「暗号化の営為」としてのアートの未来とは
いまもっとも刺激的なテキストを書くドイツ在住のアーティスト、ヒト・シュタイエルが2017年に発表した著書の待望の邦訳である。「星を覆う内戦時代のアート」とサブタイトルにある通り、つねに星=地球のどこかで紛争が起き、グローバリズムがとうに行き詰まりを迎え、巨大企業とインターネットの影響力に支配される今日の状況に斬り込んだクリティカルな一書だ。収録された論考のほとんどはウェブメディア「イーフラックス・ジャーナル」を初出とするが、シュタイエルが扱うトピックもネット上の有象無象に関わるものが少なくない(Twitterのbot、スパム、ロマンス詐欺など)。インターネット時代の評論かくありきといった感だが、シュタイエルの論がもっともスリリングな展開を示すのは、ネット上の事象やデジタル技術が現実の政治経済へと嵌入し、時に変革や攪乱の一手となるさまを炙り出す段にある。複数のコミュニケーションツールを駆使してマルチタスクをこなさなければならない現代人にはプロキシ(代理)を逆手にとった情報技術戦略を。デジタル領域の無価値なクズと見なされてきたスパムには社会反映論的な視座を。既存のシステムやテクノロジーの裏をかくシュタイエルの提案はシニカルで挑発的だが、惑星に張り巡らされる網の目に抵抗する手法と読み替えの技術を伝授してくれるものだ。
では、肝心のコンテンポラリー・アートの未来はどうなるか。シュタイエルは時間と空間を微塵に打ち砕くことが国家と美術館の再編成につながると言う。そして、非課税圏にあるフリーポートの美術品倉庫を取り上げ、国民国家主導の公共空間(旧来の美術館)を離脱する新たなモデルを見出す。治外法権の空間に収蔵される美術作品とは何やらあやしい気配がするが、そこにはフィクショナルな想像力も多分に作用しているように思える。
ダブルミーニングやアイロニカルな言い回しを駆使するシュタイエルの文章は、痛快だが決して単純な構造ではない。唐突に夢の話を混入させ、メール書簡の形式を織り交ぜるなど、実験的な文体のテキストも本書には収録されている。「美術とは、いわばそれ自体が暗号化の営為なのだ」(326頁)と述べるシュタイエルにとっては、テキストの執筆も、暗号を散りばめ創造的読解を読者に促す扇動の行為なのだろうか。本書から密輸された思想を生かすか殺すかは読者次第だ。
(『美術手帖』2021年12月号「BOOK」より)