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内と外のふたつの視点から解読する。中島水緒評 中島りか「I tower over my dead body.」展

代々木駅前にあるギャラリー「TOH」。そこでタロットカードの「塔」をテーマにした「セラピー」型の作品を中心にした中島りかの個展が開催された。代々木駅という立地やタロットカードというキーワードから、美術批評の中島水緒が、展覧会の内側と外側、両方向から見たレビューを展開する。

中島水緒=文

「I tower over my dead body.」展より、《 塔のセラピー》(2021) 撮影=竹久直樹

タロットカード、正しく読むか? 逆さに読むか?

女性の占い師に未来のことを尋ねる者は、自分の内部にある将来についての知らせを、知らない間に放棄している。その知らせは、占い師のもとで彼が聞きえたどんなことよりも千倍も正確なものなのに。〔…〕身体には、それ自身の根底においては、運命的な出来事と張り合い、それに勝利する力がそなわっているのであって、この力を身体から騙し取るならば、罰せられずにはすまないのだ。(ヴァルター・ベンヤミン『この道、一方通行』 *1)
最初に光が見え、あとから音が聞こえるという事実が、私にはひどく印象的だった。(ジョルジヨ・デ・キリコ『キリコ回想録』*2)

  一般的にタロットカードは78枚1組で、22枚の大アルカナと56枚の小アルカナの2種で構成される。偶然選び取ったカードから意味や暗示を読み取るのが基本的な占い方だが、カードの向きが「正位置」か「逆位置」かで解釈が異なることもある。アーティストの中島りかは、大アルカナのなかでも最凶のカードと言われる「塔(The Tower)」を「セルフポートレート」と呼び、カードに託された「解放、閉じ込められたものの出現」という意味合いをそのまま個展のステトメントに掲げた。正位置なら「災害、事故、崩壊」、逆位置なら「緊迫、受難、不安定」(*3)。いずれの位置でも悪い象徴となる「塔」のカードは、鑑賞者に対する予告=予言なのだろうか。カードの言葉を解体すべく、中島の個展「I tower over my dead body.」を正位置・逆位置の二つの視点からたどってみたい。

正位置(Positive position)

 代々木駅東口を出て徒歩1分にあるはずのそのギャラリーはすぐには見つからなかった。某所で入手したDMで住所を確認すると、マンションの部屋番号は「1B」とある。あなたは居酒屋を1階に構えた雑居ビルに見当をつけるが、それらしい地下への入口はない。仕方がないので居酒屋脇の小さな階段をのぼりエントランスの様子をさぐる。すぐ右手に、「TOH(トー)」という奇妙な名をもつそのギャラリーの重々しい扉が見つかる。「1B」というのは地階(B1)ではなく部屋番号のことだったか(*4)。扉を開けるとさらに階段があり、「関係者以外立入禁止」のあやしい看板に威圧されながら慎重に奥へ進む。ようやくたどり着いたギャラリーはカウンターのある白い小部屋で、「1B」という部屋番号ながら実質は中2階にあり、奥にある窓一面からはあなたが先刻までいた代々木駅方面の景色をのぞむことができた。線路を行き交う電車、視界を遮る電線、うるさい広告看板──。秩序もへったくれもない猥雑な都市風景が広がっている。眼下に目をやると、小さな踏切が黄と黒の遮断機を無感情に上げ下げしていた。

「I tower over my dead body.」展より、《Rのドア》(2021) 撮影者=竹久直樹

 カウンターにいた白衣姿の女性に「こんにちは」と声をかけられ、あなたは《塔のセラピー》と銘打った体験型のサウンド・インスタレーションの予約をしていたことを思い出す。  

