──川人さんは京都精華大学での学部生時代、テキスタイルを専攻されていました。染織への興味から絵画への展開はどのように起こったのでしょうか。
学科を選んだときはまだ高校生だったので、直感的でした。実際に学んでみると伝統的な染織技法には技術的にとても制約のようなものが多く、自分がこれぐらい細かくて美しい線を引きたいと思っても、どうしても歪みが出てしまって、そこに反発を覚えたんですね。むしろMacを使ってシャープなグラフィックデザインをするほうがかっこいいと思って、グラフィックデザインの事務所でインターンとして働く機会もありました。
グラフィックデザインの経験をしてみると、本当に細かい表現をmacやイラストレーターで追求できてしまうことが面白くないように思えてしまいました。逆に、できる限り制御したうえで生じてしまう染織の滲みや歪みに、本当は惹かれていたのだということに気づかされたんです。ただ、なんとなく染織をそのまま続けるのは違う、自分には自由が足りないという気がしていたので、東京藝大の先端芸術表現科の修士課程に入って試行錯誤し、博士課程の途中でグリッドペインティングを描き始めました。布を制作するよりもこの手法で見せるほうが、自分が染織から感じている美しさをシンプルに伝えられるのではないかと思って、絵画という手法を選ぶようになりました。
──グリッドペインティングの発想は、縦糸と横糸を紡いで柄を生み出す染織の技法が念頭にあって生まれたのですか。
まず学生時代は五里霧中で、何をしたらいいのかわからない状況でした。とりあえず手元にある素材で何かを試す感じで。たまたまベニヤ板とマスキングテープがあったので、テープを貼って線を描いてみて、何か足りないと思ったので横の線を描いて、ということを少しずつ試すうちにこの方法で描くようになりました。
──博士課程の段階でグリッドペインティングを描き始め、また、大島紬における制御とズレの構造を研究されたんですよね。
手作業によるズレや、物質性のズレなどを一番活かしている織物の一種が、私は絣(かすり)だと思っています。なかでも、とくに緻密さを極めたもののひとつである大島紬を研究しました。そこで、織物というのは併置混色によって図柄が完成していて、近くで見たときと遠くで見たときには視覚的なズレを引き起こすことに気づき、絵画にそれを取り入れようと考えました。いろいろな彩度や明度、色相を用い、極力目が揺らぐような要素を幅広く取り入れて、作品との距離によって見え方が変化する作品を描くようになりました。
──錯視効果なども取り入れた絵画表現には、神経科学者であるお父様からの影響で、脳を通して世界を認識していると意識するようになったことが背景としてありますか?
そういう要素も徐々に結びついていったのですが、子供のころよく父が働く研究所に遊びに行ったり、父の研究者仲間が自宅に遊びに来たりしていたので、何気なくそういう話は耳に入っていました。エッシャーの本や、ランダム・ドット・ステレオグラムの本などがあって、そういうものも面白いと思っていました。また、高校生のころに通っていた絵の予備校に、オプ・アートのヴィクトル・ヴァザルリの本があり、それも直感的に惹かれて影響を受けました。大学のテキスタイルの授業で初めてシルクスクリーンでパターンをつくる課題を出されたときに、これが自分なりの答えだと思って描いたのも、錯視効果が入ったパターンでした。
──いくつかの重要な要素が、段階を経て結びついていったのですね。
博士課程の論文では自分が影響を受けた分野を紐解くために、染織、神経科学、1960年代のオプ・アートというものを取り上げました。そこから自分への影響がどうつながっているのかを分析しつつ、自分がつくりたいのはどういう作品なのかを考えました。そこでグリッドペインティングを描きながら、これを端的に伝えるにはどういう言葉が適しているのかを考えるうちに「制御とズレ(Controlled and Uncontrolled)」という表現が生まれ、論文のタイトルを『制御とズレ:大島紬における「制御とズレ」の構造研究を通して』としました。
何かを見たときに、視覚的なズレ、物質性によるズレ、手作業によるズレというものを私たちは同時に感じています。しかし、色やかたち、動きなどは脳内の別々のシステムで把握し、あとから結合するという考え方があることを、論文を書く過程で知りました。そこで私がつくりたいのはいわゆるオプ・アートではなく、いろいろなものがバラバラに働いて、それがなんとなくうまく結合しないような状態なのではないかという目標が生まれました。
──「制御とズレ」というコンセプトも、その「結合しない」状態を連想させます。
