論説:パンデミック時代のドイツの文化政策(2)【4/5ページ】

アーティストとクリエーターの連帯

 本来グリュッタースは、連邦レベルでの国内の公共文化政策のみを所管しており、経済・エネルギー省が所管する創造経済分野にはタッチしない。これは日本でも同じで、文化庁の管轄と、経産省の管轄を横串することは簡単ではない。もっともアベノミクスの流れで「稼ぐ文化」を合言葉に、文化経済戦略が文化芸術政策に食い込んできている(*16)。

 今回グリュッタースが、いわば越境して「文化・創造経済」を一括りにして支援策を打ち出している背景には、様々な理由が推測される。ドイツの公共文化政策は高度に制度化されており、インスティテューショナル(施設=機構)な助成が公共文化予算の90パーセント以上を占めている。例えば、ドイツの公共劇場は、大学や病院のように、ほぼ税金で賄われおり、その職員約4万人(芸術職を含む)は準公務員だ。

 このような公的機関の場合、州や自治体からの恒常的な補助金で運営されており、すぐに倒産することはない。組合や職員協議会が力をもち、簡単に失業することもない。ただし、今回のコロナ危機では活動制限が長期化しているため、多くの公立文化施設が短時間労働(Kurzarbeit)を導入し、正規職員の場合、月給の60~67パーセント(段階的に引き上げ中)の支払いとなっている。これにたいし、フリーランスの芸術家への支援は十分ではなく、通常はプロジェクト助成を資金に活動している。最近の調査では、ドイツのフリーランスの芸術家の平均月収は1200ユーロほどだという。

 ちなみにドイツ連邦政府は、今回のコロナ危機で生活が困難になったフリーランスに「ハルツⅣ」という失業保険の活用を呼びかけている。同時にその適用範囲を広げ、審査手続きを緩和している。グリュッタースが発表した芸術・文化支援3本柱の2本目「基礎保障」(Grundsicherung)の具体例である。けれども、政府からの休業要請によって仕事を失ったアーティストには、自分たちは失業者ではないという意識が強く、これとは別の保障を求める声が根強い(*17)。

 他方、創造産業の従事者もその収入、労働形態ともに様々だ。しかし個人での起業が多いため、スタートアップの支援はあるが、恒常的な支援はない。劇場のような公営企業ではなく民間企業なので、コロナ危機のダメージは極めて大きい。したがって、グリュッタースは、近年「稼ぐ文化」として成長している創造経済のクリエーターの危機と、その支援の根拠を表に出すことで、もともと公的助成に依存してきたアーティストへの支援と一体化し、芸術家とクリエーター(デザイナー)との連帯・団結を促す意図があるものと思われる。そうしなければ、文化全体の危機を乗り越えることはできないからである。

 ある意味でしたたかな高等戦略だが、文化大臣のリーダーシップに、ドイツのすべての文化関係者は勇気を与えられてきた。希望をもって、今できることから取り組んでいる。メルケル首相もそうだが、ドイツでは女性政治家の存在感、倫理観が強く心に響く。このような緊急事態のときに「詩(芸術)と哲学の国」の本領が発揮されるものだと痛感する(*18)。

 ちなみにメルケルの一番の盟友はグリュッタースだという。通称は「文化大臣」だが、ドイツには文化省はない。ドイツの憲法では、全体主義への反省から、文化とメディアと教育に関する権限は、まずは州(と自治体)に置かれている。連邦政府の文化に関する権限は非常に限定されている。長い議論の末に1998年、社民党と緑の党の連立政権の誕生とともに、内閣府のなかに文化とメディアを担当する委任官のポストがつくられた。日本の政務次官級のポストだが、内閣府つまり首相直轄であるためにメルケルとの連携は緊密だ。そこでグリュッタースは官房長官なみの存在感を示すことができる。ここが、文科省の外局のために政治権限がほとんど無い文化庁長官との決定的な違いである。

メルケル首相とグリュッタース文化大臣 出典=グリュッタース文化大臣のFacebookより

州・自治体・民間の支援策

 さて次に、連邦ではなく、州単位での支援策を見てみよう。ベルリン市州の欧州・文化担当大臣クラウス・レーデラーは、4月1日のプレスリリースで以下のように述べている(*19)。ベルリン市州政府は、コロナ危機で損害を受けた自営業やフリーランスに既に9億ユーロ(1080億円)の補助金の支払いを済ませ、その総数10万人のなかには多数の芸術家(ベルリンの場合は過半数)が含まれているとのこと。しかもこの支援策は3月27日に始まり、プレスリリースの時点で(わずか4日間)9億ユーロに達した。

 この迅速な対応は、IBB(ベルリン投資銀行)の卓越した協力によって可能となった。他の州の先例となる快挙としてレーデラーはIBBに感謝を捧げている。もとより、3月23日の連邦政府経済・エネルギー省の緊急支援策パッケージは、各州を通して支給もしくは融資される。緊急支援とはいえ、それが個々の事業者に振り込まれるには、通常は煩瑣な手続きが必要で、「官僚主義的」と批判されることが多い。

 今回、ベルリン州政府が取った方法は、ベルリン投資銀行のノウハウをフルに活用し、州政府が建て替えるかたち実施された。手続きを可能な限り簡素化し、迅速に自営業者やフリーランスに給付金が振り込まれたのである。実際、ベルリン在住の日本人アーティストは、3月末には9000ユーロが振り込まれていたという。「国籍」とは無関係に、ベルリンを拠点に活動する芸術家であれば、面倒な審査なしで即刻給付されたのである。

