天界と地上世界の境界が曖昧な時代。神々は自分たちの化身として人間をつくり、天女を祖母にもつバラタ王を始祖とするのがバラタ族だ。マハー=偉大な、バーラタ=バラタ族。全18巻にわたり、サンスクリット語で綴られた10万詩節を超える「偉大なバラタ族」の物語が、『マハーバーラタ』だ。
物語は、パーンドゥ家の5兄弟とクル家100兄弟という、従兄弟にあたる2家族の兄弟の対立を軸に展開する。バラタ族のシャーンタヌ王が女神であるガンガーと別れ、漁師の娘とのあいだにもうけた長男のドリターシュトラと次男のパーンドゥ。ドリターシュトラが盲目であったためパーンドゥが王位に就くが、「女性と交わると死ぬ」という呪いを賢者にかけられてしまう。世継ぎを残すためにパーンドゥは、第一王妃のクンティと第二王妃のマードリーに神と交わらせ、5人の兄弟を生ませた。それが、最高の戦士と称されるアルジュナをはじめとする一方の主人公であるパーンドゥ家の5兄弟。
パーンドゥは森のなかで第二王妃のマードリーと、鹿の交尾を見かけ、欲情して交合してしまい、呪いによって死に至ってしまう。そこで王位に就いたのが、盲目の兄であるドリタラーシュトラだった。妻ガーンダーリとのあいだには長男のドゥルヨーダナをはじめ100人の王子がいた。クル家100兄弟だ。同じ王宮で育てられながらもことごとく対立し、両陣営のいがみあいが燻る前編「愛の章」と、戦士であるアルジュナが神の化身クリシュナを連れて大戦への戦意を高める「バガバッドギーター」から幕を開け、大戦争の末にバラタ族の滅亡までが描かれる後編「嵐の章」の2部で構成される。
神や賢者の助言が教訓として影響を与え、神の化身としての登場人物たちの意思の交錯も描かれるこの叙事詩。壮大な戦記でありながら、唯一神の存在や善悪二元論、リニアな時間の流れに収束しきれない万物を受け止めるインド哲学、宗教の原点とされている。
2011年の震災後に小池博史が構想を開始し、2013年にプノンペン(カンボジア)で滞在制作をしてカンボジアとベトナムツアーを行った『マハーバーラタ第1部』。以後、アジア6ヶ国(日本、インド、インドネシア、マレーシア、タイ、カンボジア)から各国のトップアーティストが参加し、シリーズ作品として5ヶ国で7作品を制作し上演した。各国の舞踊文化に基づいた身体表現、それぞれの言語で行き交う演劇、民族音楽からラップまでを取り込んだ音楽など、ジャンルレスに表現を構築する。ついに『完全版マハーバーラタ』として全編の上演が実現する。80年代よりジャンルレスな舞台表現を続けてきた小池、自然に誘発されたインスタレーションで知られるアーティストの栗林隆、パパ・タラフマラ時代から衣装を担当してきたデザイナーの浜井弘治を迎え、作品について話を聞いた。
──2011年3月11日の東日本大震災がひとつの転機となり、パパ・タラフマラを解散して新たなプロジェクトのために動き出されました。宮沢賢治シリーズと『マハーバーラタ』です。震災後にどのような発想のもとから始まったのでしょうか。
小池 『マハーバーラタ』は昔からやりたかった作品なんですね。ピーター・ブルックが1984年に日本でも上演していますが、完全に西欧型の演劇表現だったので、それを全然違う形でやりたいと思いました。神々の話として始まりながら、最終的には全員が滅亡してしまう話を現代と結びつけて制作するイメージです。3.11はそのトリガーになりました。私たちの文明とは何なのかということを突きつけられて、文明を根本から疑ってかからなければ、世界は続かないだろうと感じ、『マハーバーラタ』と、生きた人間の視点とは異なる場所から世界を描く宮沢賢治から始めたいと思ったのです。
──『マハーバーラタ』は壮大な作品ですが、どのような方針を立ててスタートしたのでしょうか。
小池 まず全体像として、最初は3部構成でいけるかなと思い描いていました(制作段階で4部構成に変更)。そこで重要だと考えたのは、アジアの表現者たちと大きなコラボレーションで完成させることです。『マハーバーラタ』はアジアの哲学の根源のようなもので、日本の神々とインドの神々に一致しているところはありますし、日本文化も影響を受けていますし、アジア全体には根本的に通ずる共振性のようなものがあります。
参加しているアジアの舞踊家などは昔から知っているメンバーではあるんですが、多様な表現をやっていくために、踊りだけがうまいとか台詞は喋れるということではなく、全部できる能力がある人を集める必要があります。アジアにはそういう表現の境界線がないと改めて感じています。それともうひとつ、アジア人の身体表現は大地に根づいた表現であるということ。欧米ですと、ダンサーは天とつながる表現をしますから、その意味でもアジアの演者たちと一緒につくることが重要でした。
