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建築、中東紛争、東西関係……イラン人アーティスト、シャプール・プーヤンの陶芸作品が見せる複雑な風景

東洋出身という視点から世界各地の事象や歴史を観察し、コンセプチュアル、もしくは社会批評・言及的な作品を制作してきたイラン人アーティスト、シャプール・プーヤン。銀座にある東京画廊+BTAPで日本初個展「キュクロプスの疑念、⻄洋を見つめる」を開催中のアーティストに、新作群に込められた様々な思想について話を聞いた。

聞き手・文=近藤健一(森美術館シニア・キュレーター)

シャプール・プーヤン 撮影=編集部

 シャプール・プーヤン(1979年イラン、イスファハン生まれ)はロンドンとテヘランを拠点に、東洋出身という視点から世界各地の事象や歴史を観察し、彫刻や絵画、陶芸、インスタレーションなど多様な手法で、コンセプチュアル、もしくは社会批評・言及的な作品を制作するアーティストだ。近年では、ヴィクトリア&アルバート美術館(2021、ロンドン)、ヘイワード・ギャラリー(2022、ロンドン)、ジェッダ・イスラム・アート・ビエンナーレ(2023、サウジアラビア)などで作品を展示するなど、目覚ましい活躍ぶりである。そんなプーヤンが東京画廊+BTAPで日本初個展「キュクロプスの疑念、⻄洋を見つめる」を12月23日まで開催している。新作の展示されている会場で、作家にインタビューを行った。

──最初に自己紹介をお願いします。

シャプール・プーヤン(以下、プーヤン) 私はテヘランの大学で学部、修士課程と絵画を専攻し、哲学も学びました。2010年にニューヨークに渡り、プラット・インスティテュートで修士号を取得した後も、当地に残り制作を続けてきました。そして3年前にニューヨークを離れ、現在はロンドンとテヘランを行き来しながら制作を行っています。日本を訪れたのは今回が初めてです。

──日本初個展ですが、どのような経緯で開催に至ったのですか?

プーヤン 2021年に東京画廊+BTAPでのグループ展「SUSHI—A World in a Grain of Sand」に参加し、核爆弾をモチーフにしたドーム状の作品《Tzar Trauma》(2014)を出品しました。その際はコロナ禍で来日できなかったのですが、同展はロンドンを拠点に活動するキュレーターのペニー・ダン・シュー(徐小丹)が企画に携わっていて、今回の個展も彼女をキュレーターとして迎えて開催することになりました。彼女とは企画や作品について何度も議論を重ねましたが、状況をよく把握して、この個展をまとめてくれました。今回、ロンドンやテヘランとは美術に対するアプローチが異なるここ東京で、私にとってまったく新しい観客に対し自作を公開できるということは、エキサイティングな体験です。

「SUSHI—A World in a Grain of Sand」展(2021年7月24日〜9月4日、東京画廊+BTAP)の展示風景より、シャプール・プーヤン《Tzar Trauma》(2014)
Courtesy of the artist and Tokyo Gallery+BTAP. Photo by Okano Kei

──展示について教えてください。このメインの展示室では多くの立体作品が展示台に載っています。色や形、大きさはすべて異なりますが、建築を模したようにも見えます。あなたが2017年にドバイの画廊で開催した個展でも、様々なかたちの屋根を主題にした立体作品を多数展示していて、それは建築のタイポロジー(類型学)的な側面もあったと思いますが、今回も同様の試みですか?

