宙宙、方巍、UMAが、複雑な多面体である人間そのものや、自然界の生の循環を主題とするならば、谷川美音と山口遼太郎は「風景」を通じて自然と人間との距離を見つめる。彼女たちの「風景」とは、自身の感覚に根ざした世界を反映する鏡である。
谷川は、流動的なドローイングの線を立体化し、漆を施した彫刻を制作することで知られる作家だ。水色や黄色、緑に赤といった爽やかな色使いや、一瞬の動きを結晶化したような造形は非常に軽やかだ。本展では、アイスランドの雄大な滝にインスピレーションを受けた《foss》(2024)をはじめ、散歩中に目にする野花、「霎時施(こさめときどきふる)」秋の空気、甘雨と呼ばれる春先の雨といった、身近な自然と触れるなかで育まれた時間や感覚に基づく作品が並んだ。谷川の作品には、漆という自然素材に宿る時間と、漆を塗っては削り塗っては削りを繰り返して色やかたちを整えていく作家自身の制作の時間が、境界なく共存している。谷川は漆という伝統的な素材と技法の力に敬意を払いながら、過ぎ行く自然の表情や瞬く間に消えてしまう自身の感覚にかたちを与えて、風景として私たちに示してくれる。


山口遼太郎もまた、土という自然の素材と対話をしながら風景をつくる。ただし、彼がつくる風景はとても小さい。滑らかな起伏のある陶器の土台には、1センチに満たないほどの小さく細い人や犬のような生き物がぽつんと佇む。日常の断片的な記憶や夢に着想を得てつくられるというこの小さな陶の世界では、人と動物、そして自然は互いを守りながら親密に寄り添い合っている。山口の作品にとって、この「小ささ」はとても重要だ。小さな人物たちと同じ目の高さで作品を覗くと、陶器の上の小さな世界が、鑑賞者のなかで雄大なパノラマとなって拡がるのだ。鑑賞者の目線の高さや姿勢にアプローチする点で、先述した宙宙のインスタレーションと山口の作品には共通点がある。ただ、宙宙の作品は小さな構成物同士が作用し結びついて、展示会場全体へ拡散する指向性を持つのに対し、山口の作品は見るものが奥へと入り込んでいくような、深度のある箱庭的な風景である。この箱庭は、小さなものを大きく、近いものを遠く感じさせる不思議な庭だ。こうした鑑賞体験が生まれるのは、彼のつくる風景が私たちの身体感覚と記憶に深く働きかけるからにほかならない。

