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2020.8.17

ペインティングを存在させるためのたったひとつの方法。Shohei Takasakiインタビュー

OIL by 美術手帖ギャラリーで個展「sun, snake, nipples」を開催中のShohei Takasakiは、日本で活動後、2013年からポートランドに渡り、以降世界各地で作品を発表。躍動的な色彩と力強いタッチによるペインティングが印象的なアーティストだ。本展のタイトルにもある「nipples(乳首)」をテーマにしたきっかけや、アーティストとしてのコロナ禍への応答について、Takasakiと本展キュレーターのEri Takaneに、「美術手帖」総編集長の岩渕貞哉が話を聞いた。

聞き手=岩渕貞哉(「美術手帖」総編集長)

Shohei Takasaki photo by Yosuke Torii
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アブストラクトな絵画を経験するベストタイミング

──ショウヘイさんは2019年にアメリカのポートランドから帰国し、現在はご家族で都内にお住まいですね。この展覧会の準備期間を含めた新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛期間は、どのように過ごしていましたか?

Takasaki アーティストとしての生活は、もともとそこまで人と会う仕事じゃないので、以前とほとんど変わっていないです。毎朝子供を送ってから、スタジオに来て、夕方5時か6時くらいに家に帰る。

 でも新型コロナの問題があってからは、フレキシブルにどこでもドローイングできるセットをつくりましたね。毎朝ドローイングを描くことにしているんですが、それが持ち歩けるサイズになりました。というのも、毎日必ず同じことが起こると思わなくなったから。例えば明日はスタジオに来られないかもしれないから、車の中で描けるくらいのサイズにしとこうかなって思うようになったかな。

──新型コロナの影響で考え方が変わったとしても、とくに絵画においては、すぐに画面に反映されるようなことはなく、熟成されたものが時間をかけて表出してくるのかなと思います。

Takasaki そうですね。アーティストによっては、リアルタイムで事が起きているときにリリースしないと、みんなに忘れられてしまうから意味がないと考える人もいますが、僕は頭のなかで2年や3年経ったあとに、やっとリリースできるというタイプです。両方のタイプがいるのが自然だと思いますね。

 キュレーターのエリと一緒に、アーティストにインタビューするウェブサイト「dddyyyhhh.com」を先日ローンチしました。

 5月頃からインタビューを始めて、コロナによる生活の変化についても数名のアーティストに聞いてるんですが、まさにその最中に黒人が殺された事件があったりして。しかも今アップしているアーティストはたまたま全員アメリカ在住なんです。なかには「アメリカ人または日本人として、ニューヨークに住んでアーティストとして活動してることについてどう思う?」という質問もあるんですが、みんながこれに答えてくれたあとに、黒人のジョージ・フロイドが白人警官に殺され、一人のアーティストは絶対答えを変えなきゃいけないって、テキストにすごく手を入れた。そこにはものすごい怒りと悲しみがあったと思うんです。

Shohei Takasaki、スタジオにて

──今回の個展「sun, snake, nipples」の作品はすべて、2020年に制作されたものですね。新型コロナウイルスによって、世の中の状況がすごく変わっていくなかで描かれた作品になりますか?

Takasaki そうですね。でも、もっと長い目でみて、ここ2、3年くらいで表現が変化しました。アブストラクトを取り入れたスタイルに帰ってきたような気がしてるんです。アートをやり始めた、なんにもわからずただただ描いていただけの頃に、もともとこういうことをやっていたんです。

 それが、アート・ヒストリーについて学んだり、いろんな人と出会ったり、コンテンポラリー・アートについて知っていくなかで、いろんなことにトライしてみたくなり、ここ10年間ほどでグラフィカルなものやミニマルなものなど、僕なりに色々実験を繰り返してきました。

 でも最近偶然アブストラクト寄りに帰ってきて、この作品の背景にどんなコンセプトがあるのか、ということの他に、単純に描いていて気持ちいいとか、何かわからないけど色がきれいとか、そういう要素もじつは少なからずあってもいいということがわかってきて、帰ってきた感じです。だからここ何年かは、けっこう気持ちがいいですね。

──いいですね。今回のアブストラクトは、いろんな要素が詰まっていて密度があるけれど、ぎりぎりのところで均衡を保ってるという印象を持ちました。

Takasaki 今回のショーではとくに、ビューアーに対して、問いかけてくるような、挑戦してくるようなピースをつくりたかったんですよ。自分でそのピースと対峙して、自分でコネクションをつくってくださいということをやりたかったんです。ペインティングのアプローチのなかでは、アブストラクトが一番それをできると思うんですね。何が描かれているかわからない分、考えないといけないので。

 しかもコロナがあって、みんな今まであった「普通」が「普通」じゃなくなって、例えば本当に自分は東京に住みたいのかとか、食べものを変えてみようかとか、いろんな人が物事を違う角度から見るきっかけになった。そういう意味でも、アブストラクトのペインティングを経験するのに、ベストタイミングだって思うんです。だから今回のショーの作品は、コロナと密接に関係してます。

