さいたまトリエンナーレ 2016開幕!34組が新作で参加

さいたま市にとって初の芸術祭「さいたまトリエンナーレ2016」が、9月24日より79日間の会期で始まった。ディレクターに芹沢高志を迎え、国内外より34組のアーティストが参加する今回は、各アーティストがさいたまに滞在、あるいはリサーチして制作した新作によって構成。与野本町駅〜大宮駅周辺、武蔵浦和駅〜中浦和駅周辺、そして岩槻駅周辺の3エリアを会場に、アートプロジェクトとパフォーマンスプロジェクトが展開される。

秋山さやか 雫 2016

さいたまでトリエンナーレをする狙いとは?

芹沢高志がディレクター就任の打診を受けたのが約2年前。そこから「市民と一緒になって芸術祭をつくっていく」という考えに立ち、準備を進めてきたという。「さいたまとはどういう街なのか」、「その特徴とは」を考えるために1年前から「さいたまスタディーズ」と題した研究会を重ね、そこで得た知識を参加アーティストに伝えてきた。

「さいたまってどんなところか?と聞いて回ったら何にもないとみんな言う。それは逆説的に言えば、なんでもあるということ」そう語る芹沢。「さいたまには田畑や工場、倉庫群、自然など日本を構成するようなものが揃っている。芸術祭には越後妻有のように自然を中心としているものや、愛知のように芸術センターを中心としているものがあるが、さいたまはそのどちらでもない。これが日本の典型的な場所でもある」。今回、「未来の発見!」をテーマに掲げたさいたまトリエンナーレ2016。「全体的にイマジネーションが縮んでいっている」という日本の日常に、アートの力で想像力を散りばめていくことが、このトリエンナーレの目指すかたちの一つだ。

自分から、自分へ 秋山さやか《雫》(市民会館おおみや)

秋山さやか《雫》の展示風景。ガラスがそのまま大きな封筒のようにも見える

市民会館の地下、かつての食堂に吊り下げられた膨大な数の手紙。秋山さやかは今年の6月よりさいたま市内に一時的に居住し、3か月半に渡って自分宛の手紙を書き、送り、受け取り続けた。その数は500通に上るという。タイムラグがある手紙という媒体によって閉じ込めたのは日々を綴った日記のようなもの。秋山はこう語る「自分の剥がれ落ちた細胞を自分に送り、自分で受け取っているような感じ。500通の手紙は過去のまま、冷凍保存したように会期中展示されていく」。会場には制作のために使用した道具も残されており、作家の営みを肌で感じることができる。

スーパースローで浮き上がる駅の一コマ アダム・マジャール《アレイ #3》《ステンレス、大宮》(旧民俗文化センター)

アダム・マジャール《アレイ #3》の展示風景

スーパースローモーションによって世界のターミナル駅を撮影してきたハンガリーのアダム・マジャール。今回はJR大宮駅のホームや構内の人々を撮影した2つの作品を発表している。普段は気にも留めない何気ない日常が、モノクロのスーパースローモーションという特殊な状況で再構築されることによって、そこに映った個々の人間の存在感が強調されている。

「帰って来た」シリーズ最新作 小沢剛《帰って来たJ.L.》(旧民俗文化センター)

小沢剛《帰って来たJ.L.》の展示風景。スクリーンに映し出される《J.L.の歌》と8枚の大型絵画《帰って来たJ.L.》によって構成されている

歴史上の人物を題材に、事実とフィクションを重ね合わせたストーリーを構築する「帰って来た」シリーズを手掛けてきた小沢剛。第3弾となる今回は、50年前に来日したとある4人組のメンバーの「J.L」がテーマ。1966年に東京で公演を終えた4人組が向かった先がマニラだった。今回の映像には、小沢によって選ばれたマニラのブラインドミュージシャンが4人組として登場し、音楽を演奏。またマニラの看板絵描きによる8枚の大型絵画が、劇場内を挟み込むように展示されている。

縄文時代の海の記憶 ソ・ミンジョン《水がありました》(旧民俗文化センター)

ソ・ミンジョン《水がありました》の展示風景。暗闇の中に円形のスクリーンが浮かびあがる

暗闇に浮かびあがる円形の巨大なスクリーン。韓国のソ・ミンジョンは縄文期に海だったという、さいたまの歴史を参照した。水神を祀っていたとされる氷川神社(さいたま市)境内で撮影した水面に映る風景が「There was water」というナレーションとともに水を思わせる映像に移り変わり、そこにかつて存在していた海の情景を想起させる。

