櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:たったひとりのパラダイス

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第50回は、天理教の教えを拠り所に、個性的な手描き看板やオブジェをつくり続ける松下勤さんを紹介する。

文=櫛野展正

松下勤さん
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 静岡県西部に位置する掛川市は、江戸時代から掛川城下の宿場町として発展を遂げてきた土地だ。駅から車を走らせていると、「陽気ぐらし」や「夢の始まりはここから」などの手書き看板や個性的なオブジェが乱立している場所が目に留まった。急いで車を停車させて敷地内を眺めていると、向こうから大柄の男性が近づいてくる。

松下勤さん

 「ここは7年ほど前から、裏山をひとりで切り開いてつくった場所でよ」。

 そう教えてくれたのは、こうした作品群の作者である松下勤(まつした・つとむ)さんだ。68歳になる松下さんは、1954年に5人兄弟の長男として、この地で生まれた。小さい頃から缶蹴りや野球など身体を動かすことが大好きで、中学高校の6年間は、バスケットボールに熱中した。「進学は考えてなかった。裕福じゃないもんで、すぐにでも就職せないかんからな」と高校卒業後は浜松市にある電気設備資材の販売会社へ勤務した。「最終的には掛川市の営業所へ異動になったんだけど、家の事情で3年ほどで辞めた」と当時を振り返る。

松下勤さんの作品

 「祖父の代から天理教を信仰してるもんだから、奈良県天理市の天理教教会本部へ自主的に1年ほど修行に行って、詰所で暮らしてた。そこでは天理教の教えを教わったりお勤めを勉強したり太鼓や笛などの鳴り物を学んだりしたね」。

 地元へ戻ってからは、運送会社の配車係として働いた。ドライバーが不在時には、代わりに運転業務を務めることもあったようだ。長年勤めていたが、人間関係のトラブルにより、59歳で早期退職をした。会社勤めしていたときの唯一の趣味はパチンコで、休日も朝から店に並ぶほどハマっていた。その頃は、モノづくりなど全くしていなかったという。そんな松下さんにあるとき、転機が訪れる。 

 「仕事を辞めて暇でやることなかったし、裏山のせいで自宅があまりにも陽が当たらないもんで、地主に『自由に切って良いかね』と相談して初めてチェーンソーを使ってみたら、木を伐採する喜びに感動したのよ。最初は、毎日のように母親が伐採した木を焼却してたんだけど、近所の人が通報して消防署が来たこともあったな」。

松下勤さん

 最初はヒノキや杉を伐採するだけだったが、やがて伐採した膨大な木の処分に困り、それらを使って造形物の制作を始めるようになった。退職してから、3年ほど知人に誘われて雑務を手伝っているうちに、チェーンソーの使い方などを自然と習得したようだ。やがて空き家の片付けも手伝うようになり、そこで貰ってきた不用品を4年ほど前からは、インターネットのオークションサイトで売ることで生計の足しにするようになった。ところが、次第に不用品の数は増えて、やがて自宅を埋め尽くすようになり、あるときから、そうした不用品と伐採した木材とを組み合わせ、独自の創作物をつくるようになったというわけだ。設計図など描くことはなく、制作途中にアイデアが閃いていくのだと言う。看板を削って文字を彫ったり廃材を組み合わせたりするだけでなく、自作のアーチェリー場や釣り堀をつくったりと、松下さんの創作意欲は尽きることがないようだ。山の斜面には、運送会社で働いていたときに入手したドラム缶の表面に「敵は本能寺にあり 明智光秀」という言葉を記したり真田家の家紋をくり抜いたりと、あらゆるものが松下さんの手にかかれば作品の素材となってしまう。

松下勤さんの作品
アーチェリー場

 「地主からは『放棄地だもんで、何してもいいよ。むしろ、綺麗にしてくれて助かる』と感謝されてんのよ。近所の子どもたちからは、『おじさんの体が悪くなったら、このガラクタどうすんの』と心配されてるし、兄弟たちからは『馬鹿だね、どうするだね。私ら片付けるのはやれへんで』と言われてるけどね」。

 松下さんによれば、空き家の片付けに行った際に「処分に困っている」と告げられれば、つい持ち帰ってしまうのだという。そして、そうした廃品を家で眺めているうちに、次なるアイデアが浮かんでくるようだ。そのため、「やってておもしろいから、途中でやめようと思ったことなんてない」と語る。

松下勤さんの作品

 さらに数年前からは、義兄から貰った鉢でフジバカマを育て始めたことで、日本で唯一「渡り」をする蝶として知られるアサギマダラが、毎年10月中旬から1ヶ月ほど飛来するようになった。アサギマダラの蝶が立ち寄る場所という意味も込めて、この地を「松下宿」と命名したようだ。アサギマダラが集まる時期には、毎日10人ぐらい蝶を眺めにくる人がいるものの、これまで一度も制作に関する取材などは受けたことがないのだという。統一感のない作品が敷地内の至るところに点在しているが、そうした制作の根底にあるのは、「陽気ぐらし」という天理教の教えだ。

フジバカマの鉢の棚

 「毎日『朝づとめ』として、朝6時30分から教会で経典を読んだり鳴り物を鳴らしたりしてるでよ。特別に熱心な信者ってわけじゃなくて、ただ惰性で信仰してるだもんで」。

松下勤さんの手描き看板

 そう松下さんは謙遜するが、これまでの人生において独身を貫いてきた松下さんの唯一の心の拠り所が天理教だったのではないだろうか。目に見えない宗教の世界を信仰するなかで、それを具現化するかたちで実現したのが退職後の表現活動だったのだろう。天理教の教えが目指すところは、「この世に陽気ぐらし世界を実現すること」とされている。教典によれば、世界はこの世ひとつだけで、「あの世」のような異世界は存在していない。つまり、この現実世界でいかに心豊かにしっかりと生きるかということが問われているわけだ。そう考えると、「晴れやかな喜びに包まれた楽しみづくめの暮らし」のことを指す「陽気ぐらし」と言う言葉を理想とする教えにもとづいて、この場所で自分だけの理想郷を具現化しようと試みている松下さんの創作には、妙に納得してしまう。誰に見せるわけでもないけれど、松下さんは誰かに楽しんでもらうことをただひたすらに願っている。そんなたったひとりの孤独なパラダイスがここには広がっている。

松下勤さん