2022.7.20

【DIALOGUE for ART Vol.6】本当にやりたいことを表現するために。ミレニアム世代とZ世代が感じたアートとの健やかな向き合い方

「OIL by 美術手帖」がお送りする、アーティスト同士の対談企画。福岡県出身・在住の浦川大志と、岩手県出身・京都府在住の松田ハル。両者はともに1990年代生まれ。たがいをリスペクトする2人の若手作家が、それぞれの制作、自分たちの世代に感じることから作家としての生き方まで、熱く語り合った。

小吹隆文=文 麥生田兵吾=撮影

松田ハル(左)と浦川大志(右)
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きっかけはSNS。気になる存在

松田 昨年(2021年)の夏、浦川さんが「遷移する風景♡」という展覧会を京都のVOU / 棒で開催されるときに、僕が作品を展示するお手伝いをしたのが最初の接点だったと思います。同じときに僕もすぐ近くのCOCOTOというバー&ギャラリーで2人展をしていたんです。

浦川 「遷移する風景♡」は3都市巡回の展覧会で、福岡の西木倉庫、東京のCASHI、そして京都のVOU / 棒が会場でした。作家は僕と梅沢和木、木村翔馬の3人です。松田君のことはSNS上ではかなり前から知っていましたが、作品を直接見たのはそのときが初めてでした。

浦川大志

松田 僕は2018年の「VOCA展」で浦川さんの作品を知り、それ以来、浦川さんのファンでした。京都でお会いしたときに、浦川さんが僕の作品を2点コレクションしてくれたんです。僕の作品は3DCGやVRの技術を使って仮想空間に3Dオブジェクトをモデリングして、それをもとにシルクスクリーンの版をつくって平面作品に落とし込んでいます。また、映像やインスタレーションの作品も制作しており、物質と非物質、現実とフィクション、オリジナルと複製など二項対立的なテーマを追求しています。

浦川 今の作風になったのはいつ頃ですか。

松田 学部生時代(筑波大学芸術専門学群)は版画を学んでいました。でも、当時は版画の立ち位置に疑問を持っていたんです。木版画にせよ、リトグラフや銅版画にせよ、昔は多くの人に絵を頒布できる最新のメディアだったものが、いまではプリンター、インターネット、スマホに置き換わっています。だとしたら、なぜいま、古いテクノロジーである版画を学ばねばならないのかと考えていました。

 そこから写真、映像、インターネット、VRなどの複製メディアと、人間がそれらを通じて充足させてきた欲望、つまり利便性や所有欲、知的好奇心について勉強すると、最新のデジタル技術と版画を組み合わせれば新たな表現が生み出せるのではないかと思い至ったんです。メタ構造的なものとして3DCGなどの最新技術をシルクスクリーンに退行させたり、複製不可能なものにすることを考え付きました。

 デジタルデータに人間の手がちょっと加わるだけで別の何かに生まれ変わる。そこがペインティングのオリジナリティに似ている気がします。キメラ的な、データでなければ絵でもない、不可思議なものが見たかった。データを版に変換する工程はすごく面白いんです。人間がやるのでミスが生じますが、むしろそれが作品の魅力にもなっていると感じています。

松田ハル

浦川 デジタル技術は大学で学んだのですか。

松田 そういう授業はまったくなくて、独学でした。例えば3DCGを作成するためのVRでのモデリングの技術は、感覚的には彫刻に近いです。また、3DCGはデータなので触れることができない。でもたしかに目前にあるというジレンマが付きまといます。それを、自分の身体を使って平面作品に変換する。データという複製可能なものを不可能にする行為や、たしかにこの場所で描いたというリアリティ。それらが現実世界につながっていく感覚は独特なものです。

浦川 独学で学ばれたんですね。個人的な話になるのですが、僕も作家活動を始めたのは高校時代で、18歳のときに初個展を開催しました。当時は普通科の高校だったため、絵に関してはほとんど独学でしたから、なんとなく親近感を感じます。

松田 18歳! 早いですね。

浦川 当初から風景をもとにした抽象画を描いていましたが、大学に入って改めて考えたときに、「今、一番触れている平面ってiPhoneじゃないか」という話に行き着きました。今は皆、スマホやPCの画像を見て写実的な絵を描いたりするじゃないですか。でも、そこにあるデバイスのことは忘れて、映し出されたイメージばかり描いている。手前のデバイスのことをもうちょっと考えてもいいんじゃないかと。ただ、デバイスのことばかり考えても、いわゆるデジタル・アートにしかならない。

松田 最終的にどんな結論に至ったのですか。

浦川 外で見ている実際の景色も、デジタルデバイスで見ているインターネットも画像も、同等に扱おうと思いました。どちらかいっぽうに注目するのではなく、それらを取り巻くすべてを等身大に扱う。白黒や善悪の二元論ではなく、すべてはシームレスにつながっているという結論です。そのグラデーションのなかにいろんなものが生息していると考えて、風景画としてそれらをもう一度とらえ直してみようと思っています。

