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描く、書く、掻く、欠く、画く──ドローイングの拡張から見出されるもの。檜山真有評 鈴木ヒラク+大原大次郎発案「ドローイング・オーケストラ」

アーティスト鈴木ヒラクと、デザイナー大原大次郎の発案によるプロジェクト「ドローイング・オーケストラ」。異なる背景を持つ8名のアーティストが集まり、線を「かく(描く/書く/掻く/⽋く/画く)」という⾏為を通して協働の空間を切り拓く、広義での「ドローイング」セッションだ。この試みから見出されるものとはなにか? キュレーターの檜山真有がレビューする。

文=檜山真有

2021年3月12日TERRADA ART COMPLEX IIにて行われたDrawing Orchestra featuring Abdelkader Benchammaのライブ風景より 撮影=菊池良助

Fictional pause

2021年3月12日TERRADA ART COMPLEX IIにて行われたDrawing Orchestra featuring Abdelkader BenchammaのYouTube配信録画

 物語というのは、ある時間からある時間までの圧縮である。2時間の映画において一人の人生や長い旅路が描くことができるのは、その全体で起こっていることを削り取るのではなく、圧縮しているからだ。あらかじめ決められた時間のなかでなにかを圧縮したり、なにかを引き延ばすことで、そこに示される現実によく似たもののなかのなにかしらが増幅されるのが現実と物語の決定的な違いであり、このことを視覚的な比喩するものの一つがレコードである。

 私たちにかろうじて馴染みがあるレコードのサイズは、12インチ、10インチ、7インチの3つである。LP盤、シングル盤、EP盤など音質によってサイズが同じものでも収録できる曲数が異なるメディアで、同じ12インチでもA面・B面に一曲ずつしか収録できないシングル盤と、片面30分ずつ収録できるLP盤などは見た目に大差がない。あるいは、12インチシングル盤もあれば、7インチシングル盤もあり、再生速度であるrpm(Round Per Minutes)がそれぞれ異なる。レコードは引っ掻いた溝に含まれる情報を針が震えとして読み込み、音は増幅して再生される。つまり、盤の大きさが同じであるにもかかわらず収録できる曲数が異なることや、盤の大きさが異なるのにもかかわらず収録できる曲数が同じなのは、盤面に引っ掻かれている情報をいかに圧縮しているかという点に操作があるからだ。そのため12インチを45rpmで再生したり、7インチを33rpmで再生したりすると、時間が引き伸ばされたり、逆により圧縮された時間として私たちの耳に届く。自らの手でレコードに刻まれた時間を操作することで、圧縮されている情報を様々なかたちに変えるスクラッチは、盤を自らの手で回転する方向とは逆方向に回転させたり、こするように回転方向と逆方向に往復させることで音を歪ませたりと、本来の音とは異なる音色やメロディーをつくり出す。このことにより、音楽は盤に刻まれた定められた時間を歪め、新たな時間へ飛び出してゆき、べつのフィクションを私たちに聴かせるのだ。

 アーティストの鈴木ヒラクとデザイナーの大原大次郎を中心にはじめられた「ドローイング・オーケストラ」は、2020年東京都現代美術館で第一回目のセッション(*1)が行われた。様々なジャンルで活動する「かき手」(*2)が書画カメラの真下でそれぞれのドローイングを展開し、それが大きなスクリーンに投影される。ここで彼らが行っているのは、線を引く行為としてのドローイングというよりもドローイングの意味をより抽象的にとらえたドローイングである。ドローイング・マスターである鈴木が、それぞれのかき手のカメラをどのようにスクリーンに映すかを操作する。つまり彼はコンダクターであり、コンサートマスターでもある。しかしながら、あらかじめ決められていることはおそらくほとんどなさそうな即興的なセッションのなかに流れる緊張感は、オーケストラよりサイファーやフリースタイルラップバトルのほうが近しい。

 これまで干渉する余地がなかったであろう様々な領域から集められた「かき手」たちがお互いを探り合うような張り詰めた空気や、いつ彼らがかくという行為を飛び抜けてべつの行為へ転じていくかを見張る鈴木の視線などにより、会場のオーディエンスを含めて私たちは作品として一体となる。そこでドローイングが拡張される瞬間を見るとき、どのような拡張としてとらえることができるのだろうか。一つはかき手たちによるドローイングの拡張というものがある。ドローイングというものは線画であり、これまで作品というよりも作品たらしめる構想段階に描かれる下絵的な位置付けがなされていた。しかしながら、本セッションでは詩人のカニエ・ナハによる言葉を細切れにし、それを書画カメラに向けて落とすオートマティズムや、アーティストの村田峰紀が壇上に上がりパフォーマンスを展開するなど、必ずしも線画だけではないドローイングに端を喫する拡張表現が試みられていた。彼らはこれらによってなにを描くのか。

