2016年、いまだに資本主義は夢あふれる経済システムである。昨年末2週間ほど、ニューヨークに滞在したときに肌で感じたのは、「アメリカ」とは、「資本主義」という経済システムを、全力で実験している国なのかもしれないということだった。いつか将来、かつて資本主義システムを実験して崩壊してしまったアメリカという国が存在していた、と歴史に刻まれることはあるのだろうか。
映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』の中盤で登場するある女性が妙に自慢げに、「ニューヨークは資本主義の聖地だから」という旨の発言をしていたのを見て僕は驚いた。 そのとき、ふとニューヨークの風景を思い出した。と言っても、僕が思い出したのはきれいで壮大で自然がいっぱいのそれではなく、カフェのテーブルに乗った薄汚れた塩と胡椒の入った瓶だった。
その日、僕はニューヨークでアーティストの知人と飯を求めて街へ出た。お邪魔したカフェの4人掛けテーブルの真ん中に鎮座していたのが、例の塩と胡椒の瓶だった。ニューヨークではその塩と胡椒の瓶にも資本主義の魂が刻み込まれている、と彼は熱弁した。すべてがその奴隷だということを嘆いていたのだ。
ところが、多くの人々が資本主義に行き詰まりと不安を抱える昨今、映画内でバンクシーがニューヨークの街に残した作品を探し回った人々は、 血眼になることによって皮肉にも「いまだ資本主義という経済システムが人々に夢を見させることが可能である」ということを実証する要員と成り果てた。 彼らが探し回っていたのはきっと、バンクシーの作品そのものではなく、その金銭的価値そのものでもなく、失いつつある資本主義システムへの自信であったにちがいない。 アメリカ大統領選挙を控えるなか、この国の実態を知らせた本作は、革命なんて起こるわけがないと冷めた人間が、 どうやって既存の資本主義システムとうまく付き合っていけるかを問う、淡い恋愛映画のようだった。