長谷川新 月評第4回 「新興写真に始まる│写真集の時代より」展 それは悲劇でも喜劇でもない
祝日の国旗掲揚を奨励すべく、神社本庁が2011年に制作したポスターには、「私日本人でよかった」というコピーとともに、穏やかに微笑み頬をピンクに染めた女性の顔写真が掲載されている。この顔写真がゲッティ・イメージズという写真代理店から購入されたイメージであり、モデルの女性は日本人ではないのではないかという一般からの指摘に対して、神社本庁が「写真のセレクトはデザイン会社に一任している」と返答したことは記憶に新しい。
築100年の町家を改装し私設図書館とされた山鬼文庫では、小ぶりながら非常に興味深い展覧会が行われていた。1930年代の「新興写真」に端を発し、写真家たちが戦時体制においてナショナリズムと結託しながら数多くの報道写真・商業写真を撮影し、戦後へと連続していく流れを示すと同時に、金沢在住のアマチュア写真家・折橋正一の全体像を活写しようという試みである。会場には代表の森仁史が所蔵する写真集が何冊も陳列されているのだが、そのなかでもひときわ異彩を放つ写真集があった。えんじ色の表紙には顕微鏡を覗き込む男性の写真が掲載され、『天皇』とタイトルが記されている。かつて御真影として徹底的に神聖化された天皇のポートレイトは、戦後すぐに反転し、天皇のプライベート写真集の刊行へとつながっていく。このとき編集を行ったサンニュースフォトスの面々は、戦時宣伝に従事していた日本工房の写真家たちにほかならない。こうした写真家たちの「転向」や、新興写真の表象とナショナリズムの親和性、商品として流通する「報道写真」が可能にしたアマチュアからプロへの移行と、それに伴う写真家の著作権意識の高まり(マッド・アマノの「パロディ事件」はその帰結だ)については、すでに膨大な先行研究の蓄積があり、本展もここまではおおむねその流れに沿ったものだ。しかし前述のとおり本展は二部構成となっており、突如として折橋正一の初個展/回顧展の体裁をとり始める。より正確に言えば、展覧会においては折橋の写真を紹介する空間のほうに重きが置かれ、新興写真を紹介する空間は、いわばそこに従属している。これはどういうことだろうか。
折橋は、金沢市の事業部に就職しそのまま定年まで働きながら、受賞経験を重ねているアマチュア写真家である。展示された写真は、土門拳や『PROVOKE』のようなスナップから報道写真に至るまで様々であり、折橋が先人のスタイルを貪欲に吸収しようとしてきたことがうかがえる。近年はより前衛的な作品にも取り組んでおり、展示のための箱や額まで自らつくり込んでいる。本展では、折橋のこうした実践を「地方の牧歌的なアマチュアリズム」としてやり過ごすのではなく、あくまでも日本近現代史のなかに織りこんでいこうという意志が迸っている。あるいはその意志が先行している。しばしば錯誤される「反復モデル」──オリンピックに、万博に、来るべき戦争に、アーティストが動員されていく──は、そうした先行する意志とわかちがたく結びついている。私たちは、折橋の実践と冒頭の事例が同時に屹立する現在を生きているのだ。それは悲劇でも喜劇でもない。
(『美術手帖』2017年7月号「REVIEWS 10」より)