今号では「塩田千春」特集をお送りします。彼女の25年にわたる活動を回顧し、新しい展開を予感させる、森美術館での大規模展に合わせたもので、『美術手帖』では久々となるアーティストの個人特集となった。
塩田千春が生み出す作品空間に佇んだことがあれば、膨大な作業の積み重ねによって身体が憑依したかの空間の緊張感と強度に、一瞬にして見る者の身体も異世界に転送されるような感覚に陥った経験をしたことがあるだろう。私自身も2008年の国立国際美術館(大阪)の個展での体験が脳裏に焼き付いている。
それは、ベッドが並べられた空間に縦横無尽に黒い糸が張り巡らされている、塩田の作風を象徴するような作品で、周囲を歩いたりじっと立ち止まったりしながら、目で糸を追っていくのだが、とうてい目では追いきれなく、黒い糸に向き合う意識が線から面そして空間へと広がっていくに連れて、自分自身の身体もその空間に広がって消え失せていくような感覚を覚え、心を揺さぶられた。
そのような稀有な体験をもたらす塩田の作品の特異性は、どこからやって来るのか。彼女自身の言葉やその人生、そして、彼女が影響を受けたベルリンや人々との関係から探っていこうというのが本企画の主旨である。
そして近年、塩田は世界各地で大小問わず年間20を超える、現地の空間に合わせたサイトスペシフィックな展示を行っている。ドレスや靴、ベッドや舟、鍵や窓といった作品をかたちづくるものは変わらなくとも、結婚や出産、闘病、親族の死といった彼女の人生がまるで糸のように結ばれたり、もつれたり、紡がれたり、切れたりするなかで、作品に潜むテーマも少しずつ移ろっている。そしてそれは、「生から死」というものから「死から生」へという変化なのかもしれない。さらに、個展の準備とともにあった闘病生活を乗り越えて制作された新作は、その先を予感させるものとなっている。
ジェンダーやナショナリティを超えていく塩田の作品は、戦争や暴力、自然災害などの災厄に満ちている現代において、様々な意味での故郷喪失者(ディアスポラ)の心を癒やすものして、ますます人々にもとめられていくだろう。
第二特集では、「沖縄の美術」を取り上げている。沖縄にもまた別の「最前線」がある。ここで、美術をおこなうことの意味を考える機会となれば幸いです。
2019.07
編集長 岩渕貞哉
(『美術手帖』2019年8月号「Editor’s note」より)