 女性に「問診票」なる用紙を渡され、「はい」か「いいえ」かで答える6つの質問にチェックを入れる。「誰かに誘導されることに極度の抵抗を感じる」「過去に死にたいと思ったことがある」という質問で丸をつけるのを躊躇した。催眠療法の一種というそのセラピーを、無防備に受けていいものか。あなたの警戒を言外に読み取った女性が明るい声色で補足を加える。いわく、このサウンド・インスタレーションは「フィクションの上で一度死んで、生まれ変わること」を体験させる作品である。「不快に感じたらいつでも離脱していい」と繰り返し念を押され、あなたはカーテンに仕切られた中央のゾーニング・スペースにするりと身体を滑らせた。一人掛けのソファと2台のスピーカーがあり、上等なクッションに深く腰をうずめ、ヘッドホンを装着する。ヘッドホンからは中島と名乗る男の声が流れ、これからあなたをある体験に向けて誘導(ガイド)するという。「目を閉じて」「リラックスして」「息を吸って吐いて」。ねっとりと耳に絡む声が脳内に侵入してくるようで、意識を奪われたくないあなたはせめてもの反抗で目だけを見開いていた。半透明のカーテン越しに窓の外の風景が見え、代々木駅を通過する複数の電車の走行音が少し遠くに聞こえたが、カーテン越しのそれらはどちらも幻のように稀薄だった。

「I tower over my dead body.」展より、《 塔のセラピー》(2021) 撮影=竹久直樹

 声は言う。あなたはいま10歳の子供に若返っていて、目の前には塔がある。塔の階段を1段のぼるごとに齢をとるだろう、と。途中で3つの鏡があり、それを覗き込むと、「あなたがこれまでの人生でいちばん幸せを感じた出来事はなんですか」「これまでの人生で後悔していることはなんですか」といった、やたらと内省に誘う質問が繰り出された。これは何かのイニシエーションなのだろうか?──再びの警戒心が頭をもたげてくる。

 あなたは塔のてっぺんに着いた。頭上で大きな月が輝き、続いて雲が空を覆い、闇と静寂が訪れた。雷鳴が轟く。強い振動がスピーカーから発せられ、あなたの身体を貫いた。激しい雷鳴が身体を内側から破砕し、細胞という細胞を沸き立たせるかのようだったが、あなたはなぜか、数日前にとあるTV番組が紹介していた「落雷が増えるとキノコがよく育つ」という古来からの説を思い出していた(*5)。「塔、TOH、十」という連想から、「とうでとうとうおしまいよ」という童謡の歌詞までが浮かんでくる。自分が雷鳴を聞かされるがままのキノコにでもなった気分でいると、ほどなくしてヘッドホンから伝わる暴力的な轟音が止んだ。

展示室の窓から見た風景。写真右から《土は土に、灰は灰に、ちりはちりに》《パブリックスピーチ》 (ともに2021)、《We are blind. 2014, I see what I see.》( 2015) 撮影=竹久直樹

 死んだのかもしれない。声が告げるにはここは「神の国」である。カーテン越しの風景がいよいよ白んで見えた。空白と静寂の時間帯を通過すると、身体から脱け出したあなたの魂は地球、日本、渋谷、そしてTOHのある代々木へと戻っていく。以上が世にも奇妙な「セラピー」のあらましである。どこまでフィクションに没入できたか自分でもよくわからないものの、窓から射し込む午後の西日にじっとり身体を包まれる感覚がやけに生々しかったのは覚えている。

 サウンド・インスタレーションを終えたあなたは室内に展示された他の作品を一つひとつ点検する。壁には「昨日の人身事故(塔内)/死亡08/負傷25」の掲示があるが、これは「セラピーを体験した人(フィクションの上で死んだ人)/体験せずに展示だけ見た人(死なずに済んだ人)」の数なのではないか。生き死にを決定する人生の分岐点に思いを馳せずにはいられない。運命の選択は「関係者以外立入禁止」の警告を無視して入り口を突破し、部屋に足を踏み入れた時点で始まっていたのかもしれない。「セラピー」を体験せずに素通りした鑑賞者もいる、という可能性がいまのあなたには救いの一糸に思えた(素通りもまたひとつの強さであるから)。モダンなセラミック製の骨つぼは《土は土に、灰は灰に、ちりはちりに》と名付けられた作品のわりに「死」の気配が薄く(それはむしろクールなコンセプチュアル・アートだ)、タロットカードをあしらったフィルムシートはあなたに「タロットカードの絵柄は美術作品のように解釈することができるか」という問いを突きつけるものに思えた(タロットの絵から象徴を抜き去ることは可能だろうか?)。

