋にある「スールー海」を指す。ゾミアは、高地と険しい地形が自然の障壁となっており、歴史的に遊撃隊や麻薬密売人、逃亡者が集まる地域とされてきた。いっぽう、スールー海は長年、奴隷貿易や海賊行為が横行しており、今日でもテロ組織の活動海域となっている。許はこのふたつの地域について、「地理的位置をテーマに加えることで、アジアの国家や文明、イデオロギーについて再考させる機会となります」と話す。
また「山」と「海」は、「鉱物」と「雲(クラウド)」とも呼応するという。地表下の鉱物と対流圏の雲(クラウド)は、山と海の変形だ。鉱物から抽出された希土類元素を利用して、デジタルクラウドも構築することができる。「自然など非人間的な要素を技術と対比させることで、人間中心主義という枠組みを打破しようと考えています」。
今回の展示作品は、その「異人」、山、海、鉱物、雲のいずれかと関係している。例えば、それらとアジアの歴史や人間活動との複雑な絡み合いを表現した作品には、中国の映像作家・劉窗(リウ・チュアン)の《Bitcoin Mining and Field Recordings of Ethnic Minorities》(2018)がある。本作は、ビットコイン採掘とゾミア地方の少数民族のフィールド・レコーディングを通して、自然と近代国家との関係性を引きだすもの。地表に流れる川によって生成された電力は、デジタルクラウドに保存されるビットコインに変換される。いっぽう、近代国家から離れている少数民族は、ダムの建設のために現代社会へ押し込まれる。
もの派を代表するアーティスト・李禹煥の「関係項」シリーズは、会場の数ヶ所で展示。李の作品について、許は「石や鉄板などほとんど手を加えず、自然な状態をそのまま提示する作品は、ものの原始的なあり方を重視する東洋の自然観と、現代社会が直面している課題を提示しています」と述べる。
マレーシアのアーティスト、イー・イランの写真連作《Sulu Stories》(2005)では、スールー海で撮影した空や海、島をコラージュし、東南アジアの集団文化や記憶、そして個人の状態や社会の権力構造に焦点を当てている。
タイのアーティスト、コラクリット・アルナーノンチャイとアメリカのアーティスト、アレックス・グヴォジックによるインスタレーション作品《No History in a Room Filled with People with Funny Names》(2018)は、12人のタイの少年とコーチが洞窟に閉じ込められ、最終的に救出された事件からインスピレーションを受け、タイの保守的な思想や自然環境、科学技術の進化、政治、文化の間の関係を探求する。
許は「アジアの歴史は非常に複雑だ」と話す。「植民地時代を経て、第二次世界大戦終戦後まもなく、アジアは冷戦に巻き込まれました。そのため、この歴史には様々な勢力が重なり合っています」。そんな紛乱した歴史を反映する作品も、今回のビエンナーレの見どころだ。
田村友一郎のインスタレーション作品《Milky Bay》(2016)では、三島由紀夫と思われるナレーションやビリヤード台、男性身体の彫刻、映像を通し、第二次世界大戦後、米軍が横浜に駐留してボディビルディングを日本に持ち込んだ経緯を紹介。歴史と物語を含んだ作品は、事柄と虚構が混在した世界観を示している。
インドのアーティスト、ズレイカ・チャウダリーは、インドの独立運動家であるスバス・チャンドラ・ボースがナチス・ドイツによる支援を受けた放送局で録音した音声記録を作品にし、インスタレーション《Rehearsing Azaad Hind Radio》(2018)を展示。2016年のニューデリーでの学生運動で行われたナショナリズムに関する演説の音声を入り交じることで、様々な文脈における歴史的記憶や、集団的および個人的イデオロギーに対して疑問を提起する。
なお会場では、共同研究者である林怡秀(リン・イーシュ)が展示エリアごと選択した「脚注」もあわせてチェックしたい。アーティストとその作品の背景を説明し、来場者が作品の文脈をよりよく理解できることが目的だ。
既存の知識の限界を乗り越え、現代アーティストがアジアにおける政治、歴史、経済などの問題に対していかなる解釈を提示したのか、会場に足を運んで目撃してほしい。