日本写真史の空白① 戦前〜開戦。対外宣伝の始まり

静岡県のクレマチスの丘にあるIZU PHOTO MUSEUMにて「戦争と平和──伝えたかった日本」展が開催中です。『美術手帖』9月号、戦後70年の企画として特集した「絵描きと戦争」内でも紹介しました。1000点余の写真やグラフ雑誌で構成されたこの展覧会、本誌では伝えきれなかった見どころがたくさんあります。名取洋之助、木村伊兵衛、土門拳ら日本の写真界を代表する写真家たちの仕事を、1930年代から50年代の戦前、戦中、戦後と連続して見ることで、知られざる写真史が浮かんでくるのです。本誌特集の番外編として、「写真家と戦争」をテーマに、同館研究員の小原真史さんの案内で、3回にわたって展覧会を紹介します。

FRONT』1・2号(海軍号) 1942 東方社 日本カメラ財団蔵

1930年代。日本のイメージを向上させるための欧米向けグラフ誌

『NIPPON』展示風景 写真提供=IZU PHOTO MUSEUM

「はじめに紹介しているのは、写真家たちの戦前の仕事です。1934年に創刊された『NIPPON』は、日本のイメージ向上のために欧米に向けた対外宣伝のグラフ誌です。構成(デザイン)は河野鷹思、山名文夫、亀倉雄策ら、写真は名取洋之助、渡辺義雄、土門拳らが参加しています」(小原)

戦後の写真界とデザイン界を牽引した蒼々たるメンバーが、若き日に手がけた季刊誌。いま見ても斬新なレイアウトや、洗練されたタイポグラフィなど、見どころがたくさんあります。

1930年代後半。日中戦争開戦と変質していく対外宣伝。

『現代日本 産業編』(タイ語) 1941-44頃 刊行は鉄道省国際観光局、鉄道省内国際観光協会、東亜交通公社と変遷 個人蔵

「1937年に日中戦争が始まると、日本の対外宣伝も徐々に変容していきます。日本がいかに強く、近代的な国家であるかという植民地向けの対外宣伝が増えていきます。大東亜共栄圏に向けたグラフ誌が、次々に創刊されていきました」(小原)

『現代日本』は、アジア各国語と宗主国の言語で制作されたグラフ誌。上の写真は「産業編」のグラフページです。近代国家としてアジアの先端をいく日本の姿をアピールしています。

1940年代。激化する戦争とプロパガンダへの邁進

『FRONT』7号(落下傘部隊号) 1943 東方社 日本カメラ財団蔵

いよいよ戦争が激しくなっていく1942年に創刊されたのが『FRONT』です。

対外宣伝のために設立された東方社という機関が刊行します。木村伊兵衛が写真部主任、原弘が美術部主任を務めました。

「『FRONT』とは前線、戦線という意味です。日本の最高峰の写真家とデザイナー、印刷技術が結集された大型グラフ誌でした。海軍号、陸軍号、満州号などの特集を組んでいきますが、実際には"前線"ではなく演習のときの写真を、あたかも実戦で撮影したかのように合成しているものもあります。フォトモンタージュの手法が使われ、躍進する日本をアピールするような演出がたくみにされていました」(小原)

戦況の悪化につれて、日本のプロパガンダも変化していきます。第2回は、国民を巻き込んだ総動員の戦時体制におけるグラフ雑誌などをお伝えします。

展覧会招待券を、5組10名様にプレゼントします!

「戦争と平和──伝えたかった日本」展の招待券を、抽選で5組10名様にプレゼントいたします。ご希望の方は、氏名・メールアドレス・住所・「bitecho」の感想を記入の上、件名を【bitecho「戦争と平和」展プレゼント】とし、info_bitecho@bijutsu.pressまでお送りください。締切は10月15日、当選結果は商品の発送をもってかえさせていただきます。

編集部

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