EXHIBITIONS

生誕100年 松澤宥

2022.02.02 - 03.21

実のプサイの部屋 1964

松澤宥 鳥(『RATI』2号) 1951 個人蔵

松澤宥 のぞけプサイ亀を翼ある密軌を 1962 個人蔵

松澤宥 人類よ消滅しよう行こう行こう 1966

「ひらかれている」展(長野県信濃美術館)ポスター 1972 個人蔵

松澤宥 パフォーマンス 九想の室 1977 ブラジル・サンパウロ

松澤宥 パフォーマンス 消滅の幟 1984 スイス・フルカ峠 撮影=大住建

プサイの部屋 2018年11月16日 「文化庁平成30年度我が国の現代美術の海外発信事業」の一環として撮影

 長野県立美術館では展覧会「生誕100年 松澤宥」を開催する。長野県諏訪郡下諏訪町出身で、同地を拠点に活動したコンセプチュアル・アーティスト、松澤宥(1922〜2006)の大回顧展。

 下諏訪町の製糸業を家業とする旧家に生まれた松澤。10代の頃から詩作にふける傍ら、早稲田大学理工学部建築学科に進学し、「私は鉄とコンクリートの固さを信じない。魂の建築、無形の建築、見えない建築をしたい」という言葉とともに同校を卒業した。50年代前半は読売アンデパンダン展や美術文化協会展に絵画作品を出品。1954年に自身が発起人となり「アルファ芸術陣」を結成するも、その後すぐに「美の客観的科学的測定法について」を研究テーマに掲げ、フルブライト奨学金を受けて教授として渡米した。

 1957年に帰国した松澤は、読売アンデパンダン展を中心に絵画やオブジェ作品を出品。やがて言葉を用いた作品を発表するようになり、1964年、夢で聞いた「オブジェを消せ」という啓示のもと、「アンデパンダン'64」展に出品した《プサイの死体遺体》という「非感覚絵画」を生み出した。マンダラ構造のなかに言葉が書かれたチラシのみを会場で配布するこの作品を契機に、松澤の芸術は「非物質化」を目指し、誌面の広告として発表された《荒野におけるアンデパンダン'64 展》など、「観念」を展示する実験的な試みを重ねていった。

 その後、1960年代末〜70年代にかけて、松澤は集団による表現活動を展開。1969年に長野県信濃美術館(現・長野県立美術館)で開催された「美術という幻想の終焉」展を皮切りに、松澤の周辺に集まった「ニルヴァーナ・グループ」と呼ばれる人々とともに各地で展覧会を催すなど精力的な活動を繰り広げた。

 言葉を媒介とした作品やパフォーマンスを通して「消滅」という観念を主張し、後年には「量子芸術」にまで行き着いた松澤。諏訪大社下社秋宮付近にあるアトリエは、親交の深かった美術評論家・瀧口修造によって「プサイの部屋」と命名され、自作のオブジェや、自ら収集した奇妙なものにあふれている。時に「虚空間状況探知センター」とも呼称された空間は、地元の定時制高校で数学教師も務めていた松澤の、芸術家としての創造の場としてあり続けた。

 本展は、芸術家としての原点である建築や詩から、1964年の「オブジェを消せ」という啓示を受ける前後より国内外で発表された言語による作品やパフォーマンスまで、松澤の多彩な作品と活動を振り返るもの。松澤の生涯にわたる作品や活動を一堂に集め、松澤が追い求めた世界を考える機会になればとしている。

 展示は「建築、詩から絵画へ」「1964『オブジェを消せ』――観念美術に向かって」「共同体幻想」「言語と行為」「再考『プサイの部屋』」の5章で構成し、知られざる初期絵画やオブジェ作品、資料や写真を交えて紹介。また伝説のアトリエ「プサイの部屋」の一部を再現し、VRで体験できる展示も行う。

 また「松澤宥生誕100年祭」として、出身地・下諏訪町で、松澤の貴重な作品や資料を展示・公開する「まちなか展覧会」やトークショーやイベントも展開される。