──4ヶ国(日本、インドネシア、マレーシア、タイ)からパフォーマーが参加し、共通点はありながらもそれぞれに固有の身体表現も、言葉も、歌もあります。リハーサルを拝見したら、それぞれの言葉が話されると同時にコミュニケーションも行われ、アジア各地の固有の芸能が融合し、「マハーバーラタ」に昇華している印象でした。
小池 未来に向かっていくための発想としては、結局のところ調和しかないでしょう。多様性と口では簡単に言えますけど、それこそアメリカみたいなサラダボール的な多様性もありますが、そうではなくてミクスチャーが生まれて、融合できる状態をつくることが非常に重要だと思っています。
──『完全版マハーバーラタ』では、衣装を浜井弘治さんが手がけます。浜井さんは三宅デザイン事務所に勤務されていたころからパパ・タラフマラの衣装を担当されていますが、舞台への興味についてお聞かせください。
浜井 じつは80年代にピーター・ブルックの『マハーバーラタ』を見に行ったんですけど、見終わって感動したものの、何に感動したかよくわからなかったので、ピーター・ブルックの『なにもない空間』という本を買いました。「そこにひとりの男が立ち、そして彼を見つめるもうひとりの人間」という演劇の原理みたいなものを知ってから舞台の虜になり、舞台とは何なのかと深く興味を持つようになりました。小池さんと関わるようになったのも、ほぼそのあたりの時期です。小池さんとのやりとりでは、例えば圧倒的な大量生産と大量消費をモチーフに「もののパレード」というコンセプトを考え、そこの衣装をデザインするなど、小池さんから出てくる概念がとにかく面白かったんですよ。
──では今回の『マハーバーラタ』のデザインプロセスをお聞かせいただけますか。
浜井 インド人には、死んで生まれ変わるところまでも含めて一生だという考えがあって、輪廻や因果応報というのもすべてが一生に含まれる、という話を聞きました。そこにはあらゆる感情があり、人間関係も聖人たちの存在もある。『マハーバーラタ』はそのすべてが描かれた舞台です。その概念があることと同時に、衣装にはエンターテインメントの要素も期待されますよね。概念とエンターテインメントの要素をどう結びつけるか、それを、人間関係を示すユニフォームのように表現できないかと考えました。
パーンドゥ家とクル家というふたつの家があって、そこから遡ると神々がいて、何番目の子が王になって、という流れがあります。そこに、ふたつの対立する家が色分けされていることを小池さんから聞いたので、人間関係を色で表現しようと考えました。パーンドゥ家がレッドゴールドで、クル家がシルバーブルー。そこで関係性が見えて、舞台の展開と結びつけばと考えて衣装をデザインしました。
小池 僕が自分の表現についていつも言っているのは、空間と時間と身体のミクスチャーが表現だということです。それが結果的に舞台になっているだけであって、演劇をやりたいとか舞踊をやりたいとかではなく、身体と空間と時間をどうミックスさせるかという発想をどんどん広げていきたいと思っています。そのときに、衣装というのは空間的な要素であり、時間的でもあって身体とも絡んでくる。だから衣装が空間に与える変化はとても大きいです。衣装を着ることで、そこに生まれている社会を表現していると思っていますから。
──舞台美術を担当された栗林さんは、以前『世界会議』という小池さんの作品にも参加されています。
栗林 インドネシアのジョグジャカルタに住んでいたころにたまたま小池さんと話す機会があって、話していて感銘を受けましたし、小池博史という人間に惹かれて舞台美術を担当させていただきました。ただ、小池さんの情報を自分の頭に入れすぎず、合わせすぎずに自分にできることを出し、舞台のうえに本物が生まれればいいなと思って携わっています。自分の感覚から生まれた作品が小池演出とどう絡んで、どういう空気を出していくのかというのは純粋にひとつの楽しみです。
──そこで手がけたのが、和紙で手がけた樹木の立体作品ですね。
栗林 去年のコロナの影響で延期になったので、少し気持ちのタイムラグがあるのを自分のなかで調整しているところですが、和紙でつくったあの作品というのは、ひとつとしては自然というものを表現しています。僕らは自然のなかに生きているんだけど、じゃあ人間は自然なのか不自然なのかというのが小池作品のなかにはあると思っていて、和紙でできた木が舞台上でリアルになって観客のなかに感情が生まれたら嬉しいですね。
