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上海ビエンナーレで王海川が提示
する、中国現代社会のひずみ

11月11日〜2017年3月12日に、上海当代美術博物館で開催されている第11回上海ビエンナーレ。インドのアートユニット「ラックス・メディア・コレクティブ」のキュレーションのもと、95組のアーティストが参加し、日本からは新井卓と笹本晃が出展している。コンセプトの「Why Not Ask Again(ホワイ・ノット・アスク・アゲイン)」は、様々な問題を改めて問い直すことで、その問い自体が世界でどのように機能してきたのかを考える、というものだ。本稿では、出品作家の王海川(ワン・ハイチュン)に、自身もアーティストとして活動しながら彼の活動を研究している寺江圭一朗が迫る。この国際展のコンセプトを象徴している王の作品は、中国の社会全体で見られる、普遍的な課題を提示している。

寺江圭一朗

重慶市にある銅元局の、取り壊された建物とマンション。中国の生活様式の移り変わりを象徴する風景だ

今回の上海ビエンナーレに王海川が出品している《七日》は、彼が進める「銅元局プロジェクト」の一環として位置づけられている。本プロジェクトの舞台になっている、中国の重慶市にある銅元局は、1904年に清の銅貨工場として開かれ、30年に武器製造工場の街へと転換した。50年代には工場の周辺にソ連のデザインを採用した社宅群がつくられ、労働者たちはそこで集団生活をするようになった。「三線建設」(ソ連への対抗を目的に、1964年に毛沢東が経済発展や軍事拡大を推進した、工業化計画)が停滞する70年代初頭までの間に急速に発展し、最盛期には4万人の労働者がこの地域にいたという。

第二次世界大戦が終わり社会情勢が変わると工場は役割を失い、都市の再開発のため、2001年頃から建物の取り壊しが進む。住民たちは政府の用意した別の場所への移住を余儀なくされた。現在、ほとんどの住人はすでに移動し建物も崩されたが、一部はまだ残っており、当時の労働者も少数だが暮らしている。だが数年内に、社宅とそこで形成された共同体は完全に消滅する予定だ。このような歴史を持つ銅元局は、典型的な中国の都市化の過程をたどってきた場所だ。ここを舞台にしたプロジェクトを09年から行っているのが、王海川である。

《七日》は、銅元局の建物が取り壊されたときに7日間かけて集めた廃材を利用した、教会と懺悔室をイメージした2つの構造物によって構成された作品だ。一部には、「銅建村」という昔の銅元局の住所を示すサインや、住人が残した生活用品がコラージュされている。懺悔室を模した、人々がユートピアとして希望を持っていた集団主義時代の記憶の塊の前に、異なる価値観のなかで生活を送っている私たち鑑賞者が立つ、という構図になっている。だが、出品作だけでは、銅元局プロジェクトの全体像は見えにくい。

王海川が上海ビエンナーレに出品した《七日》

銅元局プロジェクトの活動を、王は「テスト」と呼んでいる。具体的には、アパートが壊されるまでの記録や人々へのインタビュー、美術教育プログラム(地域住民にカメラをわたして個人的な写真を撮ってもらい展覧会を開催したり、住民たちとともに地域の祭りをつくるなど)といった、継続的な活動を複数行っている。このようなことを通して、住民のうちの何人かは廃材などを用いて作品をつくるようになった。《七日》は、彼らの方法を参照してつくられた作品でもある。「街の再開発の過程で社会的には排除されつつある住民たちが、取り壊しの際に出た不要なゴミを使い、何もないところから価値を生み出すことに表現の強さを感じている」と王は言う。

テストによって、美術教育的なプログラムを受けた住民の何人かが作品をつくるようになり、彼もまたテストを通して住民たちの表現に興味を持った。通常の意味での教育とは異なる双方向の体験があったことで、《七日》のような作品は生み出されているのだ。

銅元局で生活している住民。手前は、彼が拾ってきたものでできた作品
王が手渡したカメラで銅元局の住民が撮った写真

王は、銅元局の人々の個人的な思いや美的感覚に着目することで、自身の表現領域を拡張しようとしている。いっぽうで、プロジェクトを通して住民たちや銅元局に起こっている変化を調査することで、毛沢東時代の集団主義から資本主義的な現在の傾向に変化するまでの社会の変化や、そのどちらの社会も経験してきた1940〜60年代生まれの人々に起こっている変化を知ることも、活動の目的においている。

中国の今と昔の集団形成のされかたは、ずいぶん異なる。昔は職場が生活の単位になっており、同じ仕事をしている人たちは同じ宿舎に住んでいた。共同のお風呂や炊事場があり、個人の部屋は寝るためのベッドなど最低限のものが置かれているのみだった。集団の関係性は仕事と生活を共にすることで形成され、みなが同じ理想に向けて一緒に目標を達成しようとした。銅元局も、そういう場所だった。

その後、彼らは都市開発のために移住をさせられるのだが、移住先は、現在中国で採用されている「小区」と呼ばれる仕組みの場所になる。これは、一つの居住エリアに、様々な職種の人が住んでおり、近隣とは仕事を共有していない。また各自の部屋には風呂もトイレも設置されている。

このような社会や生活の変化のために起こる人間性の変化などを調査し、作品に反映させることで、個人と社会に起こる亀裂を王は表現しようとしている。その調査から表現までが、「銅元局プロジェクト」の全体像なのだ。

王のアトリエ。作品の材料となる、銅元局の廃材や家具が置かれている

作品に見え隠れする政治性について王は、「この国は自由や平等、統率など様々な問題が残されているので、私たちは政治性を持つことを避けられない」と言う。だが、ここで留意しなければならないのは、作品を通して特定の政治的な態度を表明しようとしているのではなく、自然と政治性が出てしまうような状況に社会がある、と彼が考えていることだ。それは、中国で起こっている典型的な都市開発の現場自体をモチーフにすることや、王の創作の視点自体が政治的だということとは少し異なる。

上海ビエンナーレのコンセプトが示す「問い自体が世界にどのような影響を与えてきたか」という問題提起は、作家が世界をどのようにとらえ作品にしてきたのか、という問いに重ねることができる。王の言う「政治性を避けられない状態」にある、銅元局の人々や彼の作品は、社会やそれに翻弄される生活をどのようにとらえてきたかという、私たち自身の眼差しや思考の問題として、改めて考えさせてくれる。

中国において、露骨に政治的な態度を示す作品は「政治を利用しているだけだ」と批判されやすい一面を持つ。「本当に表現したいことを、政治性を持つことなくそのままかたちにできるとき、私たちは何を制作することができるのか。そこにも興味がある」と王は語る。その言葉は、自身の純粋な表現を希求することで真の自由や理想を社会に求める、アーティストの信念を示していた。

重慶市の黃桷坪にあるアトリエでインタビューに答える王

PROFILE

王海川 1968年中国・吉林生まれ。97年四川美術学院油画科卒業。主な個展に2011年「銅元局-16.9M²」、12年「銅元局−旅行」(銅元局、重慶)、「銅元局-七日」(オルガンハウス、重慶)。主なグループ展に10年「上海アートフェア」(上海貿易センタービル)、16年「第11回上海ビエンナーレ」(上海当代美術博物館)。

編集部

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