展覧会と誌面にまたがるインターメディアの試み
雑誌にとって判型(誌面のサイズ)は、美術館にとっての建築のように、そのアイデンティティを決める最低要件となる。『美術手帖』の場合、1948年の創刊以来「A5判変型」が基本とされてきた。しかし過去に数度、その判型が変更されたことがある。ほぼ正方形でつくられた本増刊号がそのひとつだ。
「人間とテクノロジー」と題された本特集は、1969年に銀座のソニービルで開催された「国際サイテック・アート エレクトロマジカ’69」展のカタログを兼ねた号として臨時に刊行された。大阪万博の前年に開催された同展には、国内外15組の作家が参加しており、なかでもとりわけ重要な役割を担っていたのが造形作家の山口勝弘である。
1966年に「空間から環境へ」展に参加したのち、70年の大阪万博で三井グループ館の総合プロデューサーを務めた山口は、当時の日本におけるインターメディア的動向の中心人物だった。その山口のアイデアで、エレクトロマジカでは会場となるソニービルを3次元マガジン化する試み、通称「3DM」が試みられた。これはビル外壁に百数十個のストロボを設置することなどにより、ソニービル全体を「“いわゆる印刷物”にならない雑誌」として再提示する試みだ。
他方で同特集には、ニコラ・シェフェールや伊藤隆道など、エレクトロマジカ展の出展作家も数多く参加している。作品図版や誌上シンポジウムも充実しており、さながら雑誌全体が展覧会のようだ。こうした展覧会/誌面の両者にまたがる仕事をしたのが、デザイナーの石岡瑛子である。CGによるグラフィックと銀色のシートが印象的なチケットは、それを所有すること自体が「ステータス」になるものとして、多くの若者に買い求められた。また特集に「構成」として参加することで、特徴的な判型やグラフィカルな誌面づくりに大きく貢献している。
このように、同特集はエレクトロマジカに並走する「もうひとつの展覧会」であり(発売も同時期だ)、ソニービルと「いまここ」(=読書空間)を結ぶインターメディアな装置だったと言える。いっぽうの展覧会には、デザイナー(石岡)や造形作家(山口)のみならず、具体美術協会の会員(聴濤襄治)やコンピューター・アート集団(CTG)など、いかにも「雑誌的」に多彩なプレイヤーが一堂に会していた。
さらに特集内のコンテンツに目を向けてみれば、座談会では「人間とテクノロジー」の今日的な関係が喧々囂々と議論されている。「テクノロジー」の具体的な例として、テープレコーダーや自動販売機が話題に上るなど、現代から見ると牧歌的な一面もある。しかしいっぽうで、「人間の精神活動と肉体活動を可能なかぎり機械化しよう」というサイバネティックスが議論されるなど、昨今の人工知能を予見するような内容もあり、人間社会におけるAIの影響力が増しつつある現代だからこそ、再び読まれるべき内容でもあるだろう。
(『美術手帖』2023年10月号、「プレイバック!美術手帖」より)