2019年9月、パリの現代美術館ポンピドゥー・センター近くの路上に描かれたバンクシーのネズミの絵が盗まれた。ネズミはアーティストの分身として作品によく登場するが、このネズミも、顔を隠し、手にはカッターナイフを持っており、まるでステンシルの型をくり抜き、ゲリラ的に作品を残していく覆面アーティストのようだ。1年前に作品が設置された際のバンクシーの声明から、これは、パリの学生運動「五月危機」の50周年を記念し、近代ステンシルアートの誕生の地であるパリへ捧げたものだと理解できる。
この、いわば “落書き”が盗まれたことに(ゴッホの絵が盗難にあったかのように)メディアが大騒ぎするのはなぜか。それは、2019年はじめ、東京都港区で“バンクシー作品らしきネズミの絵”が見つかり、都が社会混乱防止の目的で剥がし、都庁で展示した不可解さともつながる。その理由はバンクシーがいまや有名アーティストだからに他ならない。バンクシーの作品は近年、オークションで1億円以上の値で落札されるようになった。元来、落書き扱いされた作品の制作者が、世界的に著名なセレブリティになったのである。
そのような“超高価な美術品”が、保護も監視もなく、戸外に放置されているわけだから、盗みを図る輩が出てきても不思議ではない。うまくいけば、闇のルートを通って、市場で高く売られ、巨額の棚ぼたとなる。
パリでは、今年に入って2度もバンクシーの作品が盗まれた。過去には、バンクシーの本拠地であるイギリスはもちろん、アメリカでもパレスチナでも盗難が起こった。盗難だけではない。何者かに消されたり、行政によって剥がされたり、描かれた建物や備品の所有者によって剥ぎ取られたり。作品が路上に残された以上、そのような運命は付き物といっても過言ではあるまい。
だが、ストリートアートの盗難/損害/撤去が一般的な美術品のそれと異なるのは、法的権利/利害関係が複雑に絡むことだ。その要素とは、私的/公的な所有物に勝手に作品を描くことの犯罪性、作品が残された建物の所有者の権利、アーティストの著作権、ストリートアートは文化財産として保護されるべきかといった課題である。
そこで本稿では、ストリートアートというこの30年ほどの間に欧米を中心とした都市空間に出現し、目を見張る勢いで浸透しつつある新しい表現について、バンクシーの作品を例にとって、保護/撤去をめぐる社会的ディベート、法制度、慣習における変化を概観してみたいと思う。表現自体がまだ新しいならば、議論を深め十分に考察するには時期早々かもしれない。だが、同様な事件はこれからも頻発するのは目に見えている。撤去/保護をめぐる状況は、各国や自治体の法やポリシーの違いか、公共物かプライベートのものなのか、地元コミュニティの反応の違いよって、対応策は一筋縄ではいかないことを承知のうえで、ストリートアートをとりまく権利や保護に関する現状や変化、問題点を検証してみよう。その観点から、ストリートアートの本質も見えてくるのではないだろうか。