夢見るさいたま マテイ・アンドラシュ・ヴォグリンチッチ《無題(枕)》(旧民俗文化センター)

マテイ・アンドラシュ・ヴォグリンチッチ《無題(枕)》の展示風景。頭の痕跡を残すような真っ白い枕が中庭部分を埋め尽くしている

1990年代初頭より、都市や自然の中でサイトスペシフィックな作品を発表してきたスロヴェニアのマティ・アンドラシュ・ヴォグリンチッチ。今回は東京の「ベッドタウン」としても知られるさいたま、そして「未来の発見!」というテーマから着想し、「眠り」あるいは「(未来を)夢見ること」の象徴として、旧民俗文化センターの中庭を枕で埋め尽くした。

このほか旧民俗文化センターには藤城光、アピチャッポン・ウィーラセタクン、オクイ・ララ、目などが作品を展示。

生活こそアートだ! チェ・ジョンファ《息する花》《ハッピーハッピー》(彩の国さいたま芸術劇場)

チェ・ジョンファ《息する花》の展示風景。エアーコンプレッサーによってロータスが開いたり閉じたりを繰り返す
チェ・ジョンファ《ハッピーハッピー》の展示風景。さいたま芸術劇場の回廊が祝祭的に彩られる

息をするように開いたりしぼんだりする巨大で真っ赤なロータス。この作品は「さいたまトリエンナーレ」がどういうものかを市民に示すため、開幕前から市内各所で展示されていたもの。さいたま芸術劇場では外光が射す場所に設置されたようすは、まるで花瓶に生けられた花のようだ。また同じ劇場内にはプラスチックの日用品をつなげ合わせたツリー《ハッピーハッピー》を発表。この作品は使い古されたプラスチックと、新しいプラスチックで構成されており、2016年夏のワークショップで制作された、約100本が展示されている。チェ・ジョンファはこのほかリサイクルのためにキューブ状に圧縮されたペットボトルを彫刻とする《サイタマンダラ》も展示。プラスチックにこだわる理由についてチェ・ジョンファは「プラスチックは生活そのもの。市民と一緒につくることがいちばん重要。そこにみんなのエネルギーが入る」と語っている。

ビジネスマンに休息を... アイガルス・ビクシェ《さいたまビジネスマン》(西南さくら公園)

アイガルス・ビクシェ《さいたまビジネスマン》の展示風景。武蔵浦和駅から伸びる「花と緑の遊歩道」の脇に突如として巨大なビジネスマンが現れる

これまでその土地の歴史や民族の背景にあるものを主題にしたパブリックアートをつくってきたアイガルス・ビクシェが、今回は「日常」に焦点を当てた。さいたまの現代生活を経済的に支えているものの一つとして欠かすことのできないビジネスマンたち。その企業戦士にしばしの休息をというのがコンセプトだ。仏陀の涅槃像をモチーフにしているが、そこに宗教的な意味があるわけではないという。身体中に群がる蜘蛛とハエには、「日常的な虫が体にまとわりついたとしても気に留めない大らかさを」というアーティストのユーモアが込められている。安らかな寝顔に、本当の豊かさとは何かを問いかけられているような気持ちになる。

部長家族の痕跡 松田正隆+遠藤幹大+三上亮《家と出来事 1971-2006年の会話》(旧部長公舎)

松田正隆+遠藤幹大+三上亮《家と出来事 1971-2006年の会話》の展示風景。その家でかつて使用されていた家具や家電がそのままに残る
松田正隆+遠藤幹大+三上亮《家と出来事 1971-2006年の会話》の展示風景

転勤する公務員のためにつくられ、10年以上も放置されていた居住施設「旧部長公舎」。一見すると、昭和期の普通の住宅だが、そこには早いサイクルでの居住者の入れ替わりや、一時的な家族との別居や同居など「部長公舎」という特殊な環境ならではの痕跡が残っている。松田正隆、遠藤幹大、三上亮の3人は、実際にこの公舎に住んでいた人々にインタビューを行い、さまざまな家族の物語をコラージュ。ありそうでない「家族の風景」が住宅内のそこかしこで展開される。顔も知らないかつてそこで生活を営んでいた人々。作品によって鑑賞者は、その存在の体温を感じるだろう。このほか旧部長公舎には鈴木桃子、野口里佳、髙田安規子+政子らが作品を展示。

さいたまという「生活都市」に散りばめられたアートの数々。それらは市民生活にどのような影響を与え、またそこからどういった未来が紡がれていくのか注目していきたい。

編集部

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