「I tower over my dead body.」展より、《タロットリーディングによるセルフポートレート》(2021)  撮影=竹久直樹

 白衣姿の女性は鑑賞者が望めばタロット占いもすると言うが、その参加型作品にはすでに先客がいた。あなたはひとりで再び窓に近寄り、雲間から差す光を見た。そして、窓に貼られた1枚の写真が外の景色を同じ視点から撮影したものだと気づいた。写真のなかの広告看板には「神は死んだ」の文字が打たれており、あなたは自分の身体がスピリチュアルとコンセプチュアルのはざまに立たされていると感じた。

逆位置(Reverse position)

 視点は180度回転する。ここから先は塔(TOH)の外に出て、ギャラリー内でのセラピー体験を相対化するつもりで代々木駅周辺を散策してみよう。窓に貼られた写真作品《パブリックスピーチ》には「神は死んだ」の文言を打った広告看板が確かに写り込んでいるが、じつはこの文字部分は合成である。中島いわく実際に貸看板を借りたかったらしいのだが、広告料金が高過ぎる、という極めて世俗的な理由で手が出せなかったそうだ。しかしながら、フィクションの上で「神の国」を通過すること、フェイクによって神の死を宣伝することが、代々木駅を中心とする同心円内で起こっていることには注意が必要だ。なぜならここでは、一方の神秘体験を一方の広報活動が根こそぎ否定するという背反現象が、主に「声」と「文字」の作用によって生じているからだ。

ギャラリーの外観より、《最愛なる自殺攻撃者たちへ》(2021) 撮影=竹久直樹

 ギャラリーのあるビルの外観を見返してみよう。2階にあるTOHの窓の上方に「流れる文字」タイプの電光掲示板がある。これも中島の作品だ。電光掲示板は緩慢な速度で「人身事故の影響で心が痛む」という文字を左から右へと吐き出す。誰に向けてのメッセージなのか。リテラルに読めば、いつの時代も絶えない事故死亡者への哀悼の言葉だが、「死亡者=TOHで『セラピー』を体験した人」と読むならば、「催眠療法で来場者の皆さんを殺してしまってごめんなさい」という懺悔の言葉にも取れるのではないか。もしくは、世をはかなむふりをして人の死を嘲弄するシニシズムをそこに読み取ることもできるだろうか。あるいは、社会で起こっている事件・事故と個人の内的世界の共鳴をそこに見出せるだろうか。安っぽく明滅する電光掲示板の文字は「声色」がないので真意を推し量りがたい。メッセージを受け取った者をダブルバインドに陥らせるような文言といえようが、一考すべきは、内語のダダ漏れのようなメッセージが対外的な「広告」として機能する両義的な在り方のほうだ。この両義性によって公と私は熾烈に開通し、言語は慣習的な機能と効果から解き放たれるのである。

 歩を進めて、今度はギャラリーの窓から見下ろした踏切のそばに行ってみよう。じつはこの踏切は「開かずの踏切」として有名な厩道踏切である。ちなみに代々木には遮断機が長時間降りたままで歩行者の通行を妨げてしまう「開かずの踏切」が他にも存在する。ときに近隣住民の足に影響を与え、ときに無理やり横断しようとした歩行者を鉄道事故に巻き込む「開かずの踏切」は、なぜ解消できないのだろうか。

 ごく手短に説明すると、これには代々木駅の特異な構造が関係している。代々木駅は山手線、総武線、中央線といった複数の路線が乗り入れる接続駅だが、これまで埼京線などが行き交っていた厩道踏切は、近年、相鉄・JR直通線の開業によって通過列車の本数が増え、朝夕ラッシュ時の「開かずの踏切」問題が深刻化しているという(*6)。踏切の立体交差化を求めて渋谷区議会が要望書を出すも、地形的条件から改善が難しい状況が続いているのだ。しかもこの厩道踏切は、1885年、日本鉄道品川線(山手線の前身)が開業した頃に設置された都内屈指の歴史的踏切で、代々木の地との因縁も深い。

