本号には、画家・菊畑茂久馬による戦争画論「フジタよ あなたは……太平洋戦争記録画からの考察」が収められている。メインの特集は、歌川国芳・国貞の春画を取り上げた「哄笑─江戸のエロス」。しかし、特集に割かれた誌面は全321頁中わずか64頁(口絵を除く記事本体では40頁)しかない。そのいっぽうで特集外では、加納光於・大岡信の共作や、白川義員とマッド・アマノが争った「写真著作権問題」をめぐる考察、そして「近頃の『美術手帖』はひどいものだ」から始まり「その本来の姿に帰れ‼」という一喝で締め括られる読者投稿など、喧々囂々とした熱気が満ち溢れている。
菊畑の論考は、そうした喧騒のただ中にある。著作『フジタよ眠れ:絵描きと戦争』(葦書房、1978)のひな型になった同論考は、当時タブー視されていた藤田嗣治の戦争画を「絵画」として語り直し、いまや画家の代表作と目される評価に先鞭をつけるものだった。1935年生まれの菊畑は、少年時代に戦争画を前にして「観あげたあの大画面のふるえるような感動の意味を[…]問いたださなければならない」という内的な動機から出発している。そしてその視線の先には、戦争画賛美(戦前)と断罪(戦後)という「振子の根元を断ち切ること」、すなわち絵画/表現を語る言葉による戦争画の克服が見据えられていた。
その語りの独自性は、国粋主義が支配していた戦前日本の「ナショナリズム」が、平和主義へと一転した戦後日本にも連綿と引き継がれたと批判している点にある。戦前─戦後を貫く「ナショナリズム」の土俵の上で、戦後日本の「平和絵画」は「戦争画をぶんなぐる」役割を担わされたにすぎない。それよりもなぜ、戦争画家の「血塗られた手」に「一瞬神は宿ったのだろうか」と菊畑は問いかけるのだ。
本誌2015年9月号に掲載されたインタビュー(*1)で菊畑は、戦争画論を執筆した背景には、編集長から「いろんな人に頼んだが、みんな断ってくる。書いてくれ!」と懇願された経緯があったと述懐している。その語りは当時あまりにラディカルだったため、菊畑が張った論陣は一時、前人未到の孤独な空間になった。しかし先述のように、いまでは藤田の戦争画は日本美術史における特異点となり、また菊畑が戦争画と並行して語っていたアマチュア画家・山本作兵衛の炭鉱画は世界記憶遺産に登録されるに至った。
このように、様々な二項対立(賛美/断罪、美術のプロ/アマ)を超えて「表現」に立ち返ろうとする菊畑の語りは、その後多くの人々を動かす原動力となった。50年以上前の誌面をめくることで、私たちはいまでもその熱を受け取ることができる。
*1──「菊畑茂久馬インタビュー 目覚めよフジタ」(聞き手=椹木野衣)、『美術手帖』2015年9月号特集「絵描きと戦争」
(『美術手帖』2023年4月号、「プレイバック!美術手帖」より)