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比類なき思索をいまふたたび。長野県立美術館で見る「生誕100年 松澤宥」展

生涯の大半を長野県の下諏訪で過ごしながらも、独自の概念とコンセプチュアルな表現で存在感を示した美術家・松澤宥(1922〜2006)。その生涯と思想に迫る展覧会「生誕100年 松澤宥」が長野県立美術館で開幕した。展示のハイライトをレポートする。

展示風景より、左から松澤宥《プサイの祭壇》、《プサイ函》(ともに1961)

 長野県立美術館で、長野県下諏訪町出身の美術家・松澤宥(1922〜2006)の生涯と思想に迫る展覧会「生誕100年 松澤宥」が開幕した。会期は3月21日まで。

 本展は、松澤の活動を象徴するコンセプチュアルなパフォーマンスのみならず、初期から成熟期にかけての絵画や立体作品の紹介も含めて、全5章とエピローグでその生涯をたどる展覧会だ。

「生誕100年 松澤宥」会場入口

 第1章「建築、詩から絵画へ」は、早稲田大学で建築を学んだ松澤が、出身地である長野・下諏訪で詩作から絵画へと表現の媒体を変容させていくさまを追う。

第1章「建築、詩から絵画へ」展示風景より

 1922年生まれの松澤は1941年に早稲田第一高等学院に入学し、戦後間もない1946年に早稲田大学理工学部の建築学科を卒業した。松澤は同大卒業式後の謝恩会で「私は鉄とコンクリートの固さを信じない、魂の建築、無形の建築、見えない建築をしたい」と語ったという。松澤がこのころからすでに、のちにコンセプトの主軸とする、有形のものに対する懐疑と、無形のものへの志向を持っていたことに驚かされる。

展示風景より、松澤宥が早稲田大学建築学科時代に引いた図面

 卒業後の松澤は、生涯の大半を過ごすこととなる故郷の下諏訪に戻り、高校の数学教師をしながら詩作を行いつつ、各地の同人誌に積極的に寄稿を行う。やがて言語に拠らない「記号詩」などに注力しはじめた松澤は、新たな表現を求めて1954年に詩作に区切りをつけた。会場では、当時の松澤が詩を寄稿した同人誌や、独創的な「記号詩」など、貴重な資料を見ることが可能だ。

展示風景より、松澤宥が詩を寄稿した同人誌
展示風景より、左から松澤宥の「記号詩」など

 松澤が詩作から次第に力点を移していった表現方法が絵画だった。1952年には「第12回美術文化協会展」に出展、さらに美術文化協会を退会した作家たちと「アルファ芸術陣」を結成した。また、交換教授としてアメリカに留学するなど、その思想の基盤をかたちづくっていったのがこの時期だ。

展示風景より、左が「アルファ芸術陣結成展」ポスター
展示風景より、松澤宥の留学時の様子を伝える資料

 第2章「1964『オブジェを消せ』─観念芸術に向かって」は、留学を終えた松澤が絵画や立体を旺盛に制作したのち、やがてかたちのない芸術へと向かっていく過程を追う。

展示風景より、左から松澤宥《プサイのオルガン》(1959)、《胎内願望》(1960)、《御幣マンダラ5》(1959)

 留学後、ふたたび下諏訪に戻って復職した松澤は、読売アンデパンダン展に作品を出展するようになる。展示されている「プサイの鳥」シリーズなど、自らの思索を「色」にしたという絵画はこのころのもので、以降、松澤の代名詞となる「プサイ」という言葉もこのときに生まれている。「プサイ」とは、松澤がサイコロジー(psycholoy)から着想した心を表す言葉であり、またギリシャ文字の最後となる「Ω(オメガ)」のひとつ前が「Ψ(プサイ)」であることから、現在が終末のひとつ前の時代だということを表す言葉でもあるという。非常に複雑な意味を持つ言葉であるが、松澤の超越的な思想をひとことで表すには相応しい語であるともいえるだろう。

展示風景より、左から松澤宥《プサイの鳥》、《プサイの鳥1》、《プサイの鳥4》、《プサイの鳥9》(すべて1959)

 会場では「プサイの鳥」シリーズのほかにも、これまであまり省みられてこなかった平面作品を数多く展示。また、写真資料をもとに検証を重ねながら往時の姿を再現した立体作品が見られるのも、非常に貴重な機会といえる。

展示風景より、左から松澤宥《胎内願望》(1960)、《御幣マンダラ5》(1959)
展示風景より、松澤宥《プサイの部屋からの27個の函》(1963)

 立体作品のなかでもとくに注目したいのが《プサイの祭壇》(1961)だ。この作品は、1961年に東京国立近代美術館で開催された「現代美術の実験展」に出品された作品と、第13回、14回の読売アンデパンダン展に出品された作品に、《パラサイコロジー空間9》を加えた計5点で構成されている。宇宙、空間、時間を祭壇のかたちで表現しており、往時の松澤の思想が強いインパクトをもって会場で具現化している。

展示風景より、松澤宥《プサイの祭壇》(1961)