作品タイトルを大きく「CU」や「CUO」などのシリーズに分けているんですが、これは、「Controlled」と「Uncontrolled」、大島紬の「O」というそれぞれの頭文字となっています。論文を書いているときに3枚作品を制作して、織り方や模様のつくり方を大島紬から引用したのですが、その制作が出発点になっています。例えば、縦糸と横糸を描くときに、大島紬の泥染という技法の気の遠くなるような染色作業の積み重ねを絵に取り入れたいと思い、グラデーションのようにだんだん真ん中に向かうほど絵具の塗り重ねを厚くしたり、蚊絣による点描のような表現を絵に引用し、錯視効果を起こしたりしています。染織技術の制御とズレの美しさを絵に反映したいと思っています。
──そこに手作業のズレが入り込んでくることも重視されていますね。
縦横のグリッド状の下絵をシルクスクリーンで制作するのですが、その下書きはmacで完璧な図柄をつくり、そこから製版したりインクを置いたりするあいだに歪みがどんどん生まれてきます。また、版を持ち上げたときにインクの気泡もできますし、下絵が完成したらマスキングテープを貼って塗りわけていくのですが、アクリル絵具を筆で塗っていくとどうしても若干の筆跡が残るので、その一番美しい筆跡を一回一回狙っていくのも大事なプロセスです。
──今回の新作で、縦横のグリッドに斜め45度の線を加えた意図をお聞かせください。
論文制作時にお世話になった大島紬の織元である元(はじめ)さんという方に、大島紬の制作工程の動画を送っていただいたことがありました。それを見て、織り上がった布ももちろんですが、まだ横糸が織り込まれる前の、染め分けられた縦糸が交互に上下している状態の美しさに強く惹かれたんです。そこから織り上げられる布のイメージを無意識に思い描くような感覚が心地よかったので、その様子からインスピレーションを受けて、垂直の線と斜め45度の線が重なる絵画を描くことにしました。
──水平と垂直の交わりで構成された画面とは異なるズレによって、新たな錯視効果が生まれていると感じます。
自分たちがちゃんと目の前にあるものを見られていないのではないか、隣の人と同じものを見て共有できていないのではないか、と考えることが好きなんです。なぜかというと、日常生活においてひとつの答えを求められる場面がすごく多いと感じるからです。これが良い、これが悪い、どっちを選ぶべきか。そういうことを疑問に思える機会が多ければ多いほど、いろいろな人にとって生活が良くなると思っています。なので、直接的ではありませんが、私の絵を見ることで視覚的な疑問をみんなで共有することが、生活の他のことにもつなげることができるのではないか、という理想があります。そのためにまずは視覚への疑問が生まれる絵を描きたいと思っています。
──今回はタブローを展示するのみではなく、壁紙やファサードのガラスにもグリッドペインティングを施した、体験型の展示になっています。
もとになったのが、Facebookの東京オフィスに設置させていただいた作品です。Facebookはすごくデジタリスティックな技術から生まれたシステムですが、そこで起こっているユーザー同士のやりとりはすごく人間的なので、そのふたつのバランスの面白さを作品に取り込みたいと思いました。そこで、デジタルプリントした柄をまず壁紙に貼り、そこにまったく同じ柄を手描きした木製パネルを設置する方法を試したんです。遠くから見ると同化して、全体がデジタリスティックだけれども、近くで見るとその差がはっきり見えるという状態が生まれました。
そのときはアクリルガッシュを使ったのですが、今回は透明度のあるアクリル絵具を使って、より手作業のズレや物質性によるズレを強く表現しようとチャレンジしました。それと、ファサードが全面ガラスなので、その一面を使用して、透明シートにデジタルプリントしたものとアナログで描いたものを並置して、内部空間とのレイヤーも楽しんでいただけるようにしました。
──そこにも、遠近感によって視界でとらえるものが変化する「ズレ」の面白さがあります。
個展のタイトルを「織(Ori)Scopic」としたのですが、人が動くにつれて見え方が変わるようなものを面白いと思うので、巨視的な見方を意味する「macroscopic」、微視的な見方を意味する「microscopic」、その中間的な「mesoscopic」という3つの単語の接尾辞からとりました。遠距離、中距離、近距離から見ることで作品が移り変わり、角度によっても変化するイメージを楽しんでいただきたいと思います。
──では最後に、アーティスト活動を続ける意義についてお聞かせください。
アーティストは責任が何もないのが一番の弱みでもあり強みでもあると思っています。直接的に人の役に立てるかというと疑問ですが、無責任だから理想を言えますし、誰かに共感してもらえるためにどれだけでも時間を使って努力することもできます。私の姉は医者なのですが、医者という職業はすごく大事なものだと思いますが、現場ごとにつねに答えに追われています。もし誰もが常に答えを出し続けなければならない状態になってしまったら、それが良いかどうかはまた違うと思います。無責任に理想を言える人がいて、人の共感が生まれる機会が増えればそれは平和になれるひとつの方法ではないかなと思っています。すごく遠回りな方法かもしれませんが、アーティストにできるのはそういうことだと思っています。