小池 栗林さんから感じるのは、やはり自然に対する考えであったり、結局人間というのは自然の産物であるということを忘れてはダメだということですよ。美大で教えていても、学生たちの考えがすごく狭くなっている気がしますし、美術が細分化されて色々と限定的になっていると感じます。そうすると、人間の考えはどんどん小さくなってきますから、そうではなく、大きく自然とのつながりに立ち返る必要があると思っています。白い木も、白骨化したスケルトンも、すべて自然の産物ですよね。舞台上の木や地面も白が覆っていて、生なのか死なのか、自分たちの内なる自然が舞台を覆うようなイメージであの舞台美術をやってもらおうと思いました。
──浜名さんが衣装を手がける際に、身体表現はどのように意識されましたか。
浜井 ポリエステルを主体で使い、プリーツ加工をした衣装なのですが、あのシワを記憶させる加工によって、人間の動きを造形的に増幅させることができます。私は山口県を拠点にしているのですが、ファッションデザイナーとしては東京のような最先端の情報はありませんが、そこには技術を有する工場があって、素材があって、現代の技術によって未来を生き抜く方法を考えるチャンスもあると思っているので、そのプリーツ加工の工場とはいまも一緒に色々と企画を進めています。
──ベースが共通の衣装で、それぞれに異なる身体表現を行う演者が舞台で動きを展開する様子は刺激的だと想像できます。アジア各国の演者たちから、小池さんはどのような刺激を受けていますか。
小池 もちろんそれぞれに違いはありますが、アジアとしての同質性が感じられるのはとても面白いところです。大地に根づいた身体というさっきの話もそうですし、あと、ラップ音楽を使っていますが、アジア人にとっては苦手なのかなとも感じています。ラップはビートですけど、アジアの舞踊や芸能ではリズムがつねに流動している。刻むのではなく動いているわけです。
同質性という意味では、欧米系の表現者や評論家は理由を求めることが多いですが、アジアは理由よりも感覚ですよね。自分が良いと思うか。なんとなくわかった感覚を得られるか。栗林さんはドイツに住んでからインドネシアに移ったわけですから、感じるところがあるんじゃないですか。
栗林 僕はドイツに12年住んで、そこですごく学んだのはコンセプトを説明すること。それはそれでなるほどって思うんですけど、でもやはり直感的に自然に対するアジア的な概念を知りたいと思って、インドネシアのジョグジャカルタという古典的な土地に暮らしました。そこではアジアの土着的な「自然(じねん)」というとらえ方を感じましたし、身体性の大事さを改めて考えるようになりました。
小池 インドネシアで栗林さんと会ったら、サーフィンとか素潜りをやっていて、でも現代美術家なんだ、というのが面白いと思いましたよ。頭だけではなく、自然的な身体感覚をもって作品をつくっているんだなと思えたので。
栗林 意識しないと、どうしても人間だけの世界だと思いがちじゃないですか。本当は自分たちよりももっと大きなものがあったり、危険なものがあったりすることを忘れて勘違いしちゃうんですよ、人間は。だから、僕の中で手っ取り早いのが海で、海に行ってお邪魔しますという感じで入っていかないとサメがいたり、波に飲まれたりしたら簡単に殺されうるので、人間がトップではなく、この地球のうえでさえ、お邪魔しますという自分のベースとなる基準をもっておくことは大事にしています。
──最後に小池さんへの質問ですが、今回の『完全版マハーバーラタ』まで10年近く、アジア各国で制作と公演を続けてきて得られたもの、そこから生まれた展望をお聞かせください。
小池 昔から変わらない部分ではありますが、いまも続けているのは可能性の探求です。舞台作品を制作するときに自分でコントロールできるのは80パーセントぐらいで、最終的には演者やスタッフに全面的に渡すことになるわけです。役者が怪我したり、装置がダメだとなったり、時間通りにすべてが進むこともありえません。しかし、今日もリハーサルを見ていただきましたが、あれだけ人種も異なってバックグラウンドも違う人たちが同じものをやろうとして、なんとなく同じ方向を目指すことってなかなかないですよね。それを成り立たせるのはすごく難しいことですが、そこにはやはり非常に大きな可能性があると思っています。それぞれが他者の文化や表現を受け入れて、それぞれが豊かになっていけば可能性は膨らんでいくはずです。いまやっているところの面白さのひとつはそこにあります。
あともうひとつは、もうなんでもありだなって思うようになってきています。自分が可能性あることはなんでもやってみればいいし、自分のなかで燃えたつものがあればそこには可能性があると思っているので、そういうことを学生たちにも伝えていければ良いですね。