 このように立体、絵画を問わず旺盛な活動を続けていた松澤だが、1964年6月1日未明、突然夢のなかで「オブジェを消せ」という明示を受けたという。その後数日、徹夜でこの明示についての検討を重ねた松澤は、感覚器官を通して鑑賞される絵画を捨て、感覚によってとらえられない作品を志向するようになる。《プサイの死体遺体》(1964)は、こうした感覚が端的に表された作品だ。本作は紙1枚によって「非感覚絵画」というものが何かを、マンダラ状に配置された文章で説明しており、以後の松澤の表現は物質に拠らない作品やパフォーマンスに移行していく。

展示風景より、松澤宥《プサイの死体遺体》(1964)

 第3章「共同体幻想」では、松澤が言葉による表現を追求するための実験を繰りかえし、ときには集団によって活動した60〜70年代にかけての作品が紹介される。

 例えば「ハガキ絵画」は、松澤が「虚空間状況探知センター」と称した自宅から作品としてハガキを発送し、送付された知人が介在することによってつくられる「絵画」であった。また、松澤の周辺に集まった人々による「ニルヴァーナ・グループ」と称される集団は、集団制作をするのではなく、各個が独立して制作する特異な集まりであったという。

展示風景より、松澤宥の「ハガキ絵画」
展示風景より、「ニルヴァーナ・グループ」の関連資料

 1977年のサンパウロ・ビエンナーレに出展した際、松澤は9つの感相を9枚の紙に書いて床に配置した《九想の室》を取り囲むように、「ニルヴァーナ・グループ」の行為をとらえた写真を配置した。密教的だったと語られるこの空間は展示室でも再現されており、足を踏み入れたものを混沌で包み込む。

展示風景より、松澤宥《九想の室》(1977)
展示風景より、松澤宥《九想の室》(1977)

 第4章「言語と行為」は、「物質や人間の喪失」という観念を伝えるべく、様々な「言語」と「行為」を通して制作された松澤の作品を、資料とともに紹介する。

 なかでも1966年に開催された「現代美術の祭典」(堺市体育館)で披露された《消滅の幟》は、「人類よ消滅しよう行こう行こう(ギャテイギャテイ)反文明委員会」と墨書きされた文字が強い印象を与える作品だ。この幟は、ときには吊り下げられ、ときには体に巻きつけられ、多岐にわたるパフォーマンスの素材となった。松澤はこのパフォーマンスを晩年にいたるまで国内外の各地で実施。美術館の入口にもこの幟が掲げられ、人類への警鐘とも、加速的な終末思想ともとらえられるその言葉が、見るものを圧倒する。

美術館入口に展示された《消滅の幟》の再現
展示風景より、松澤宥《御射山秘技》パフォーマンスの記録など

 以後も、仏教思想を引用した《懐色論》(1984)や、世界の水没を予見させるような《海底》(1984)など、松澤は言語を媒介にコンセプチュアルなパフォーマンスを繰り広げていく。白いスーツを身にまとった松澤の強烈な言葉は、展示された映像からでも見るものの感性に強く訴えかけてくるだろう。

展示風景より、松澤宥《懐色論》(1984)のパフォーマンス記録
展示風景より、左から松澤宥《80年問題22番》(2002)とパフォーマンスの記録映像

 第5章「再考『プサイの部屋』」では、松澤が多くの時間を過ごした自宅にある「プサイの部屋」が会場に再現され、その思索が行われた環境に臨場感をもって触れることが可能だ。

展示風景より、「プサイの部屋」の再現

 松澤は24畳の細長い自宅の屋根裏部屋でドローイングや絵画の制作を行っていた。美術評論家の瀧口修造によって「プサイの部屋」と命名されたこの部屋は、松澤が制作したり集めたりした膨大な文物が集まっていた。松澤の死後はそのままにされていた「プサイの部屋」だが、2018年に長野県信濃美術館(現長野県立美術館)と信州大学工学部建築学科の寺内研究室により調査整理作業が実施された。会場に現れた「プサイの部屋」の机とその周辺は、このときの調査結果を参考にしながらその様子を忠実に再現したものだ。周囲の実物大に引き伸ばされた部屋の写真と併せて、松澤と歩んだ思索の部屋をより感覚的にとらえることができる。

展示風景より、「プサイの部屋」の再現
展示風景より、「プサイの部屋」の再現

 展覧会の終わりには「エピローグ」として、松澤による自作年譜が紹介される。年譜の最後は2222年2月2日、松澤が満300歳の誕生日を迎えるはるか未来の日付となっている。この年は松澤が「人類消滅」を予見した年でもあるが、この年譜の最後に何が書かれているのかは、ぜひその目でたしかめてほしい。

 下諏訪という中央から離れた場所で活動を続けながらも、人類の行く末、さらにその先までを俯瞰するような類まれな視点を世界に向けて発信しつづけた美術家・松澤宥。生誕100年の今年、あらためてその思索に触れてみてはいかがだろうか。

展示風景より

編集部

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