プーヤン ここに展示されているのは、今回の個展のために過去9ヶ月のあいだに完成させた作品ですが、従来の作品と決定的に異なるのは、建築的に見えるけれど実存する建築を参照したものではなく、純粋に想像上のものである、ということです。ご指摘の通り自作の多くには建築的な要素があり、戦争の遺構などをコンセプトとして含むこともあります。しかし、今回は彫刻的表現を彫刻として探求するという、私にとっては初の試みでした。想像力を働かせて制作を行いましたが、建築は彫刻をつくるためのボキャブラリーとしてのみ参照しました。人物像を描くにあたって人のかわりに建築的な造形を使ったと言い換えてもいいでしょう。

 もうひとつの新しい試みは、彫刻の多様な角度や視点を探求したこと、例えば、建築の内部にランドスケープを開くように、鑑賞者が作品の内部にも視覚的にアクセスできるようにしたことです。彫刻にもっと奥行を持たせる方法を考えた末での結果でした。外側で起きていることと内側で起きていることが同時に理解できるという状態ですが、これはある種、キュビズム的とも言えます。また、この内と外という関係性は、作品と展示台との関係性にもつながります。

 例えば《Hidden Tower 2》(2022)ですが、これは作品の下部が展示台のなか、深くまで入り込んでいます。外側から見ると、どこまで深く食い込んでいるのかわからないのですが。作品と展示台が一体化しているので、どのように切り分けて販売するべきなのか、冗談を交えながら画廊のスタッフと話し合いました(笑)。

シャプール・プーヤンと《Hidden Tower 2》(左、2022) 撮影=編集部

──作品の形状が想像上のものだということはわかりました。それでも作品の素材である粘土は形を自由自在に変えることができますし、作品をご自身の手で制作したのであれば、粘土を捏ねるうちに実在する建築のイメージが頭に浮かぶ、ということもあるのではないでしょうか?

プーヤン 展示作品はすべて自分の手でつくりましたが、実在する建築とのあいだに直接の関連性はありません。ただし、人が想像するものがその人の現実から生まれることも事実です。例えば、作品で扱っているゴシック風のドームは非常に特殊な形です。私にとってこの形は宗教的保守主義や原理主義の暗喩でもあります。いま、宗教の過激化の波が我々に押し寄せていますよね。私はつねに作品のなかでこの宗教という概念を扱うと同時に、その力に対して疑問を投げかけているのです。

 例えば、《Hidden Dome》(2022)は、原子と核弾頭の関係についての想像をもとにつくったものです。核弾頭はおそらくシベリアかアメリカの地中に隠されていて、ハッチが開いてミサイルが出てきます。ジェームズ・ボンドの映画のように。そして、モスクや教会のドームとよく似た、独特な形をしているのではないかとも思っています。ミサイルに対しても宗教に対しても、我々は恐怖や不確かさを感じますが、そういう感覚に興味があります。イスラエルとガザのように、いま起きている紛争の多くは宗教に起因するものですよね。

「キュクロプスの疑念、⻄洋を見つめる」展の展示風景より
Courtesy of the artist and Tokyo Gallery+BTAP. Photo by Okano Kei

 それから私にとって、この作品はビルのようなものですが、何かが発射されるかもしれないので、脅威でもあり、同時に、記念碑かもしれないし、ただの彫刻で無害かもしれない。そんな「不確かさ」と戯れてみようと思ったのです。

──この展示室の作品はすべて粘土からつくられた、いわゆる陶芸作品ですね。あなたは2014年にドバイの個展で発表した「PTSD」シリーズで初めて陶芸という手法を用い、それ以降このメディウムに取り組んでいます。このときは心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療手段として陶芸が用いられることを着想源として、陶芸の手法を用い始めたと聞いています。あなたにとって陶芸とは、どのようなものなのでしょうか?

