──真っ暗な地下の展示室で懐中電灯を手にとり、作品鑑賞がスタートします。個展タイトル「アイムジャストレスティングマイアイズ(ちょっと目を休ませてるだけなんだ)」は、見ることと関係していますが、鑑賞方法の演出とも関係していますか。
この言葉は父の口癖だった言葉なのですが、父は母と一緒に友達の家に遊びに行くと、ディナーでワインを飲み過ぎて酔っぱらい、ソファで寝てしまうことがよくあったそうなんですね。そうすると母が「起きなさい」と怒り、父はこの言葉を言ったそうです。「ちょっと目を休ませているだけなんだ」と(笑)。暗い空間で展開する展示なので、カラフルで情報過多なアートではなく、そっと囁きかけてくるアートに耳を傾け、ときには目を休めながら考えるような展示のほうが鑑賞者の記憶に残ると考え、展示タイトルにその言葉を選びました。
──2021年に東京オペラシティ アートギャラリーでキュレーションを担当した収蔵品展「ストーリーはいつも不完全……」でも懐中電灯を鑑賞に使用する演出でしたが、この展示方法はこれまでに何度か行われていますか。
2021年の東京オペラシティ アートギャラリーでの展示で初めて採用し、今回が2度目です。地下空間で展示を依頼され、暗い空間で秘密に満ち、そこに隠されたものと出会うような冒険、探索を表現したいと思い、懐中電灯を使うプランが最適だと感じました。また、前回はパンデミックで来日できず、リモートでキュレーションを行うだけだったので、実際にこの方法での展示鑑賞を自分でも体験したいと思っていました。なかなか新しい体験です。
──実際に懐中電灯を手に展示を鑑賞してみて、発見などはありましたか。
「アテンション・エコノミー(関心経済 attention economy)」という言葉があります(*)。個人の注意や注目に価値を見出す経済理論ですが、GoogleもYahooもInstagramも、無料で情報を提供して関心を惹くことで、直接ビューワーに課金することなく多大な利益を得ています。情報の質に関係なく、人々の関心を集めた方が利益になる現代経済を言い表しています。来場者が何に注意しているか、何に注目しているのかが懐中電灯の光で表れてくるこの展覧会は、「アテンション・エコノミー」のメタファーのようにも見えると会場を訪れて感じました。
ただ、それは必ずしもネガティブな意味ではなく、自分が何を見るか選び、決断する自由が実際には委ねられているので、見る必要のないものを見させられる危険に気づくこともできる。そんなことも、懐中電灯を用いた鑑賞と「アテンション・エコノミー」という語から思い浮かべました。
──地下1階に降り、階段下すぐの場所に展示されているのが、《あなたをどこか別の場所に連れて行ってくれる機械》という作品です。センサーに手をかかげるとレシートのように印字された紙が出てきて、そこには未来の日付と時間が書かれています。
25年以内のどこかの未来の日時が記されているのですが、未来への期待を込めたタイムトラベルをイメージして制作しました。未来のその時間に自分が何をしているか、そこにたどり着くまでには、自分の自由意志で色々と選択や決断ができる、そんな「自由」をポジティブに表現した作品です。
──懐中電灯を用いて鑑賞する構成の「アテンション・エコノミー」の話とも結びついた作品だと感じます。
そうですね。現在の過剰な情報社会において忘れがちですが、運命は本来、自分たち個人の管理下にあるはずです。自分が主体的に動き、自由意志で未来をつくることができる。そんなことを思いながら制作したので、先ほどの「アテンション・エコノミー」の話と通じる点もありますね。
──隣の作品は、《我々の時間は限られている(ヴィヴィ・エンキョーのお墓の提案)》。ヴィヴィ・エンキョーというのは、ガンダーさんが生み出した架空のアーティストの名前ですね。
ええ。私はライアン・ガンダーとして作品をつくる以外に、7人の架空のアーティストの名前で作品を発表していて、そのうちのひとりがヴィヴィ・エンキョーです。この作品は、彼女の墓石です。VIVI ENKYOという彼女の名前が、私がデザインして「Set in Stone」と名付けたフォントで書かれています。
──どのようなフォントなのでしょうか。
私の家の近くのビーチで子供たちが拾ってきた石を用いたフォントです。拾ってきた石から26個選び、ひとつの石のフォルムにアルファベット一文字を宛てがい、このフォントを手がけました。実際にこのフォントを使って文章を書くこともできますが、すべてのかたちを覚えていないので、フォント表を見ながらでなければ書けないし読めません(笑)。このフォントを手がけたのは、子供たちに「ふたり以上の人がいて、その人たちに合意があれば言語というものは生まれる」ということを教えようとしたことがきっかけです。ちなみに会場内には、彼女の作品集を彫刻にした作品《自分自身への興味すら失った(ヴィヴィ)》も展示されています。
──ふたり以上が共有できるルールがあれば勝負が行える、ゲームのルールのようなものですね。
今回の展示はアドベンチャーであり、ゲームのようだと思っています。そして、ゲームをモチーフにした作品もあります。《スタッカートの場合》です。
──テキストに見入り、ガンダーさんの内面に何が生まれたのか、どこかの作品とのつながりがあるのではないかと追いかけてしまいます。
自分はこの作品が結構好きです。おそらく、自分でもこの作品が何を表現しているのか理解できないからだと思います(笑)。
