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「クィア」とは何かを問い続けるために。マンボウ・キーが語る家族、記憶、クィアネス

台湾を拠点に活動し、クィア・カルチャーの最前線を走るアーティスト、マンボウ・キーが東京・渋谷のPARCO MUSEUM TOKYOで個展「HOME PLEASURE|居家娛樂」を開催した。プライド月間に合わせた本展では、家族と記憶、クィアネス、そして自己表現としてのファッションまで、彼の創作の核心が多層的に立ち上がる。本展のゲストキュレーターである藪前知子(東京都現代美術館)によって行われたロング・インタビューからは、いまという時代における「ホーム」の意味が見えてくる。

聞き手・文=藪前知子 通訳=池田リリィ茜藍 編集・撮影=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

マンボウ・キー

 台湾のクィア・カルチャーを牽引する新世代のアーティストのひとり、マンボウ・キー(Manbo Key/登曼波:1986年台中生まれ)の東京での2度目の個展が、プライド月間に合わせて渋谷のPARCO MUSEUM TOKYOで開催された。展覧会タイトルの「居家娯楽(Home Pleasure)」は、その昔彼が、自分の父親の部屋で発見したたくさんのヴィデオテープに貼られていたラベルに由来する。「私的利用」を意味する検閲避けの言葉が書かれたそのテープのなかには、1980年代から2000年代に至るまで、父親が長年撮り溜めてきた秘密の同性同士の性生活が収められていた。このヴィデオテープとの出会いから、自由とは何かを探し求める彼のアーティストとしての活動が始まる。展覧会オープン直前の会場で行ったインタビューは、自らのルーツと「家族」という概念の拡張、その表現の核にあるもの、さらにはアジアのクィア・カルチャーの可能性へと展開した。

マンボウ・キー「居家娛樂|Home Pleasure」展の展示風景

「ホーム・プレジャー」が問いかける、新しい家族のかたち

──台湾で展開してきた「Father’s Videotape」の流れにあった昨年の東京での展覧会(「父親的錄影帶|Father’s Videotapes」、parcel)を経て、今回の展示は、アーティストとしてのルーツを探るところから展示が始まっていますね。

 構成は大きく2つに分かれています。最初に肉親としての「家族」にまつわる作品群。そこでは、ゲイとしてのもうひとつの顔を示す雑誌や写真、ヴィデオテープのコレクションから、家庭でもその外でも、自由に自分らしさを追求した父親、そんな彼を受け入れてきた母親、そして客家(はっか:台湾に移住してきた漢民族の一派)の家を守りつつ、統治時代に日本語の教育を受けた育ての親・祖母が登場します。そんな彼らに対するマンボウの眼差しを通して、固定化しない関係、複数のアイデンティティの集まる場である「家族」の姿が示されます。そこから、セルフポートレイトをつなぎ役としてクィアのコミュニティと協働して制作した作品へ。そこには、『VOGUE』台湾版をはじめとするファッションの仕事で撮ったドラァグクイーンから、オードリー・タンやBLドラマの俳優たち、ハッピーな結婚式を挙げる友人たちまで、マンボウの周りにいる人たちの様々な姿が写されています。まず、展覧会タイトルにもある「ホーム」という言葉に込められた思いから伺いましょうか。

左から藪前知子、マンボウ・キー

 今回の展覧会のテーマである「ホーム・プレジャー」を考えるなかで、あらためて「ホーム」とは何かを深く考えました。2部構成のうち、ひとつは僕の実際の家庭=家族を扱っていますが、もうひとつは、僕が「帰属している」と感じるコミュニティ。つまり、「ホーム」というのは、必ずしも血縁や法的な家族に限定されるものではなくて、拡張された概念としてとらえられるべきだと思ったんです。

 例えば、台北市立美術館での2019年の個展(「父親的錄影帶 | Father’s Videotapes」)における観客の反応を思い出すと、僕自身というよりも、僕と家族の関係性に共感している人が多かったように思います。アジアの社会構造のなかで、「家族」は多くの人が共通して理解できる単位なんです。

 さらに言えば、僕の仲間、クィア・コミュニティの人々も、僕の家族であり、ホームを感じられる存在なんです。そこにはドラァグクイーンの文化やファッションも含まれていて、クィア・カルチャーは僕たちにとってひとつのライフスタイルでもあるんです。

 新しい都市に行ったとき、最初に足を運ぶのはたいていゲイバーやクラブです。そこには僕と共鳴してくれる人々が集まっていて、その場所こそが「新たなホーム」となりうる。だからこそ「ホーム」という概念は国境を越え、地域性を越えていく。それはある種の生活様式であり、個々のライフスタイルなのだと思います。この展示を通じて、観客の皆さんには、「ホーム」という言葉が何か重苦しいものや義務ではなく、もっとハッピーでユーモアのある、楽しいものとして再解釈されるよう願っています。

編集部