プーヤン はい、陶芸を始めたのはこの障害に関する話がきっかけです。陶芸というメディウムは少し難しいですが……少しずつ理解しながら取り組んでいます。じつは、私は陶芸の古典的な技法を十分に習得しているわけではありません。私の粘土の使い方は標準的な方法とは違っていて、ある作家が木を使うように、私は粘土を使っている、という感じでしょうか。展示作品のなかには、完成に2年かかったものもあります。陶芸という素材を追究したくて年月をかけたのです。最初は釉薬をかけずに焼き、2回目に釉薬をかけて焼き、3回目に焼く決断をするまでにさらに1年かかりました。作品の形状が焼成に耐えられるのかわからなかったのです。これはメディウムの特性の境界を押し広げる試みだったと思います。 

「キュクロプスの疑念、⻄洋を見つめる」展の展示風景より
Courtesy of the artist and Tokyo Gallery+BTAP. Photo by Okano Kei

──あなたが約10年間取り組んでいる陶芸ですが、いま、世界的に見て、現代美術界では工芸の見直しや再評価という動きがあります。それをどのように考え、制作上どのくらい意識していますか? 例えばロンドン、ヘイワード・ギャラリーでの「Strange Clay: Ceramics in Contemporary Art」展(2022)に参加したことも関わってくるかと思います。

プーヤン 私は10年間、工芸的な要素のない美術は美術ではない、と毎日のように訴え続けてきました。つまり美術から工芸の要素を取り除いたら、ただの退屈なオブジェになり何も残らないと、言い続けてきたつもりです。そして、美術作品はコンセプトと工芸的要素のあいだの良いバランスが必要だと思っています。コンセプトのない工芸はただの装飾ですし、工芸的な要素のない美術は説教やプロパガンダ、もしくは文学のようなものだと思います。ですから1960年代のある種のコンセプチュアル・アートについては、壁に貼られた印刷物にすぎず、ただアイデアや哲学を伝えているだけで美術ではないのだと思ってしまいます。詩的な側面や工芸的な要素がなければ、楽しさは見出せません。

 ──今回のもうひとつの新しい試みとして、鏡を用いていますね。

プーヤン はい。私はつねに彫刻に別の要素を加えられないかと考えています。あるとき、イランのチェヘル・ソトゥーン宮殿が水面に映って二重になっているのを見て、とても美しいアイデアだと気づきました。そして、ある作品を鏡の上に置いたとき、突然、停滞していたエネルギーが動き出したように感じられました。

 例えば《Relic Holder》(2022)は、彫刻を開いていこうというアイデアの延長線上にあります。鏡に映すと彫刻の可能性が広がるのです。彫刻の表面だけでなくその中に入っていくことができるからです。物理的にはドームが逆さに吊られているのですが、下に敷かれた鏡に反射して、中のドームが正体として見えます。つまり、反射像の中に本物のドームがあるわけです。これは反射した像の遠近法やキュビズム的なアイデアを彫刻に取り入れる、という実験でもあります。

展示風景より、《Relic Holder》(2022)
Courtesy of the artist and Tokyo Gallery+BTAP. Photo by Okano Kei

 それから《Cross Maze》(2022)は、鏡は使っていませんが、建物の中と外の関係を弄んでいます。十字型の作品と展示台のあいだの部分には迷路のような彫刻が見えますが、複数の視点を彫刻に取り入れたという意味で、人工的につくられたキュビズムであるとも言えます。建物の内部にアクセスできるという意味で、内部でも外部でもあるわけです。この「迷路」という概念に関連して、ウクライナやイスラエルの戦争について我々が耳にする物語や政治家の発言をどこまで信じていいのかは疑問ですが、私は政治の世界全体を迷路のようなものだととらえています。うまく進もうとするけれど失敗する、そんなところです。

展示風景より、《Cross Maze》(2022)

──こちらの展示室には平面作品《Untitled》(2020)が展示されていますが、白黒の作品は不穏な空気も漂っています。テーマは何ですか?

プーヤン このドローイングのモチーフは、前イスラム時代につくられた王座に座る王と周囲に立つ護衛兵が表現されている岩のレリーフです。私はこのレリーフを非常に美しいと思うのですが、じつはこれは典型的なプロパガンダでもあります。それを踏まえたうえで、丁寧に鉛筆で模写した後に消しゴムで人々の顔を消し、本作を完成させました。制作当時、ISISがイラクやシリアで遺跡を破壊していましたが、本作は歴史と遺産の破壊がテーマです。

Untitled 2020 104 × 155 cm 紙に黒鉛
Courtesy of the artist and Tokyo Gallery+BTAP

──展覧会のタイトル「Cyclopses in Doubt, Observing the West(キュクロプスの疑念、⻄洋を⾒つめる)」にはどのような意味が込められているのですか? これはキュレーターのペニー・ダン・シューさんが付けたものですか?

