EXHIBITIONS
石元泰博・コレクション展 ヌード
高知県立美術館の石元泰博・コレクション展の今期テーマは「ヌード」。写真家・石元泰博が1950年代に取り組んだシリーズを、知られることの少なかったカットとともに紹介する。
石元は1921年アメリカ・サンフランシスコ生まれ。3歳のときに両親の郷里・高知に戻り、39年に高知県立農業高校を卒業。同年、単身渡米するが、間もなく太平洋戦争がはじまり、収容所生活を経験した。終戦後は、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称:ニュー・バウハウス)で、写真技法のみならず先鋭的なモダンデザインと、自身の作品の基礎をなす造形感覚の訓練を積んだ。53年には東京へと拠点を移し、その後、「桂離宮」のモダニズムを写真により見出した作品で高い評価を受ける。
石元はまた、丹下健三、菊竹清訓、磯崎新、内藤廣など日本を代表する建築家の作品を多く撮影したことでも知られる。2012年に逝去。主な写真集に、『ある日ある所』(1958)、『桂』(1960)、『シカゴ、シカゴ』(1969)、『伝真言院両界曼荼羅』(197)、『HANA』(1988)、『伊勢神宮』(1995)、『刻』(2004)などがある。
石元は学生時代に撮りためた作品の発表や、代表作「桂離宮」の撮影と並行して、日本の写真雑誌への撮り下ろしにも精力的に取り組んだ。そのなかでも、東京の風景や子供を写した連載などと並んで注目すべき仕事に「ヌード」が挙げられる。
西洋絵画の流れを汲みつつ、写真独自の表現が追及されてきたヌードの分野に、戦後多くの日本の写真家たちが挑むなか、日本写真界で特異な存在感を放っていた石元も、雑誌『写真サロン』の特集記事への参加などを通して撮影の機会を得た。手がけた作例はごく限られているが、情緒を排し、切り詰めた構図のうちに被写体を即物的にとらえた作品によって、その個性と実力とを存分に発揮している。
石元は1921年アメリカ・サンフランシスコ生まれ。3歳のときに両親の郷里・高知に戻り、39年に高知県立農業高校を卒業。同年、単身渡米するが、間もなく太平洋戦争がはじまり、収容所生活を経験した。終戦後は、シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称:ニュー・バウハウス)で、写真技法のみならず先鋭的なモダンデザインと、自身の作品の基礎をなす造形感覚の訓練を積んだ。53年には東京へと拠点を移し、その後、「桂離宮」のモダニズムを写真により見出した作品で高い評価を受ける。
石元はまた、丹下健三、菊竹清訓、磯崎新、内藤廣など日本を代表する建築家の作品を多く撮影したことでも知られる。2012年に逝去。主な写真集に、『ある日ある所』(1958)、『桂』(1960)、『シカゴ、シカゴ』(1969)、『伝真言院両界曼荼羅』(197)、『HANA』(1988)、『伊勢神宮』(1995)、『刻』(2004)などがある。
石元は学生時代に撮りためた作品の発表や、代表作「桂離宮」の撮影と並行して、日本の写真雑誌への撮り下ろしにも精力的に取り組んだ。そのなかでも、東京の風景や子供を写した連載などと並んで注目すべき仕事に「ヌード」が挙げられる。
西洋絵画の流れを汲みつつ、写真独自の表現が追及されてきたヌードの分野に、戦後多くの日本の写真家たちが挑むなか、日本写真界で特異な存在感を放っていた石元も、雑誌『写真サロン』の特集記事への参加などを通して撮影の機会を得た。手がけた作例はごく限られているが、情緒を排し、切り詰めた構図のうちに被写体を即物的にとらえた作品によって、その個性と実力とを存分に発揮している。