Shohei Takasaki「sun, snake, nipples」展示風景 Photo by Shin Hamada

──ショウヘイさんの絵は、自身も影響を受けているとおっしゃっているように、やはりピカソを連想します。ピカソがミノタウロスなど同じモチーフを延々と描き続けていたのも、線を重ねていく、なぞることの快楽があったと思います。あるいはアフリカのフォークアートなど、自分とは異なる文化で生きる人たちの造形を自身の体のなかに入れる感覚。そういうものを連想しました。

Takasaki 今回のいくつかの出品作品のタイトルを《found object》にしているのは、そこにとても関係してるんです。found objectって、レディ・メイドじゃないけど「もともとあるもの」を敢えて使うことですよね。ほかのアーティストもそれこそみんなが戦っている問題だと思いますけど、2020年に生きてるアーティストとして、何ができるのかって考えたときに、すでにそこにあるものを使うしかない場面も時々あるんです。

 みんな知ってるとおり、僕はピカソがすごく好きだったから、ピカソっぽいラインをあえて使っているところがあって、彼らのスタイルを盗んでいることを大々的に言いますよっていう意味で、found objectってタイトルにしてるんです。

Takane そういう意味では、無いものなんて無いという情報過多の今の時代にあってますよね。

Takasaki うん。だから僕は、今はけっこうハッピーな時代だと思う。90年代あたりからArt is Deadと言われているけれど、逆に言うと誰が何してもいいっていう意味ですよね。

 だから、あえてそこから距離を置いて、意識してそうならないようにつくっていた時期もあります。描いてる最中に「あ、ピカソっぽい」とかあるんですよね。マティスだなとか、ホックニーとか、ポロックとか。何からも影響がないと言ったら嘘になる。

日本人が日本について考えること

──日本で活動したのちにポートランドに行き、今また日本に戻ってこられました。制作や生活において心境の変化はありますか?

Takasaki アメリカに日本人(外国人)として住んでいると、そこの国で起こっていることと何らかの距離があります。それはそれで、ある意味おもしろいし、少し違った角度から意見が言えるということだと思うんですけど、自分のことに感じられないときもあるんです。

 それに対して、僕は日本で生まれたので、日本に住んでいると社会に対してレスポンスしやすいなと思いますね。日本に住んでいるからできる作品もあるし。

 ほかの変化は、じつはイライラすることが多くなりましたね。歳を取るごとに世の中に対してイライラすることが増えた気がします。

Takane 自分のことを客観的に見られるのはすごいですね。普通はどんどん頑固になるのに。

Takasaki でもアートをつくるときってすごく客観的に自分のことを見るんだよね。人にこれを言うと誤解されて、時々すごく落ち込んだりもするけど。

 つまり、僕は同じことが続けられない質で、「この絵こそShohei Takasakiだ」みたいなのもなくていいと思ってるんです。というのも毎日すごくいろんな影響を受けてる分、作品も変わっていかないとダメだと思っているから。音楽でいうとラモーンズみたいにずっと同じことをやり続けている人たちは本当につまんないなって思うタイプなんですよ。それを人に話すと、時々勘違いされてしまう。そのことに、イライラしたりします。

Shohei Takasaki、スタジオにて

──若い時は自分が一人前になることに精一杯なので、いまのショウヘイさんはその次の段階にいるのかもしれない。自分のことだけじゃなく、自分が社会に対してできることを考えるようになった。今の日本にかぎらず世界の社会の状況は、コロナ禍の前も含めて問題が多いですから問題意識も大きくなりますよね。

Takane 私も今回のステートメントに書いたように、自分のやってることって正しいのかなと考えるようになりました。

 私の場合は、自分が15年近く住んでいたNYでのBlack Lives Matter(BLM)が大きくて、車が炎に包まれていたりお店が壊されてる写真が友達から送られてくるなかで、どうなるんだろうと考えてしまって。

Takasaki ただ、BLMは日本でもすぐに流行り物になってしまったよね。アメリカで起こったことでありながら、それぞれの国のいろんな問題に置き換えられるので、みんな共有すべきだけど、ほかにもっと日本人が考えるべき問題があると思う。

 僕は埼玉県の朝霞の近くで育ったんですが、近くに朝霞駐屯地があって、ベトナム戦争とかで傷ついた兵士がそこに送られてきて、例えば死体を洗うバイトがあったっていうことを両親から聞いたり、僕の世代でも小学校で朝鮮をバカにするじゃんけんが流行ったりしていたのも事実として僕は覚えている。あれも差別の一種だし、アジアのなかで日本という国が日本以外の国をすごく差別していた歴史があるから、僕はアメリカで起こっていることを日本という国にリフレクトさせて考えていましたね。

ペインティングの存在価値

──外出が制限されるなかで、お子さんとの時間が増えたりといった変化はありましたか?