プーヤン いえ、自分で付けたタイトルです。これを理解するためには、塔のような作品をいくつか見てもらうのがいいと思います。作品には小さな穴が1つ開いていて、方位磁石を使って展示するのですが、すべて西を向いています。この窓が1つある塔は、ギリシア神話に登場する単眼の巨人キュクロプスを想起させます。怪物でもあるこの生きものは内気で座り込み、西を見て怖がっているだけです。これはイランや中国、ロシアなど東側諸国のメタファーです。日本ではどうかわかりませんが、実際、我々は西洋に対して恐怖を抱き、西側からもたらされるものに対して懐疑心を持っていると思います。それから、この生きものが怪物であるという点も重要です。歴史的に西洋は東洋を悪魔として描写することがありましたから。このように、本展は根底では東西関係について考察しているのです。

展示風景より、《Green Tower》(2022)
Courtesy of the artist and Tokyo Gallery+BTAP. Photo by Okano Kei

──お話を聞いて、イランをはじめとする中東の長い歴史と豊かな文化を敬愛し、また、東洋の視点で世界を分析していることがわかりました。あなたは長年、ニューヨークを拠点に活動していて、私も向こうで2回お会いしていますが、随分と現地に馴染んでいて、イラン人作家というよりはブルックリン作家と形容したほうが的確だという印象を受けました。しかし、いっぽうで、米国や英国ではいろいろとご苦労もあると思います。

プーヤン じつは米国を選んだのは父の影響もあります。父は1960年代にエンジニアとして米国で暮らしたことがありました。当時はイランと米国は同盟関係にあり、またイランも文化的・経済的に黄金時代で、父も米国滞在を謳歌しました。対照的に私が渡米したのは9・11の後なので、反イスラムという空気のなかイラン人は差別を受けることが多かったです。米国でも展覧会には参加していますが、いつもイラン人作家という文脈での参加です。私のドーム型の作品を見て、モスクをモチーフとしているととらえる人もいるのですが、私はそのような作品を制作したことはありません。私の作品に対する米国の人たちの理解をなかなか得ることができず、苦労しました。作品の意図がわかりにくいことが原因なのかもしれませんが。

 それに対し、英国では米国よりも人々が世界に対して深い知識を持ち、もう少しオープンな気がします。それは、イランと英国、もしくは中東と欧州の歴史的な関係の深さに起因すると思います。もちろん両者のあいだには紛争もありますが、人々の交流が続いていましたから。そういう意味ではロンドンに移って良かったと思います。

──新天地のロンドンで、益々のご活躍を期待しています。今日はありがとうございました。

プーヤン ありがとうございました。

「キュクロプスの疑念、⻄洋を見つめる」展の展示風景より
Courtesy of the artist and Tokyo Gallery+BTAP. Photo by Okano Kei

 日本の美術界ではあまり政治的なものを扱わないと聞いたので、今回は建築をボキャブラリーとして使いつつ、陶芸という手法でよりアーティスティックな方向性を追求した、と作家は語っていたが、話を聞いてみると、やはり彼が過去に扱ってきた暴力や紛争、宗教、東西の力関係という政治的な関心が制作の根底にあることが確認できた。じつは、作家は小林正樹の映画作品『怪談』(1965)を愛すなど日本の文学や映画に精通しており、福島第一原子力発電所事故に作品で言及することもあるため、今回の初来日で見聞きしたことが今後の制作にどのように反映されるのか、注視していきたい。 

編集部

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