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松澤宥

Matsuzawa Yutaka

 松澤宥は1922年長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。「日本概念派」の創始者。46年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、梓建築事務所に入社し、48年に退職するまで立川米軍飛行基地内の劇場改修設計などに携わった。49年より諏訪実業高校定時制下諏訪分校で数学を教え、同年に詩集『地上の不滅』を刊行。翌年に詩人の草飼稔と「RATIの会」を発足する。画家の阿部展也の推薦により、52〜54年に美術文化協会員として出展。美術文化協会退会後、下諏訪にて画家の小牧源太郎らと「アルファ芸術陣」を発足。55年に米ウィスコンシン大学で「美の客観的科学的測定法について」を、コロンビア大学大学院に移って現代美術・宗教哲学を研究し、57年に帰国する。

 60年、「第12回読売アンデパンダン展」(東京都美術館)および「超現実絵画の展開展」(東京国立近代美術館)に《プサイの意味—ハイゼンベルグ宇宙方程式によせて》を出展。以降「プサイ」を冠する作品を発表する。64年6月1日、「オブジェを消せ」の啓示を受けてそれまでの造形表現を断ち、6月4日に言葉や行為で表現する観念芸術を創始。非物質を主張し、66年の「人類よ消滅しよう行こう行こう」や、「オブジェを消せ」「美術の終焉」を掲げる展示・パフォーマンスを展開する。瀧口修造や中原佑介ら美術評論家に注目され、70年の「第10回日本国際美術展 人間と物質」に参加。同年「ニルヴァーナ──最終美術のために」(京都市美術館)を開催。71年には、朗読やパフォーマンスの場としていた御射山(みさやま)に「泉水入瞑想台」を完成させ、フリー・コミューンの一拠点とした。また、国内外のアーティストに向けて作品の郵送を呼びかける「世界蜂起」(1971〜73)をはじめ、メール・アートによるプロジェクトを行う。ヴェネチア・ビエンナーレ(1976)、サンパウロ・ビエンナーレ(1977)に参加。

 松澤は生涯のほとんどを下諏訪で過ごし、「プサイ(ψ)の部屋」と命名された自宅兼アトリエで、蓄積した資料や過去の自作のオブジェなどに囲まれながら思索を深めた。東洋の思想・宗教観や宇宙物理学を結びつけ、88年に「量子芸術」を宣言。同年『量子芸術宣言 芸術のパラダイムシフト』を刊行。目には見えずおのおのの内から湧き出る観念、「消滅」「終焉」の思想を、曼荼羅の図絵の並びで言葉を方眼紙や原稿用紙に書いた作品などを通して示した。2006年没。作品は豊田市美術館、茅野市美術館ほかに収蔵され、「RATIの会」の分派にあたる「宥池会」が「宥池会-松澤コレクション」を有している。松澤の先駆的な活動は回顧展を通じて紹介され、また近年発見された初期のドローイングを検証する展覧会がパープルームギャラリー(神奈川)で開催されるなど調査・研究が続けられている。「プサイ(ψ)の部屋」は現在、下諏訪町に本拠地を置く一般財団法人 松澤宥プサイ(ψ)の部屋が管理しており、松澤の思想を後世に正しく伝えることに努めている。