2020年2月2日東京都現代美術館にて行われた第1回目Drawing Orchestraのライブ風景より(村田峰紀によるパフォーマンス) 撮影=新井嘉宏

 ゲーテは、ドローイングの主な性質として「①偶発性を帯びたスケッチ(the occasional sketch)」「②研究の準備体操(the preparatory study)」「③芸術性を持つ完璧なドローイング(the definitive drawing of finished artistry)」、つまりドローイングそのものが目的であるものの3点を挙げた。例えば、絵画のみならず彫刻や建築、どのようなヴィジュアルアートにおいても自分が扱いたいメディウムを扱う前に構想や設計図などの青写真を用意するのはなんら不思議ではないし、そのときに偶然現れるものがべつのなにかへ導くこともままある。ドローイング・オーケストラで鈴木がかき手に期待していたこととは、上記の3点がすべて現れる瞬間の創出と、誰も知ることのない次の瞬間をともにかくことにあったのではなかろうか。だからこそ彼らの試みはドローイング以外のなにかに転じたというのではなく、ドローイングの拡張なのである。

 ではいっぽうで、観客であった私たちはどこにドローイングの拡張を見出すのか。私たちが明らかにこれまでとのドローイングとは異なるものを観ているのは、彼らが行うドローイングの速度にある。2時間で個々人が展開するドローイングと、その集まりによって完成した一つのドローイングという時間。それはそれぞれのメロディーが遅れあいながら、せめぎあい、ときに離れながら、しかし、最後には一つの場所へ収斂されゆく楽曲のようである。一人ひとりが行うドローイングの所作もときに独立したり、ときに全体が調和したり…… 様々な速度が一堂に会する。人がかく線は筆記具を持つ手に対して導かれるか、逆に手が線に導かれるかのリニアな一方向にしか進むことができない。それと同様に、物語もどのようなものであれ終わりに向かってリニアに進むだけである。しかし、物語もドローイングも幾人もの輻輳と多層性によって複雑なかたちになってゆく。複雑に入り組んだものが現実でまさしく立ち起こる過程を追うことがときに難しくなる。それを何度もまったく同じかたちで追体験できる保証がされているものが物語であり、追体験の保証がないものが現実であり──ライブなのだ。

 書家の石川九楊は、ドローイングに「ちぐはぐなところのおもしろさ、失速してしまったおもしろさ」(*3)を見出すが、ドローイングの拡張と輻輳、あるいは各人の失速を生でまなざすことができるライブだからこそ石川の見出したドローイングのおもしろさは顕著に見ることができる。

2020年2月2日東京都現代美術館にて行われた第1回目Drawing Orchestraのダイジェスト

 2021年3月12日に寺田倉庫で行われたドローイング・オーケストラの2回目となるセッションは、以前のメンバーと若干の入れ替え(*4)があるものの、基本的には様々な領域から「かく」ことに関心を寄せて活動する「かき手」たちが集められた。以前と異なる点はフランスのアーティストであるアブデルカデール・ベンチャマの遠隔での参加だ。新型コロナウイルスの世界的流行により、来日が叶わなかったためフランスからカメラを用いてセッションに参加した。かき手たちの目に見えない空気感や関係性の調整は難しくなるものの、テクノロジーを用いれば、生成されゆくドローイングそのものに空間や時間の距離などは関係ないのかもしれない。

 YouTube配信によって行われた本セッションは、鑑賞者が一つの画面で見ることを念頭に十分な配慮がなされたもので、前回の東京都現代美術館で行われたライブ的な空気感とは異なり、まさしく一本の映画を観るようなものだった。緻密な打ち合わせにより本セッションが行われていることは想像に難くなく、それゆえに前回から進化していると言いたいのではなく、ドローイング・オーケストラの様々な可能性の一つの側面を私たちは本セッションで目撃しているのである。