松田 グラデーション=清濁併せ呑むという感じでしょうか。

浦川 本来、物の見方ってひとつではなく、もっと複雑だと思うんです。でも、昨今の社会は二元論的に物事を分ける傾向が感じられて、違和感があります。グラデーションはそれを解消するための個人的な概念であり、曖昧なものを曖昧なまま描くための方法論でもあるという感じです。見たままの色で描くのではなく、グラデーションを多用しているのは、モチーフを明確に描くことを意図的に避けていて、なんとなくそれに見えるぐらいの距離感を取るためです。

松田ハル《Tulips》(2022)

松田 浦川さんがつくり出す画面は非常に複雑ですが、構想段階でパソコンを使いますか。

浦川 いえ、パソコンは一切使いません。というのは、アドビなどのデザインソフトをそんない触らない人間でして。今は仕事で使っていますけど、デジタルツールを使うより普通に描いたほうが早いです。いわゆるデジタルツールで描いたグラデーションの線とか、その機能的な特性みたいなものをインストールするのがわりと得意で、ある程度慣れると手描きでそれっぽい振る舞いができるようになる。自分がフォトショになるんだ!みたいな感じで描いています(笑)。

松田 いっぽうで、VOU / 棒の個展では、リアルなカツオの絵が壁に刺さっていて、びっくりしました。

浦川 制作中に弟から「でっかいカツオが釣れた」と連絡があり、SNSの画像を見たらカツオのフォルムがめっちゃ良かったんです。それでそのまま描こうと思って。こういう偶然による外部的要因を取り込むことは、松田君が版のズレやノイズを引き受けることにじつは近いかもしれない。

松田 浦川さんが実際に見たり、釣ったりした魚ではないんですね。

浦川 今回、「OIL by 美術手帖」に出品する鍾乳洞の作品も同様で、写真をもとに描いています。山口県の秋吉台に行ったときに、鍾乳石の縦の感じがすごくエフェクトの効いたフラッシュのようで、ビジュアル的に面白いと思ったんです。自然がつくり出した鍾乳石は、現代の生活でまったく身近ではないのに、昔ゲームで見た感覚があるため既視感がありました。こういうリアルとバーチャルの関係性も、先に言ったシームレスなグラデーションに結びつきます。例えば、僕はパンダを生で見たことがないけど、パンダのビジュアルや情報はインターネットを通じてよく知っている。さっきのカツオの話もそうだけど、間接的な体験とリアルが等価なのは世代的な特徴ですかね。

浦川大志《鍾乳洞》(2021)

作品と自分たちを取り巻く環境の関係性

松田 僕は1998年生まれで、中学3年からスマホを持っていました。インターネットの技術が円熟したタイミングから様々なデジタル機器を使っている、いわゆるZ世代です。ゲームだと「ポケットモンスター」にはまっていましたが、ハードの変遷がすごく早くて、ドット絵がだんだん進化していく感じが新鮮でした。

浦川 楽だから「世代感」という言葉を安直に使っているきらいはありますが、僕は松田君より少し上のミレニアム世代です。「Windows 95」以降、デジタル技術にいつでもアクセスできる環境で育ちました。

松田 ただ、もはやインターネットが普及してだいぶ経つので、ネット=「世代感」はちょっと違う気がする。Twitterとかソーシャルメディアのほうが鮮明ですね。

浦川 学校や思春期の交友関係にSNSが入り込んでいるのが前提で、SNSがリアルな人間関係に直結している。つねに何かとつながっていたい、既読が5時間つかないと不安みたいなことが共通認識として刷り込まれていますよね。2011年の3.11(東日本大震災)も契機だと思います。ネットから流れてくる津波の映像が現実だと痛感させられました。そして今、ウクライナで起きていることも生々しく迫ってくるわけです。

松田 一時期、ゲームをやりすぎて現実の社会に戻れない「ネトゲ廃人」が話題になりましたが、VRが普及しはじめるとさらに没入感が増大して、例えばアバター同士が恋愛関係に発展、しかもそれが美少女のアバターを使うおじさん同士だったという事態も現実に起こっているそうです。これには、技術云々よりも人間の認識や経験における問題が視覚的に重点を置かれてないのが面白いと感じました。

浦川 VRも、ゲームやSNSと変わらずコミュニケーションに対する渇望から、その空間に居場所を求めて、そこに依存するかたちになっている側面があると個人的には思います。身体性を伴う分、媒体に対する距離感は没入感が上がって、そのようなことが起きるのかもしれませんね。

取材は松田の通う京都芸術大学のアトリエで行われた。作業手順を説明する松田
松田が普段作業を行っている大学内の工房。インクの香りがそこかしこから漂う

浦川 松田君は身体性がベースにある作家だと思っていますが、絵を平面ではなく3次元的な空間に描き、それをスクリーンショットで平面に起こす。わざわざ3次元でつくったものを2次元に置換するのですが、そのときに印刷の4色分解(CMYK)を使っていて、全部がちぐはぐなんです。描かれている3Dデータはカロの彫刻みたいな感じで、ある一定のポイントで見た瞬間に立体が平面として立ち上がるようなことが発生していて、それを切り取って平面にする。絵画と彫刻の中間点にいるような印象。