 TOHの窓枠がこの踏切をあたかもひとつの映像であるかのごとく内部に取り込んでいることは、たんなる偶然ではない。なぜなら高架化も廃止もできない踏切──そう簡単には取り壊せない公共物──は、「死」と近接するものであるゆえに、中島の個展と通じ合う側面をもっているからだ。そしてこのような「死」の符牒を確認したとき、「塔」のカードがもつ「解放、閉じ込められたものの出現」という象徴の力は、「取り壊せないゆえに死を誘発する公共物」に小さな風穴を開ける発破剤として重要な役割を担うのだ。

代々木駅構内に展示された《塔のスプレッド 》(2021) 撮影=竹久直樹

  踏切を確認したら、ついでに代々木駅の古い駅舎を観察してみることをおすすめする。予備校や飲食店で賑わう西口に比べ、アーチ状の独特のエントランスをもつ東口は古さと重苦しさを残した佇まいだ。そこから狭い地下道を抜けて階段を上がり、総武線千葉方面の4番ホームに降り立てば、TOHを飛び出して構内に出現した中島の作品が見つかるはずである(広告ポスターを擬した《塔のスプレッド》)。さらにそのあとは、3番ホームから千葉方面の線路をのぞんでみてほしい。左側へ曲がる急カーブの始点が見え、代々木駅の「地形」がわずかながらにでも体感できるだろう(*7)。もうひとつの見どころは、山手線と総武線が乗り入れる2・3番ホームにある奇妙な段差だ。近くには「足もとにご注意」の看板と転倒防止の柵が設置されていて、タイミングがあえば「段差にご注意ください」というアナウンスの声も頭上から降ってくる。ホーム上に段差がある駅は非常に珍しいのだが、これは代々木駅が極端な勾配をもつために生じたものである。

 勾配とホームの段差には鉄道の延伸開発が影響している。代々木駅は隣接する新宿駅とともにホームの増設・延伸を繰り返しており、両駅の距離を異様なまでに縮めてきた。代々木駅と新宿駅は近過ぎる、ゆえに現在の代々木駅ホームはその皺寄せとして奇妙な段差を生じさせてしまったのだ(*8)。

 1906年に開業した代々木駅は現在に至るまで度重なる改装を経てきた。しかし、利便性を求める鉄道開発が計画に計画を重ねたところで、その土地固有の問題はひずみとなって必ずどこかに噴出する。ひずみを引き受けているのは「開かずの踏切」も同様である。TOHが位置するのはそのような場所であり、タロットもセラピーも、都市計画のひずみが押し寄せた当地で行われていることを忘れてはならない。というのも、特殊な磁場が解釈のコンパスを狂わせる遠因となっているかもしれないからだ。これまで述べてきたことが牽強付会で倒錯じみているとしても、代々木に土地勘があり、これまで公共空間に介入するパフォーマンスなどを行ってきた中島が、無意識のうちにこの地のひずみを受信して今回の展示にフィードバックさせた可能性は捨てきれないだろう。

 冒頭で述べた通り、タロットカードは絵柄が正しく出るか逆さまに出るかで解釈が変わる。ただし、逆位置に出たからといって象徴の意味が反対になるわけではない。逆位置を採用するか否かは占者のあいだで判断が揺れるところだ。採用すれば解釈の幅は広がるが、そもそもカードの製作者が逆位置を想定せずに絵柄をつくっている可能性もあるし、逆位置の扱いは迷いが生じやすいとする向きもある。つまり、可能性を増やすということは誤解釈のリスクも増やすということだ。以上を踏まえて鑑賞者はもろもろの判断を自分で下さなければならない。

 最後に、中島が個展のDMや駅の広告ポスターに採用した「塔」の絵柄をもう一度見てみよう。雷が塔の頂上を直撃し、2人の人物が地面に落下するさまをシンプルな描線で図案化したマルセイユ版のカードだ。「I tower over my dead body.」は、いずれにせよ悪い意味をもつ「塔」のカード一択に賭けることで、雷の一撃の破壊力を増幅させた展覧会と言えるのではないか。内なる世界の探究と都市空間への攻撃は、矛盾やズレをはらみながら同時に行われている。では、崩壊からの解放、そのあとに訪れるものはいったいなんだろうか?  「塔」のカードの破壊力がおのれの破壊力をも消尽しうるのだとしたら?

