新しい技術がこの社会に浸透したときに、 人間や企業の営為、社会のシステムが どう変わっていくかに興味があります
サイモン・デニーは、近年急速な進化と陳腐化のサイクルを繰り返すテクノロジー、企業論理とネオリベラリズムなど、現代社会の諸問題をリサーチし考察を重ねてきた作家である。現在、水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」展では、昨今世界的に注目を集めるビットコインなどの暗号通貨のコア技術「ブロックチェーン」とこの技術のキラーアプリである「イーサリアム」などをテーマにした作品を出品。激動する社会や技術革新に対して、アートはいかに拮抗しうるか。彼がこの作品でこれらの新しいテクノロジーを題材として扱った理由を聞いてみた。
「まず、今回展示した映像作品では、ブロックチェーンの根底にある思想であるフリードリヒ・ハイエクなどの新自由主義を、プロパガンダ的に誇張して表現しています。彼の思想で重要なのは、何かの価値は必ずしも真実を表すものではない、ということ。すべての取引が追跡できるようなシステムがあれば、それは『真実』を生み出す装置になる、ということがブロックチェーンの重要なストーリーですが、同時にそれが急速に商業化していることを皮肉を込めて描いています」。
ブロックチェーン技術は、ユーザー同士の直接的なやり取りを安全に行うための暗号化技術であり、政府や大企業を介さない、民主的で非中央集権的なシステムとされている。貨幣が銀行や政府によって管理され、インターネットの世界がGoogleやアマゾンといった巨大企業に集約されたことを考えると、この技術はレジスタンスの最後の希望のように映るが、彼はこれを否定する。
「作品のテーマはブロックチェーンの政治性です。この技術はお金や法律などにパラダイムシフトを起こす可能性があると思います。
しかし、インターネットの脱中央集権の思想と中央集権化の歴史を鑑みると、ブロックチェーンの楽観的な見方に対して疑問があります。この技術の開発者たちは、ブロックチェーンで自律分散型の平等な社会をつくれるよ、という民主化のストーリーをつくりましたが、実際はその正反対になることが想像できます」。
ロックチェーンで自律分散型の平等な社会をつくれるよ、という民主化のストーリーをつくりましたが、実際はその正反対になることが想像できます」。
たしかに、エドワード・スノーデンが暴露したNSAによる大規模な監視の実態など、インターネットがいまや中央集権化の強力な「兵器」として利用されている。これが貨幣や法律などの伝統的な社会インフラで起きたら、私たちのプライバシーや自由は危機的状況に陥る恐れがある。本展に出品された作品の中のボードゲーム「Risk(リスク)」にはそういう意図が含まれているのだろうか。
れが貨幣や法律などの伝統的な社会インフラで起きたら、私たちのプライバシーや自由は危機的状況に陥る恐れがある。本展に出品された作品の中のボードゲーム「Risk(リスク)」にはそういう意図が含まれているのだろうか。
「まず、このゲームに「Risk」というタイトルをつけた理由は、資本主義の中心的な要素としての経済的な「リスク」について扱いたかったからです。またそもそも「Risk」という有名なボードゲームがあるのですが、世界の地政学的なものを描くマップとして興味深く、そのパロディでもあります。この作品でのボードゲームという手法には、いまのコンピューティングやブロックチェーンのベースともなっているノイマンのゲーム理論、またゲームにある美学という要素もふくまれています。この作品ではブロックチェーンによって描くことができる未来の3つのビジョンを表しています。ひとつは銀行によるブロックチェーンの解釈に基づいた未来。2つ目は自由市場を推進しているような企業による未来。3つ目はハッカーなどが考えるユートピア的な未来です」。
新しい技術と伝統的な言語
ボードゲームの要素やルール解説をよく読むと、この作品が綿密なリサーチのうえで制作されていることがわかる。だが、ブロックチェーンという技術に魅力を感じ
るのであれば、起業家や技術者として実業で社会に問うてみたくはならないのだろうか。
「ブロックチェーンは破壊的な技術としてインスパイアされる存在ですが、私は、新しい技術がこの社会に浸透したときに、人間や企業の営為、社会のシステムがどう変わっていくかに興味があります。そして、伝統的なアートの展示のような古い言語を用いて、新たな社会の要素がどうなっているのかを浮き彫りにしたいのです」。
さて、本展には、「芸術は社会の『危機早期発見装置』である」というマーシャル・マクルーハンによる言葉が引用されている。社会を先見性と鋭い洞察で読み解き、非言語的手段によって警鐘を鳴らす、というアートの役割について、最後に聞いてみた。
「アートというのは未来について考察するものでもありますが、それだけではありません。少なくとも私の作品では、現在何が起こっているのかを探究しています。未来というのは、現在、そして過去に既に内包されているものです。いまもしかしたら作品のなかで新しいと思うことがあったとしても、全部すでに起こっていることです。だから自分の作品は未来ではなく、現在起こっていることに対応していると考えています」。
来というのは、現在、そして過去に既に内包されているものです。いまもしかしたら作品のなかで新しいと思うことがあったとしても、全部すでに起こっていることで
す。だから自分の作品は未来ではなく、現在起こっていることに対応していると考えています」。
技術や社会の背景にあるナラティヴ(神話)を浮かび上がらせること。彼は、ストーリー(物語)ではなくナラティヴとして、ソクラテスの時代から変わらない人間や社会の営為を浮き彫りにする。だが、結論が定まったストーリーではなく、ナラティヴにおける結論たる未来は、受け手の決断や行動に委ねられる。現在をストーリーからナラティブに開放すること。これはアートに課せられたひとつの使命なのかもしれない。
(『美術手帖』2018年4・5月号「ARTIST PICK UP」より)