松田 今回の「OIL by 美術手帖」への出品作品では、3Dスキャンされた植木や植物園のチューリップなどを自分の3Dモデリングと組み合わせた、存在しない植物を描いています。このシリーズでは、人間が植物を認識している知覚は目から得た情報でしかないという皮肉を表現しました。例えば皆さんがAmazonでサボテンを買うとしたら、それはフェイクグリーンを購入するにしても画像はリアルかどうかなんて判断できない。それが3Dの植物アセットを購入するにしても同じことです。

浦川 松田君の作品ではパースペクティブが地面ひとつですよね。複数の地面が乱立することはない。このあたりは彫刻的だと思う。大地があってオブジェクトがあるという世界観でつくっている。

松田 影とか空間とか3Dにすごく引っ張られてしまうんですよね。その意味では、絵画のほうがメディアとして自由な気がします。

浦川 さらに、松田君の作品では、3Dデータの特性からオブジェクトは中身がなくて表面のテクスチャーだけなんです。だから視点が切り替わるときに壁抜けをして、別の視点、空間への切り替わりが実現できる。絵画的構造では起こり得ないイリュージョンが発生している。

最近では平面作品だけでなく映像作品の制作をしていると話す松田
最近では展示空間の仮設壁を絵のなかに入れるなど、入れ子構造で従来の絵画の枠組みを超えていこうと考えている、と話す浦川

ひとつに限定しない生き方

浦川 僕は絶対に専業作家にはならないと決めています。美術市場を信じていないので、ちゃんと別の生業を持って経済基盤をつくっておくほうが安心。専業のリスクを負わないと良い作品はつくれないという人もいるけど、作家であることが目的化するのは嫌なんです。タスクに追われるのは本末転倒だと思う。

 また、美術作品は作家の内面から生み出される側面がありますが、いまはそれが軽視されている。社会的な意義を求められ過ぎているような気がして、あまり居心地が良くない。先日見たフランク・ザッパのドキュメンタリー映画で、彼が自由な音楽活動を続けるためには、音楽以外で稼げばいいといったような話をしていて、共感していたところです。

松田 僕も専業作家として活動するようなタイプだとは思ってなくて。単純にお金のことを気にすると落ち着いてアートのことが考えられなくなると思います。今は大学院生ですが、修了後は非常勤で働くなど、様々な経験を経たアーティストになりたいと思っています。美術市場を否定はしないけど、様々な方法で作品を制作する手段はあると感じています。

浦川 僕が東京に住まないのもそういうところがあります。距離をとって自分のことだけもうちょっと考えようかなと。やっぱり身の回りのことが大事。

松田 僕の作品はテクノロジーと版画の技術を駆使していますが、技術がどれだけ進歩しても、絶対的に人としての部分を残していく、見せていくのが自分の進むべき方向だと思っています。以前参加した展覧会で「愛」という感情について考えたのですが、誰かを好きになったときの「好き」という言葉、それによって縛られる単語の限定性をとても感じました。アートの良いところは、言語ではうまく説明しきれない複雑なものを直接的に感覚に訴えられる可能性があることです。僕の作品は一見すると無機質で冷たいイメージがあると思いますが、それでも複雑な感情を伝えられるのは、自分が人間で、人間の身体を通して作品ができあがっているからだと思っています。

浦川 僕はいま、自分が住んでいる土地への関心を深めていきたい。福岡からもう一度いまの日本を検証してみるとか、「いまの時代の精神」を描きたいという欲望があります。自分の作品が、見る人の精神的な部分に作用するというか、生きづらさを感じている人、現代美術をこじらせている人にとって、僕の作品がそこからこっそり抜け出すための勝手口みたいな存在になればうれしい。毒かもしれないし、薬かもしれないし、ただの水かもしれない。そもそもセルフケアのためにつくっている部分もありますが、それが他人にも届くなら良いなと思います。

松田 現代美術は分かりにくいし、音楽やサブカルチャーのようなわかりやすさはありません。明確な問題解決があるわけでもない。だからこそ、作品が理解される瞬間は何物にも代えがたいし、うれしい。それは新たな言語の体系だし、コミュニケーションとしてひとつ上の次元にいけた気がする。そのいっぽうで、アーティストとして生きるにつれて自分の置かれている近景の状況しか見えなくなるのは危険だと思っていて。

浦川 僕が働いているのもそういう危険性を回避したいという思いがあるかな。環境を統一したくないんです。家とアート業界しか居場所がなければ、極端な価値観だけの世界になってしまう。僕は二元論的な対立関係がすごく嫌いなので、つねに3つ以上の場所をもってグラデーションをつくりたい。僕にとってグラデーションは多様性の意味もありますから。

この日、初めて顔を合わせた松田と浦川だったが、取材後も制作の話は尽きなかった

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※松田ハルの作品は、数ヶ月以内に他作品の追加出品を予定しております。