診断

 あらためて鑑賞者に問おう。都市計画のひずみが押し寄せた代々木の地に降り立ち、2階を1階に取り違えさせるような奇妙な構造をもつ建物の一室で、あなたは何を信じ、何を退けるだろうか。輪廻を体験させるセラピーは現実のあなたの身体を変容させただろうか。セラピーをただのアートととらえ、鑑賞者という穏当な立場から「距離をもって」批評できるなどと本当にお考えだろうか。「運命」を教えてくれるような特別な啓示はあなただけに向けられたものか。タロットはどこまで未来を知るのか、そもそもタロットカードの正位置を正位置と決定する基盤自体が歪んでいるのではないか。カードはあなたみずからが引いたのか、それともつかまされたのか。逆位置のリスクを採用するか、リスクを引き受けさせる誘導や外圧をまず疑うのか。

 窓の外の空が明滅する。少しのディレイをはさみ、人工とも本物ともつかない雷鳴が轟く。

*1──ヴァルター・ベンヤミン『この道、一方通行』細見和之訳、みすず書房、2014年、146、148頁。
*2──ジョルジヨ・デ・キリコ『キリコ回想録』笹本孝、佐々木菫訳、立風書房、1980年、9頁。
*3──「塔」のカードには複数の意味がある。中島はアレハンドロ・ホドロフスキーの著作を参照項にしているが、ごく基本的な意味合いをたどりたいのであれば、概要はWikipediaでも確認できる。
*4──なぜTOHは中2階にあるのに部屋番号が「1B」なのか(ちなみに同フロアの他室もほぼ2階の位置にあるにもかかわらず、部屋番号は「101、102…」など1階扱いの割り振りとなっている)。TOHが入居する第一シルバービルは複合的な建物構造で、代々木駅東口側の表口に居酒屋を有するほか、裏手にオフィスや寿司屋が入居した6階建のビルを併設している。おそらく、表口側と裏口側で敷地が微妙な傾斜地となっているために階数の奇妙なズレが発生したと推測される。
*5──落雷でキノコが豊作になる説の科学的検証については以下の記事「落雷でキノコの収穫量が増加」も参考になる。キノコは本物の雷でなく同等の電気的刺激でもよく育つとのこと。また、サウンド・インスタレーション《塔のセラピー》の効果音は基本的に中島が会場近隣やTOHで録音したものが使用されている(階段を上る音、踏切の音など)。そのなかで唯一、人工的に複数の音源を組み合わせてつくったのが雷鳴である。この自然音/人工音の違いもまた、本作を読み解くポイントとなっているように思われる。
*6──代々木駅近辺の有名な2つの「開かずの踏切」問題についてはメディアもたびたび言及している(「代々木駅そばに2つの『開かずの踏切』 相鉄乗り入れで深刻に」)。ちなみに筆者がTOHの窓から確認したかぎりでは、踏切は「開かず」というほどもなく通常運転していた。
*7──「山手線の運転手にとって新宿駅から代々木駅への進入は、ホームに入ってからもカーブがあり見通しが悪く、アップダウンもあるためブレーキのタイミングが計りづらい、山手線随一の難所と言われている」(Wikipedia「代々木駅」の項目より)。           
*8──代々木駅構内の段差については以下の記事を参照。「【山手線の魅力を探る・代々木駅 2】レトロ感が漂い、地形ゆえの特徴も。駅構内で見られる「建築」としての魅力

編集部

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