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大岩オスカール『はじめてアート』の魅力。松井茂が見たそのクリエイティヴのためのビジョン【2/2ページ】

 主人公の飼い犬パブロを、おじいさんが写実(ミレー風)で、パパは構成主義(クレー風)、ボクはグラフィティ(キース・ヘリング風)で描き分ける。「土よう日のつぎは日よう日」になるように「ときはどんどんかわっていく」と書いてあり、並列して「いろいろな町や国、宇宙にも異なるアートがあるのだろうか?」と問いかける。時空の変化はアートを変化させていくという。オスカールの基本的なスタンスだろう。

大岩オスカール『はじめてアート』(ケースパブリッシング) © 2024 Case Publishing

 25年後のコラボレーションでは、絵画というイメージを超えて、身体性が強調されているような気がする。あるいは、自分を取り巻く環境を、主人公のぼくとパブロが、どのようにアートを見立て、関係性を結んでいるのかが描かれる。95年の主人公は、技巧的な芸術家だが、2020年の主人公は素敵な観客でもある作家になっている。最後の頁の解説には、「上手にピアノがひけたり、上手に絵が描ける人だけがアーティストではありません。アートを心から感じることができ、見ることができる人もアーティストなのです」と書かれている。そこにはヒントとなるアーティストとして、大岩オスカールの名前もある。

大岩オスカール『はじめてアート』(ケースパブリッシング) © 2024 Case Publishing

 GALLERY CAPTIONの案内状に、伊村靖子が寄稿した「世界を書き換える、アート」というエッセイでは、『はじめてアート』の「はじめて」は、「始めて」と「初めて」のダブルミーニングだと指摘されている。たしかに、95年の主人公は、いままさにアートを始める人へのある意味でハウツー、2020年の主人公は、アートを初めて体験するためのハウツーになっている気がする。前者がパスティーシュであったとして、後者は私的な体験への参加であり、発見を促す。オスカールの描くイメージは、認知的に人の心に侵入し、鮮やかに目を盗む。そして心地よく、意識をリフレッシュしてくれる。ことさらコロナ禍において、終末期を予見しながらも郷愁を誘うその技巧は冴え渡り、私たち観客を「クリエイティヴマインド」に吸収し、世界を「見ることができる人」へと招き入れる。

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