原風景としての色と、作品の美学的ルーツ
──いっぽうでマンボウの作品は、まさにビジュアルな言語としてとして、言葉や文化の違いを越えて、クリアに伝わってくるものがあります。
そこでその表現の秘密についても伺っていきたいのですが、モデルを撮ったファッションの商業写真でも家族の写真でも、例えば色彩など、誰が見ても「これはマンボウ・キーの作品だ」とわかる特徴がありますよね。そうした個性のルーツはどこにあると思われますか?
2年前、台湾最大級の芸術祭「ロマンチック台三線芸術祭」に参加して、客家コミュニティに戻って展覧会をする機会がありました。この芸術祭は、台湾の客家系集落を結ぶルートに沿って展開されるもので、僕の展示会場は、昔ながらの日本家屋で、木造の古民家でした。
そこに住む高齢の方々──つまり僕の故郷の人たちは、僕が台北という都市でどういう活動をしているかはほとんど知りませんでした。保守的な価値観が根強く残る地域でもありました。そうしたなかで、「この場所で自分の作品をどう見せるか」を深く考え直すことになったんです。
とくに考えたのが「色彩」でした。客家の生活用品って、じつはとてもカラフルなんです。プラスチック製品の椅子やテーブル、収納ボックスなど、生活の中に鮮やかな色があふれています。1960〜70年代の台湾はOEMによる製造業が盛んで、そうしたプラスチック工場がたくさんあった。僕が映画の美術をやっていた頃、そうした色彩に改めて触れて、自分のなかに染み込んでいたことを再認識しました。
だからこそ、色彩は僕にとって“語れる手段”だと思ったんです。コミュニティの人たちと語り合える、共通の感覚を持ちうる入口として。その意味でも、僕の作品の色彩感覚のルーツは、まさに客家の文化にあると思います。

──マンボウの作品には、過去のノスタルジーと未来的なビジョンが共存しています。これまで影響を受けてきた表現、アーティストを教えていただけますか。
ひとりを挙げるとすれば、中国のアーティスト、レン・ハンですね。2008年に実際に交流する機会もありました。彼の作品は、明確に「クィア」をテーマにしていたというよりも、身体や精神の自由を表現するなかで、結果的にクィア性が滲み出ていたように思います。
彼はインディペンデントで自由かつ挑発的な作品を発表していました。その後、彼が命を絶ったことを知って、「表現のバトン」ってなんて重要なんだろうと深く思ったんです。自覚的な表現が、直接的ではなくても、多くの人に影響を与えることがある。
この話は、僕が最初に話した「アジアのまなざし」にも通じます。自分たちがアジアのなかで、どういう目線で世界を見て、それを発信していけるのか。つねに更新し続けたいと思っています。



















