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虚構によって現実を括弧に入れる。岩田智哉評「Tao Hui: In the Land Beyond Living」【3/4ページ】

展示室2

 《Hardworking》(2023-24)では、かたちの歪んだスマホを模した大きなモニターを、溶けかけの人物がなんとか踏ん張りながら後方から支えている。そしてモニターに流れる映像では、ライブ配信をするインフルエンサー風の女性がどこか物哀しげにTikTokやインフルエンサー文化をめぐる眼差しのポリティクス、画面を通したリアリティや満たされることのないつながりについて、自嘲気味に風刺的な語りを展開する。

展示風景より、《Hardworking》(2023-24)
展示風景より、《Hardworking》(2023-24)

 この大きなインスタレーションの横では、ひっそりと《From Sichuan to Shenzhen》(2017)が展示される。出稼ぎ労働者が住まうアパートの古い洗面台を模した台座に鏡のように設置されたスクリーンには、自らも四川から深圳に出て働く女性が電話で語る日々の苦悩が、スマートフォンで音楽を再生したときの歌詞のスクロールのように流れる。洗面器の中に置かれたヘッドフォンを耳に当てると、セリフと同期した彼女の声が流れ、過去に別れた男性や田舎の保守的な両親の結婚観、仕事関係の男性に性的な目で見られることに対するやるせなさが、現実に葛藤するリアルな感情を伴った声で聞こえる。

展示風景より、《From Sichuan to Shenzhen》(2017)

 ここでは、《Hardworking》と《From Sichuan to Shenzhen》という社会の対極を扱ったようなふたつの作品が同じ空間に配置される。前者で示される煌びやかな世界とその裏に隠れた現実と対比されるように、後者では日々の現実から逃れてそうした虚像を消費する大衆としての都市生活者の苦悩が描かれる。その苦悩の語りが鏡の位置に置かれることで、虚構の現実として作品に接していた鑑賞者に、不意に自身の姿をその鏡像として定位するよう迫る。ここに来て、鑑賞者は再び現実へと引き戻される。

編集部

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