Takasaki 一緒にいる時間はすごく増えました。本当に可愛くてしょうがないよね(笑)。今回のテーマ「sun, snake, nipples(太陽、ヘビ、乳首)」は、5歳の息子から思いついたことがすごく関係してるんですよ。

 まずなんでこんなものがくっついてるんだと、息子の乳首を見て思った。物事を違う角度から見てみるという、さっき話していたことともつながるんですが、自粛期間中に「男の乳首」についてもけっこう考えたんです。

 機能的じゃないものをどうやって機能的にできるかということは、普段よく考えているんですが、今回の展覧会は「男の乳首をどうしたら機能的に使えるのか」をテーマにしました。

 とくに彫刻は、ペインティングよりももっと男性の乳首にフォーカスしたものです。まず、男性の乳首を有効に使う(Activateする)5つの方法というのを考えたんです。

 そのなかのひとつが、男性の乳首にリングピアスをして、そのリングとリングの間にワイヤーを通したら、例えば料理するときにおたまとか鍋つかみが掛けられて便利だなと。そういうアイデアから厳選した5つを、今回の展示でプレゼンテーションします。

 僕は男の乳首に機能がないと定義したいわけでなく、見た人に聞いてみたいんですよね、どう思う?って。

──なるほど(笑)。SunとSnakeにはどんな意味が込められているんですか? エデンの園など、神話的な世界観をイメージさせます。

Takasaki それいいですね! そう考えると日本ぽくないですね。今回、アブストラクト寄りのペインティングを発表するので、タイトルにもある程度ミステリアスな部分を残しておきたくて、抽象的な3つの言葉にしたんです。それぞれビューアーがどんなストーリーをつくるのか楽しみです。

Shohei Takasaki「sun, snake, nipples」展示風景 Photo by Shin Hamada

──これまでは主に女性の身体を描いていましたよね。

Takasaki そうですね。ただ最近は女性より男性の身体に興味がありますね。原因のひとつとしては、去年の夏に帰国してから、日本と自分といったことや、自分自身について考えることが多かったからでしょうね。自分は男だし、自分の身体のパーツはすぐ見られるから。

 帰ってきて思ったけれど、東京ほどクレイジーな街はなかなか他にないし、街自体のサイズもでかいし大きい。面白いです。コロナで出かけられないけど、アートを鑑賞することが今やれることとして、すごく良いことのような気がします。

 どこまでいってもインディビジュアルで、一対一だから、基本的に誰かと同じ瞬間に分かち合うという経験じゃないですよね。言語化してもこれはこうだねって分かち合うのはすごく難しいし。つまりアート鑑賞は時間をかけて作品を読むということだから、自粛中にやることとしてはいいことだと思いますね。

──そうですね。アートシーンでも近年、世界中でアートフェアや国際展が増えていき、見るべきものが増えて、それを追いかけていくので精一杯といった状況が加速していた感があります。コロナ禍によって、自分が本当に向き合いたいアートはなにかを再考するきっかけになった人は多いと思います。最後に、何か言っておきたいことはありますか?

Takasaki ペインティングというフォーマットって、アートの中でもとくに役に立たない物体だと思ってるんです。基本的には壁にかかっているだけの薄い物体じゃないですか。これが例えば、全然興味のないペインティングだとしたら、粗大ごみでしかない。彫刻だったら例えば腰かけたり、物を置いたりとかもできるけど。

 だからペインティングって、その存在価値を与えるためにこの絵がなんで良いのかっていうことをみんなで話さないと、それはそこに自分で立っていられない存在なんです。だから僕はペインティングっていうアプローチがいまだに一番面白いと思っているし、それがアートの面白いところだと思う。

 アートに対してそれぞれの解釈があって、それをこう思うって話すことで、その作品がこの世界にいていい存在意義が生まれるって、人間しかできないこと。だから、アートにもっと触れたほうがいいっていうメッセージだと思うんですね。

──それは面白いですね。ペインティングは美術のメディアでも王道のもので、か弱い存在だと意識したことはなかったです。

Takane 私もすごくそう思います。コロナで思ったのは、例えばこのスマホは10万円でこれだけのことができるのに、ペインティングってなにもできない。

 でも考えさせる力は、アートにしか備わっていないものだと思います。とくに抽象画は答えがなくて、自分と向き合って自分で価値を見いださないといけない。それは適応しながら生きていかなきゃいけない人生のなかで、自分でチョイスしてくという決断力にもつながるんじゃないかなと思います。

Takasaki ありきたりなことを言いますけど、アートは人生にとってすごく重要なものだと思いますね。そしてそれ以外はあまり意味がないこと。

 アートは人間にしかできないものだし、勉強すればするほど面白くなるから、もっとアートを知って楽しんで、あとはワイルドに、セックスして寝てご飯食べて。それ以外に何があるのって感じですね。本当にそれだけでいいって思う。