 本セッションを貫く特質は、ところどころにメッセージが込められていることだ。メッセージというものは、まさしく意味が共有されている文字による言葉のことだ。「Remember yesterday 3.11」から始まり、フランスにいるベンチャマへの挨拶が最初にかかれる本セッションは、かき手の紹介(こちらも手書きの名札が画面に挿入されていた)に始まり、それぞれのドローイングを展開する。白黒の反転した画面により、それぞれがどのような筆記具、かくものを用いているのかは、ときたま写されるかき手の姿や、かくときに増幅されるかかれるものとかくものの接地の音でしか断片的にしか特定することができない。つまり、以前にも増して様々なかき手が集められているのにもかかわらず、なにでかかれているかという情報については一元化されている。おそらく、意図的になされているその仕掛けで彼らはなにをキャンセルしようとしているのだろうか。そのことが分かるのには、NAZEの乱入とも呼べる参加を待たなくてはならない。

2021年3月12日TERRADA ART COMPLEX IIにて行われたDrawing Orchestra featuring Abdelkader Benchammaのライブ風景より(NAZEの参加シーン) 撮影=菊池良助

 グラフィティアートを出自に持つNAZEは、ローマ字のメッセージとイラストレーションを組み合わせたスタイルで知られており、本セッションにおいてもこのスタイルが選ばれた。レイヤーが駆使され、NAZEとほかのかき手とのコラボレーションが一画面で続々と展開されるとき、ドローイングがメッセージより圧倒的な速さを持つことを知る。メッセージ(具象)とドローイング(抽象)の速さの違いを際立たせるためにかくもののの筆致がキャンセルされているのだ。かく度に増幅して鳴る音もその違いと速さを示す。

 ベンチャマと鈴木の文字での往来やNAZEの参加により、ドローイングはますます拡張していく。一定に共有されている開かれた意味を、「私」のものとして一度取り戻し、再度吐き出す行為としてのドローイング。鈴木やNAZEといったストリートからかくことを学んだ彼らにとって、わたくしによる公の奪還を目指す外に開かれたドローイングという、もともと内向きなものとして存在していたドローイングとは真逆のプロセスとなることはごく自然な手つきなのだ(それゆえ、NAZEのメッセージは彼のアーティストネームも含めて街において不可思議な存在を果たす。筆者はかつてNAZEが街にグラフィティをかいていた地域に住んでおり、NAZEのグラフィティは筆者の通っていた中学校で小さな都市伝説となった。「NAZEって何?」)。

 メッセージの遅さが強調するのはドローイングの速さだけではない。彼らがどのようなテンション(力)でかいているかや、それぞれのリズムがあることに気づくのだ。彼らが引く一本の線や、接地する一点の手癖による独特のリズムは彼らの身体から生み出される情報であり、ドローイングはかき手の身体が持つ情報の圧縮も引き伸ばしも可能な軌跡ともいえる。かく手のリズムによって彼らのかくべき・進むべき道が決められ、その震えや揺らぎのなかに彼らの物語を見るのである。 

書における一本の線は、実際には文字の一画です。一画一画を書き連ねて文字にして、その文字が寄せ集まって、文章になるという構造がある。画のなかに込められた膨大な表現の質量が文字すなわち言葉を作っていっている。(*5)
Drawing Orchestra featuring Abdelkader Benchammaのメイキング

 本セッションの最後は、ついぞ会うことのなかったベンチャマとドローイングではなくメッセージでコミュニケーションを図るかき手たちのメッセージのテンションを垣間見る。彼らがドローイングをかくときよりも遅いメッセージをそれまでセッションが行われていた画面でかくとき、彼らが紡いでいた物語は新たな時間へ飛び出してゆき、彼らにとってまたべつの物語への萌芽になる現実に着地するのだ。

*1──2020年2月2日、東京都現代美術館講堂にて「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」の関連イベントとして開催。鈴木ヒラク、大原大次郎、カニエ・ナハ、西野壮平、ハラサオリ、村田峰紀、やんツー、BIENがかき手として参加した。撮影は鈴木余位、音響設計はWHITELIGHT、映像技術協力に岸本智也。
*2──「かき手」には、線を「かく(描く/書く/掻く/欠く/画く)」という意味が含まれている。
*3──「対談 石川九楊×鈴木ヒラク 文字の起源」『ことばの生まれる場所 ヒックリコガックリコ』(アーツ前橋・前橋文学館共同企画展のコンセプトブック、左右社、2017)16頁 
*4──2021年3月12日、TERRADA ART COMPLEX Ⅱ 4Fにて鈴木ヒラク、大原大次郎、アブデルカデール・ベンチャマ、華雪、中山晃子、西野壮平、村田峰紀、やんツー、NAZE(スペシャルゲスト)がかき手として参加した。映像技術は岸本智也、音響は葛西敏彦。
*5──前掲書、12頁

編集部

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