「アール・デコ」と「未知なるもののデザイン」──テクノロジーはどのような装いをしてきたのか?

「デザイン史」の視点から現代における様々なトピックスを考える連載企画「『デザイン史』と歩く現代社会」。テーマごとに異なる執筆者が担当し、多様なデザインの視点から社会をとらえることを試みる。第3回は、デザイナーでリサーチャー、ライターの青山新が1920〜30年代に興ったデザイン様式「アール・デコ」について「SF映画」を切り口に考察。現代におけるデザインの事例もあわせて紹介し、テクノロジーがどのような姿で表現されてきたかについて論じる。

文=青山新(デザイナー・リサーチャー・ライター)

マルセル・レルビエ『人でなしの女』(1924) エイナールの実験室 引用(https://youtu.be/0LU_aXyoG2s)

テクノロジーはどのような装いをしてきたのか?

広がる装飾、逃げる装飾

 歩くこと──運動のダイナミズムは、19世紀末から20世紀前半にかけて起きたデザインと美術の大転換において、重要な焦点でした。例えばキュビスムは、特定の消失点を持った伝統的な西洋絵画を乗り越えようとするものであり、そこには動き回る視点が内包されています。

 この影響を受けつつ1909年にイタリアで興った未来派では、テクノロジーと速度の美学が模索され、連続写真を思わせる絵画や、工場や高速道路と一体化した都市像が登場します。

 いっぽう、1910年代後半には、キュビスムに影響を受けた画家ピエト・モンドリアンが提唱した新造形主義からデ・ステイルが生まれ、これはドイツ工作連盟やバウハウスを経由してモダニズム建築にも影響を与えました。ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」のひとつである「水平連続窓」を見てみましょう。壁を構造体とするかぎり、窓は縦長のスリットにならざるをえず、それは必然的に静止した風景を切り取る額縁として位置づけられてきました。これに対し、水平に連なるモダニズムの窓は、風景を視点の変化に沿って目まぐるしく移り変わるひとつの体験としてとらえ直したのです。

 このように19世紀末から20世紀前半にかけて、テクノロジーと生活をめぐる運動が、世界各地で複雑に共振しながら湧き起こっていました。

 今回のテーマであるアール・デコは、一般に「1920〜30年代のフランスで隆盛を迎え、テクノロジーによる美学を直線や幾何学形状、原色を多用した装飾へと昇華することによって、大量生産とアート&デザインを架橋しようと試みた動き」とまとめられることが多いでしょう。すなわち、アーツ・アンド・クラフツアール・ヌーヴォーが目指した手工業の回復や生活とアートの融合から、モダニズムの合理主義・非装飾の美学への移行のあいだに生まれた、テクノロジーとアートのありうる関係性のひとつだった、と。

 しかし、そうした類型からことごとく逸脱していくところにこそ、アール・デコの面白さはあります。アール・デコがデザインする対象は建築から腕時計まで、生活を彩るほとんどの製品に広がっていたのと同時に、日本やエジプト、アフリカといった非西欧圏の美術工芸を貪欲にデザインソースとして取り入れていきました。その結果、アール・デコとはフランスを中心としながらも、世界各国のあらゆる場所とシーンに遍在することになったのです。つまり、アール・デコ自体が、静止した視点から逃れ続ける断片のコラージュなのかもしれません。ゆえに、特定の製品を眺めるだけではアール・デコはとらえ切れません。そこには、当時の生活とそれを営む人々の思想を総体として表現する物語が必要となるはずです。

 20世紀初頭の急速なテクノロジーの進歩と大衆化は、アール・デコのみならず、物語にまつわる新たな表現をも開拓していました。すなわち、SF(サイエンス・フィクション)と映画です。SFはテクノロジーを起点に物語を通じてありうる世界を構築する試みであり、いっぽうの映画は総合芸術、つまりレンズに映り込む現実のありとあらゆるものを素材として世界を再構成する手法です。「いまここ」とは異なる世界そのものを立ち上げるこれらの表現は必然的に、社会や生活にまつわる様々なスケールの現象をそのなかに孕んでいます。

 ここからは、そんなSFと映画がつくり上げた物語世界を通じて、曖昧なアール・デコの輪郭を見つめ直してみたいと思います。

SFと映画が描いた1920年代のテクノロジー