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【シリーズ:BOOK】アール・ブリュットの名付け親デュビュッフェによる「反文化宣言」。『文化は人を窒息させる』

雑誌『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本から注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2020年10月号の「BOOK」2冊目は、画家でありアール・ブリュットの発見者、ジャン・デュビュッフェによる文化批判の書『文化は人を窒息させる』を取り上げる。

評=中島水緒(美術批評)

『文化は人を窒息させる デュビュッフェ式〈反文化宣言〉』の表紙

真に自由な創造を回復する、反乱の風

 画家として、またアール・ブリュットの発見者として、20世紀美術史に偉大な足跡を残したジャン・デュビュッフェ。著述家としても才を発揮していたこの画家の1968年の著作が初邦訳された。挑発的な書名が端的に表すように、本書は終生にわたってハイアートに「否」を唱え続けてきたデュビュッフェによる痛烈な文化批判の書である。

 では、デュビュッフェが決然と距離を置こうとした「文化」とはいかなるものか。文化は過去の長い歴史のなかで公的に支持された芸術的創造活動だけを選別し、優遇された作品以外を切り捨てることで成立してきた。歴史に残るのは、宣伝広告によって威光を帯びた作品や社会的な有用性を備えた作品だけだ。ここに、真の意味での体制転覆的な営みは存在しない。

 腐敗した文化の体制に抗し、デュビュッフェは一貫して個人主義を主張する。社会的基準と対立する個人主義だけが、彼の擁護する芸術の反社会性と精神を覚醒させる野生性を生き延びさせるからだ。だが、集団に対立するはずの個人主義も集団の構成員であるという構造から完全には逃れられない。だからこそデュビュッフェは、断片的・断続的に方向転換しながら自らの力を刷新する「非連続の哲学」を提唱したのだ。思考は絶えず流動性をまとい、それによって文化に絡め取られない未知の領野への推進力を備給するのである。

 デュビュッフェの主張は文化の擁護者たる知識人に「知識人であることを止める」べきと厳しく追及するまでに至るが、その批判が自らにも翻る諸刃の剣であることも自覚していただろう。芸術家であれ市井の人々であれ、文化の断罪は誰にでも跳ね返りうる。こうして思考のラディカリズムが極まったとき、デュビュッフェが思い描いたのは「見物人が誰ひとりおらず行為者しかいない舞台」であり、「自分を忘れて観客のいない役者」になるという、ニヒリズムとともに幕を開ける空想の世界だった。個人主義の極北にあるこのようなヴィジョンこそが、世界的規模の社会運動が展開された五月革命の季節に、デュビュッフェという一個人が出したひとつの芸術的解決策だったのだ。

 本書が「個人」であることの難しさが問われる現代社会にも一石を投じるものであることは確かだが、デュビュッフェの批判を真に引き受けようとするのなら、読者はひとりでこの書物に向き合う内観の時間から始めなければならない。反乱の風は、いつでもたったひとりの稀少な「異例」から吹き荒れるものなのだから。

『美術手帖』2020年10月号「BOOK」より)

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