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【シリーズ:BOOK】18世紀半ばのフランス絵画を通して「演劇性」の射程を提示する。『没入と演劇性』

雑誌『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本から注目の図録やエッセイ、写真集など、様々な書籍を紹介。2020年10月号の「BOOK」1冊目は、マイケル・フリードが18世紀半ばのフランス絵画を通して、美術批評における「演劇性」という言葉の射程を示す『没入と演劇性』を取り上げる。

評=岡俊一郎(美術史研究)

『没入と演劇性 ディドロの時代の絵画と観者』の表紙

絵画の演劇性を探る眼の冒険

 眼前にいる少年はシャボン玉遊びに没入していて、画面の外から彼に視線を向ける私たちの存在に気づくことはなさそうだ。いったい、18世紀のフランスでこうした絵画が描かれたことは何を意味しているのか。マイケル・フリードは『没入と演劇性』のなかでこの問いに対して解答を差し出そうとする。

 フリードはアメリカの美術批評家。とくに、ミニマリズムを批判的に取り上げた論者として知られる。タイトルにもある演劇性という言葉は、1967年に発表された「芸術と客体性」のなかで、彼がドナルド・ジャッドらの作品を批評する際に利用した言葉である。本書では、この概念の持つ理論的な射程が18世紀半ばのフランス絵画を巡る考察を通して示される。

 フリードは、絵画の様式や主題の変化を考察する立場や、美術の社会的な意味を読み解く歴史家の作業が持つ問題点を指摘しながら、当時の画家や批評家たちに共有されていた 本当の 、、、 問題を読み解いていく。絵画と同時代に書かれた作品評を並置させつつ分析を進める彼の手つきは極めて魅力的だ。彼によれば絵画と観者の関係こそが、当時の芸術界で発見された──そして、フリードと同時代の芸術をも規定する──問題である。絵画に人々が没入する様子が描かれるのは、観者を消去する技法のひとつだったのだ。

 読者はフリードの読解に引き込まれてしまうが、彼の読解の魅力は同時に難点ともなっている。例えば、絵画に登場するあらゆる行為が没入的な態度と結び付けられているように感じる。また、絵画がひとつの存在論的な問題を巡って展開してきたのだというフリードの批評的歴史観は、極めてモダニスト的なものである。彼の批評を支える思想の体系は、読者自身によって注意深く検証されなくてはならない。

 いっぽうで、フリードの提起した演劇性は、いまなお絵画や彫刻といった狭義の美術を超え、検証されている。例えば、2018年の『表象』(月曜社)や、2019年には『パフォーマンス・リサーチ』(Routledge)といった研究誌で演劇性に関する特集が組まれた。これらに掲載された論考の多くが彼の演劇性の概念を下敷きにしている。こうしたなかで、フリードの刺激的な一冊が、優れた達意の訳文で手に取れるようになったことは今後の研究の礎になるだろう。

『美術手帖』2020年10月号「BOOK」より)

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