 4月2日のグリュッタースへのインタビュー記事(*20)には、確かに「官僚主義的」で遅いという声も(インタビュアーから)語られていたが、全体としてはスムーズに支援が進んでいると、グリュッタースは見ている。つまり州ごとに手続きやスピード感には違いはあるものの、ベルリンのように迅速な対応をした州の事実を踏まえた発言だと思われる。 

 この間に決まって出てくる言葉が「迅速で非官僚主義的救済」(schnelle und unbürokratische Hilfe)だ。また、民間の財団が、連邦や州に先行して、フリーランスのアーティスト支援をスタートしている例が多々ある。

 例えば、ハンブルク市州が1988年に設立したハンブルク文化財団がイニシアティブをとって、他の10あまりの民間財団と個人寄付者をとりまとめ、3月27日に40万ユーロを超える救援基金を創設した。これはハンブルクで活動する若手フリーランスのアーティストに特化したものだ。この基金は「芸術はシャットダウンを知らない」をモットーに、今後さらに大きくなるものと期待される。もともとハンブルクの芸術文化振興は、ベルリンとは異なり民間主導の伝統がある。民間の芸術支援財団は100を数え、ハンブルク市民はそれを誇りにしている。人口が倍のベルリンにはその半分の民間財団しかない。

 ハンブルクのエルプフィルハーモニー 出典=https://www.archdaily.com/802093/elbphilharmonie-hamburg-herzog-and-de-meuron/585bed91e58ece953e0001c4-elbphilharmonie-hamburg-herzog-and-de-meuron-photo

 民間財団による支援とともに重要な役割を果たしているのがデジタルプラットフォームの生成である。例えば、ライプツィヒ市文化局のサイトに掲載されている「これがライプツィヒだ!」(*21)は、芸術文化と創造産業を横串したプラットフォームである。これを見ると、デジタル配信のアートシーンと、公的ならびに民間の支援プログラムが網羅されている。また、「ベルリン・ア・ライブ」も話題となっている(*22)。このような官民連携のプラットフォームがドイツ各地で立ち上がり、市民とアーティストをつなぐ連帯・団結の場となっている。

 パンデミック期における社会経済的なデプレッションにもかかわらず、そしてライブでのアートシーンが大きく制限されているにもかかわらず、芸術文化と創造経済の垣根を超えたアーティストとクリエーターの連帯と団結が生まれている。そして市民たちがその動きを力強くサポートしている。

 芸術文化の本質を自分の言葉で語れる政治指導者たちの存在も心強い。グリュッタースは5月に入り「文化は食料品(=生きる糧)だ」(*23)、「文化は民主主義にとって不可欠だ」と繰り返し発言している。また、シュタインマイヤー大統領は5月22日、(延期されていた)詩人ヘルダーリン生誕250年展のオープニングに際して演説し、「このような時代にあって、わたしたちはどれほど芸術文化が文字通り生きる糧であるか実感してきました」と述べた(*24)。食料品(Lebensmittel)の文字通りの意味は「生きる手段」である。さらにメルケル首相は5月9日、「コロナと文化」の中で自らの美的経験を次のように語っていた。

 「文化的イベントは、わたしたちの生活にとってこの上なく重要なものです。それはコロナ・パンデミックの時代でも同じです。もしかするとわたしたちは、こうした時代になってやっと、自分たちから失われたものの大切さに気づくようになるのかもしれません。なぜなら、アーティストと観客との相互作用の中で自分自身の人生に目を向けるという、まったく新しい視点が生まれるからです。わたしたちは様々な心の動きと向き合うようになり、みずから感情や新しい考えを育み、また興味深い論争や議論を始める心構えをします。わたしたちは(芸術文化によって)過去をよりよく理解し、またまったく新しい眼差しで未来へ目を向けることもできるのです」(*25)。

 心に染みる言葉である。しかし、現代ドイツにおける文化政策のポリシーメーカーは連邦政府の政治家たちなのだろうか。本稿で明らかにしてきたように、文化政策を生成させてきたのは市民社会セクターの非営利組織である。なかでも市民としての自律性を自覚したプロタゴニストたちは、文化領域における民主主義的参加の強化を目指してきた。コロナ危機は、市民社会における文化的民主主義の強度を試しているのである。このようなコンテクストから、わたしたちは「コロナ-パンデミック後の文化政策のための10項目」の6番目にある以下の主張を、いまや十分に咀嚼できるだろう。

6. 個人的な参加をもっと深めること! 一人ひとりの損失経験は個別的なものである。だれもが維持のために尽力できているのは、ボランティアや寄付などの申し出のおかげである。制作者と利用者の間での連帯が至る所で生まれていることが、持ち堪えようとする力を強化している。このことが、危機からの持続的な成果と新たな注目点となりうるだろう。ここで前に進む助けとなっているのは、新しいテクノロジーだけではない。危機の体験が非常に具体的な支援となっている。すなわち、危機の体験が定常性へと変換されうるのである。文化政策的なアピールは、政治に向けられるだけではない。市民社会にも向けられているのだ。わたしたちは「共通のものである危機」を共に克服しなければならない。

編集部

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