独自の概念とコンセプチュアルな表現で存在感を示した美術家・松澤宥(1922~2006)。その生誕100年を記念して、長野市の長野県立美術館では「生誕100年 松澤宥」展が開幕したが、松澤が生涯の大半を過ごした同県の下諏訪町でも「松澤宥 生誕100年祭」が開催されている。会期は2月13日(下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館は〜3月21日)まで。
この芸術祭の主催は、諏訪を拠点に史学、信仰、芸能、民俗学などを研究してきた団体「スワニミズム」。下諏訪の各所に松澤の作品の実物や複製を展示し、地元でも知らない人がいるという松澤の作品と思想をあらためて紹介するとともに、訪れる人々に下諏訪の歴史や文化、店舗を知ってもらうという催しだ。
まず訪れたいのが、メイン会場となる下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館だ。諏訪湖畔に佇むこの博物館は伊東豊雄の設計で、逆さまにした船にも似た個性的な外観が特徴。その玄関を入った吹き抜けには、松澤が晩年まで国内外で展開した、幟によるパフォーマンス《消滅の幟》のレプリカが垂れ下がっている。
この幟とともに展示されているのが、松澤の母校でもある諏訪清陵高校(旧制諏訪中学)の美術部の幟だ。同校では松澤が通っていた時代からサークル各部が幟を立てる風習があるといい、松澤の幟のパフォーマンスの根底には、こうした学生時代の経験が生きている可能性もある。
企画展示室では、松澤の諏訪での初期の活動に焦点を当てた展示を実施。この展示室では、長野県立美術館の「生誕100年 松澤宥」とはまた異なる、土地に根ざした視点で松澤の実像に迫ることを目指す。
展示の目玉はこれまで広く公開されてこなかった、松澤の初期の平面作品だろう。紙や板に描かれた1940~60年代のものとされる絵画作品は、自宅に保管されていたもの。様々な素材を使ってつくられた重層的なそのテクスチャは、専門的な美術教育を受けていなかったからこその独自性を持っているといえる。学生時代のものと思われる作品も公開されており、松澤の青年期の画力の高さがよくわかる。
また、展示室では、諏訪で松澤が展開したグループでの活動や教育活動なども詳しく解説されている。1950年代に松澤は詩人の草飼稔と語らい「RATIの会」という同人誌を立ち上げた。その設立後まもなく、「RATIの会」は画家、詩人、音楽家、地元の作家などを招致し、1951年には「現代前衛芸術の夕」を開催。音楽演奏、立体詩、講演などメディアを横断したイベントを実現している。さらに井手則雄との共同企画で「アヴァンギャルド・アート・ディスプレイ」と名打った複合的な企画展も実施した。
さらに1971年、松澤は「泉水入瞑想台」と名づけられた山中の地にアーティストやパフォーマーを集め、夜通し音を出し続ける「音会」を実施。 さらに翌72年には雪との関わりをテーマに、参加者が様々な儀式、インスタレーション、パフォーマンスを行う「山式・雪の会座」を開催している。地方にありながら、先進的な取り組みを周囲とともに実行していた松澤のエネルギーを、当時の資料に触れながら感じたい。
このような展示から、松澤が「孤高の天才作家」ではなく、地域の様々な表現者を巻き込みながら、表現の幅を広げ、さらに深めていったことが展示からはよくわかる。
もういっぽうの展示室では、瀧口修造が「プサイの部屋」と名づけた松澤の自宅アトリエである屋根裏部屋を、写真家の長沼宏昌が撮影した写真と映像を展示。現在は整理されたこの部屋の往時の様子を、克明な記録で知ることができる。
下諏訪のまちなかでも展示が行われている。明治時代の地図にも載っているという老舗の旅館「ますや旅館」の屋号を引き継いだ「マスヤゲストハウス」。ここでは、1階の「マスヤリビング&バー」に松澤の「ハガキ絵画」や「RATIの会」のチラシのレプリカなどを展示。2階部分の床を取り除いた光あふれるロビーで、その調和を楽しんでみるのもいいだろう。
松澤の親友でもあった青木靖恭。その息子である芸術家・青木英侃のアトリエでは、松澤と靖恭の協働作品が展示されている。見学には事前の予約が必要だが、アトリエにはほかにも松澤を忍ばせる資料が多数あるので、青木から往時の松澤の知られざるエピソードが聞けるかもしれない。
1940〜50年代に建てられたという「すみれ洋裁店」。現在は若いオーナーがオリジナル作品やグッズの販売、オーダーメイドリメイクを行っている。ここでは、松澤の100歳の誕生日を祝して、3階にオーナー自らインスタレーションを展開。また1階では、松澤の思想に共鳴した封筒を使った試みが行われる。
下諏訪各所の飲食店でも、それぞれの店が松澤の作品を使いながら、各々の趣向を凝らした展示が行われている。中山道の宿場町であった下諏訪を代表する宿のひとつ「まるや」の工芸店・ギャラリーでは、未発表作品を含む松澤の絵画の小品を展示している。
ガレットが看板メニューの「Cafe Tac」には、松澤が海外をめぐったときの写真と、パフォーマンス中の松澤のパネルを組みあわせた松澤コーナーが出現。
カフェ「Eric`s Kitchen」では30代の松澤が考えた記号詩と自画像のレプリカが、カフェとランドリー「UMI COFFEE&LAUNDRY」では、松澤ゆかりのポスターのレプリカが並ぶ。また、温泉宿「ぎん月」では入口ロビーに松澤の絵画を展示しており、こちらも和風の内装との意外な調和が見ものだ。
そのほか、古道具店「ninjinsan」ではポスターや写真の展示、上諏訪のコミュニティスペース「ゆめひろ」では晩年の松澤を追った映像作品を上映している。
移住者が構えた店も多く、新たなコミュニティが成熟しつつある下諏訪の町が、松澤を媒介として手づくりの誕生祭を行う本イベント。かつて諏訪の地に根を下ろし、周囲の人々を巻き込みながら独自の世界をつくりあげた松澤の意思が、いまも街の活力となることを感じることができるのではないだろうか。