展示室3
最後に展示される《Being Wild》(2021)は、前の展示空間で描かれるような都市的な生活と伝統の残る小さな街での生活を鮮やかに対比する。ローラースケートで異なる風景をつなぎあわせるように駆けまわる少女は、ひとり語りをしながら時折1980年頃の歌謡曲をおもむろに口ずさむ。彼女の等身大の語りと風景の移ろいは、急速に変貌する街や時代の変化を象徴すると同時に、時代を遡行することで現実へと抗おうとしているようにも見える。またゲーム的な画面の構図が、都市の発展とその裏にある無数の小さな街の荒廃という現実の空虚さ、そして後者には触れることができない歴史という装置の虚構性を浮き彫りにする。

永劫回帰
さて、ここまで展示の導線に沿って、それぞれの空間および展示構成を追ってきた。最後にみた《Being Wild》は、最初の展示室へと続く回廊の角となる空間を覆うように湾曲した大きなスクリーンに投影されている。そして、作家がつくり出す虚構の舞台装置としての展示空間をひとつの大きな円環としてつなげている。また最後の作品を鑑賞してはじめて、この空間が反時計回りに周回する構造になっていることがわかる。この展示の導線は、残酷な現実が進むことに対する抵抗であり、知らず知らずのうちに鑑賞者は陶がつくり出した舞台装置を通してこの抵抗をなぞらされている。そしてこの入り組んだ現実と虚構は、周回しながら無限に続いていく。

陶はここまで繰り返し述べてきたように、現実と虚構を重層的に行き来する。陶自身がテレビや小説といった虚構に救いを求めてきたひとりであり、そうした彼が創出する舞台装置に巻き込まれ、鑑賞者それぞれの生きる現実が客体化されていく。残酷な現実は死をもってしか終わらせることはできない。だからこそ、それ自体を虚構によって客体化し、現実を括弧にいれることで抵抗を試みる。「生の彼方の地(In the Land Beyond Living)」に続くのは、現実としての虚構か、あるいは残酷な現実か。
*1──Yang Zi, “Outside of Form, the Story Begins: The Work of Tao Hui,” New Directions: Tao Hui (Beijing: UCCA Center for Contemporary Art, 2015), 18.