──作品を「理解できる」ことが重要ではないと。
そうですね。私は、鑑賞者ごとにそれぞれのストーリーが生まれることを誘発するような作品が、良いアート作品だと思っています。私がストーリーをつくってそれを伝えるのではなく、ストーリーが生まれる空白を内包した作品を私はつくりたい。もしストーリーを伝えることを目指すのであれば、それはコミュニケーションであって、アートではありません。見る人それぞれに認識が生まれ、想像力で自分だけの関係をもちたくなるような作品。あるいは鑑賞者の想像力を刺激し、新たなストーリーを生み出せるような作品が、私にとっての良いアート作品です。
──新作のひとつで、ライトボックスに様々な国の漫画などから場面が貼り付けられた《ブルジョワジーをあっと言わせる(作家の蔵書の中の全ての窓から見た南の景色》には、たくさんのストーリーが込められていますね。
私の蔵書のなかから、窓の絵を集めて手がけた作品です。ライトボックスで表現した大きな窓の中にたくさんの小さな窓が描かれていますが、窓というのは公共空間とプライベートを区切るものです。中を覗き込むとそこにはプライベートな暮らしがあり、窓から光が差す。この作品を見て、悲しい話を思い浮かべる人がいれば、ハッピーな話やセクシーな話、ロマンティックな話を連想する人もいるでしょう。窓は推理小説の事件で重要な役割を果たすこともありますし、鑑賞者の数だけ、この作品からはストーリーが生まれると考えています。
──昨年日本で開催された個展でも人気を呼んだマウスの作品《2000年来のコラボレーション(予言者)》もお目見えします。
この作品は電動の彫刻作品です。3匹いるマウスの1匹なのですが、チャップリンの映画『独裁者』に有名なスピーチの場面がありますが、そのスピーチのフォーマットを用いて人間になりたがる動物の思いを綴り、私の娘のひとりがスピーチした音声と組み合わせています。「アテンション・エコノミー」について考えたことが作品の発想のきっかけとなっています。
──平等をもたらすはずだったテクノロジーに、餌付けされ、ときとして搾取されてしまうSNSをはじめとするネット社会の現状への啓発のように響いてきます。
──目の動きを表した《最高傑作》やドガのバレリーナを思わせる彫刻作品など、「見る」ことについて考えさせる作品、あるいは《ギグの詩学》は、「見ない」ことを想像させます。
《ギグの詩学》に写っているのは、ピエール・ユイグです。メキシコシティのタマヨ美術館で2012年に個展を開催したのですが、私の前が、ピエールでした。福岡醤油ギャラリーでの私の前の個展がピエールだったので、すごい偶然だと思い、この作品を展示しました。ピエールに「壁に向かって、私の展覧会がどのようなものになりそうか想像してほしい」とお願いして、撮影させてもらったのがこの作品です。
──地下を案内してもらいましたが、1階にも展示があります。光が入る空間で、懐中電灯をもたずに回る展示です。
中央の立体は、私の子供たちが椅子やクッションを組み合わせて、上に布を置いてプレイハウスにして遊んでいたのですが、それを写真に撮って、大理石で彫刻作品にしたものです。周りの作品は、やはり子供たちのプレイモービルを用いた作品です。社会のルールを教育するためなのか、カウボーイや看護師、農家などの職業がわかりやすく表現されていて、男女も明確に見て取れるおもちゃなのですが、子供たちはバラバラにして組み立て直して遊んでいました。職業もジェンダーもごちゃ混ぜにした状態です。それは人々の望みではないでしょうか。レッテルを貼られて分類されることは誰も望んでいないでしょう。そんなことを子供たちと遊びながら考えていました。
──ガンダーさんは様々な素材とコンセプトを作品に込め、鑑賞者を楽しませ、考えさせ、鑑賞者たちの間に多様な対話を生み出します。制作に携わっていて、一番興奮するのはどのような瞬間でしょうか。
ひらめきの瞬間と表現したらいいでしょうか。何かが思い浮かんだことで胃袋から震え、純粋な覚醒が起きるようなマジカルな瞬間があるんです。今日も展示を回りながら、《スタッカートの場合》の紹介をしていてそれに近い感覚がありました。「人生というのはコンピュータゲームだ」というコンセプトが浮かび、それをコンセプトにした展示企画の全体像が瞬間的にイメージとして思い描かれたのです。
普段はいつも考え詰めで、アーティストの活動というのはとてもフラストレーションが貯まるものです。モチーフやアイデアがあり、それがマテリアルやツールとどう結びつき、プロセスを経て関係性が見えてきて、というあらゆる要素を考えた結果としてようやく作品が生まれます。そこには妥協が許されません。しかし面白いことに、そうしたあらゆる要素がつながる瞬間というのは、不意の事故のようなものだったりするんです。想定外だけど、完璧につながっている。その瞬間があるから、アーティスト活動を続けられるのかもしれません。
*──1969年にアメリカの心理学者で経済学者のハーバート・サイモンが、情報過多の時代において人間の「アテンション(注意、注目)」が資源となり、経済価値をもつことになると予想。97年に社会学者のマイケル・ゴールドハーバーがサイモンの説を発展させ、情報が爆発的に増大し、物質的経済からアテンションを基礎にした経済に移行する説をリリースし、「アテンション・エコノミー」と名付けた。SNSのPV数などによって経済的利益を獲得できる、現在のネット社会を言い表した言葉として注目されている。