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「クィア」とは何かを問い続けるために。マンボウ・キーが語る家族、記憶、クィアネス【3/6ページ】

表現者としての転機

──とても力づけられるし共感します。そうした使命感は、いつからお持ちだったのでしょう?  最初はファッションフォトグラファーとして注目されましたが、ご自身のキャリアのなかで、クィア的なものやそれが持つ社会的な使命をどのように自覚されていったのか。そこにはもちろん、台湾社会の変化とも大きく関わりがあると思いますが、そのプロセスについて教えていただけますか。

マンボウ・キー「居家娛樂|Home Pleasure」展の展示風景

 自覚という点で言うと、まず僕が芸術を学ぼうと美術系の学部に進学したことが最初のステップだったと思います。卒業制作でもクィアに関するテーマを扱ったのですが、あまりにもメタファーが強すぎて、うまく伝わらなかったという記憶があります。

 その後、生活のために映画業界の美術スタッフとして働いていたときに、映画のスチール写真を担当したところ、ある人から写真をやってみてはどうかと勧められたんです。後にその人もじつはセクシュアル・マイノリティだったと知りましたが、そうした人との出会いもありました。

 さらに最大の転機となったのは「失恋」でした。それを機に自分を解放しようと思い、いろんな場所へ足を運ぶなかで、自分を外から見つめるようになった。これが自覚のプロセスに大きな影響を与えたと思います。

 もうひとつの大きな出来事が、2019年の台湾における同性婚の法制化でした。同年、台北市立美術館の「台北美術賞」でグランプリをいただいたのですが、それに対して「ポリティカル・コレクトネスではないか」といった声も多く聞かれました。というのも、それまで台湾のアート界で、クィアというテーマをここまで直接的に扱った作品はあまりなかったからです。

 でも、僕は展覧会を開催することができたこと、そして今日に至るまでこのテーマを異なるレイヤーや視座から継続的に掘り下げ発表し続けられていることを、とても幸運に思っています。

マンボウ・キー「居家娛樂|Home Pleasure」展の展示風景

──きっかけが「失恋」だったというのも象徴的ですがマンボウはつねに、パーソナルで身近な人たちとの関係のなかで自分を再定義されてきたのかなと感じます。お父さんやおばあちゃんを通じてご自分を再発見したり。

 そうですね。日本に来て、新宿二丁目などのクィアな場所を訪れるなかで、台湾の西門町と重なるものを感じました。文化的な記号やイメージから想起されるもの、人々の集まり方やコミュニティの形成のプロセスなどが、非常に似ていると感じました。例えば、サウナのような場も共通しています。

 ただ一点、補足したいのは、僕がこれまで接してきたのは主にゲイ・カルチャーの人たちです。つまり、同性愛者全体というよりも、僕の生活やライフスタイルのなかで出会ってきた、具体的な顔の見えるゲイの仲間たち。彼らとは、ネット上でもリアルでも、ブラックジョークを交わしたり、あえてお互いにレッテルを貼りあったりするような遊びができる関係性です。

 それが可能なのは、台湾語という自分の母語を通じて、その微妙なニュアンスをコントロールできるから。

 ただ、日本語やほかの言語になると、やはり言語の壁や文化的な習慣の違いもあって、そういった自由な遊び方が難しくなるというのは感じています。

編集部