アート界に居場所を見つけること
アーティストのグレイソン・ペリーが自身の体験を交じえながら、アート界やその構造を皮肉交じりのユーモアで語る、BBCでのレクチャーシリーズをもとにした一冊。原書の刊行は2014年だが、SNSの影響や大衆との関係性など、その言説の多くはいまなお通用するものだろう。ニューヨーク近代美術館でマルセル・デュシャンの《泉》に尿をかけたブライアン・イーノや、壁に掛けられていた絵画を毛布がわりにして暖をとった詩人のW・H・オーデンなど、時にささやかに、時にセンセーショナルにアートの概念を揺さぶった逸話も数多く語られる。
和訳を依頼された際、皮肉と冷笑に満ちたテキストの訳者として自分はふさわしくないのではないか、と戸惑いを覚えていた。しかし後半では彼がそのような態度をとる理由も語られており、その真摯さに惹かれ引き受けることにした。本書はひとりの人間がアーティストになり、地位を確立し現在に至るまでの、パーソナルなライフストーリーでもあり、最終章ではアートの存在意義を示してもいる。その意義はある特定の人間に対してしか意味を持たないかもしれないが、その特定の人間にとっては計り知れない価値を持ったものだ。そこに希望を見出すティーンエイジャーもいるはずだと思う。
ペリーは美術大学で教育を受けることの重要性を強調する。その環境が彼を救い、学んだこと、出会った人々がいまの彼をかたちづくったと自身の経験にふれ、いまの時代、正規の美術教育を受けずしてアーティストとして活躍することはできない、とまで言い切る。その言葉に、若干の疎外感を感じる。私はアート「も」学べる、いわゆる美大とは見なされない大学で教育を受けた。現代美術を学ぶ機会も限られており、私自身、そして周りの学生にも美大生や美大出身者に対するルサンチマンを抱えていた者は少なからずいた。運もあっただろうが、非正規ルートでアートの世界にたどり着いたような感覚がある。だからこそオルタナティヴな教育や別ルートの可能性もきっとあるはずだと信じたくもあり、実際そのような実践の場も生まれているように思える。何よりも、アート界に迷い込んだ「カカシやブリキのきこりや臆病なライオン」にとっても、選択肢は多いに越したことはないはずだから。
(『美術手帖』2021年12月号「BOOK」より)