沈黙としての風
音は暗に誰かと一緒にいる感覚を与える ──アラン・リクト(*1)
サウンドアート史において必ずといっていいほど挙げられるのが、ジョン・ケージが1952年に発表した《4分33秒》だろう。ケージは演奏が行われていない状況をつくり、観客に環境音に耳を澄ますよう促した。それは決して沈黙ではないのだと。アーツ前橋で開催された展覧会「聴く─共鳴する世界」は、ケージのアイデアを社会的なものへと拡張する。つまり本展を通して観客が耳を傾けることになるのは、公的に声を発する手段を持たない、あるいは発言権を奪われた人々が発する「沈黙」である。
まず本展に至るまでに同時開催されているのが、収蔵品を中心にした「場所の記憶 想起する力」展だ。1階では水谷俊博建築設計事務所が提出したアーツ前橋の改築プランとともに、木暮伸也らが風景をとらえた作品が展示される。階段を下りると、焼け野原になった市街を描いた小見辰男「前橋戦災スケッチ」(1945)や「前橋空襲の記憶:あたご歴史資料館と上州文化ラボの活動から見えてくる戦前と空襲後の前橋」と題された歴史資料が並び、前橋と関わりがある白川昌生や金子英彦らの作品が続く。
東日本大震災直後に行われた群馬交響楽団の演奏会での黙祷を収めた照屋勇賢の《静のアリア》(2013)が常設されていることの意義は、10年後となる現在において改めて重く感じられた。イルワン・アーメット&ティタ・サリナの映像作品《苦痛への信仰》(2019)にも追悼としての役割を見ることができるだろう。ふたりは精神障害を持つインドシナ難民のための受け入れ施設「フランシスコの町 あかつきの村」を取材し、焼身自殺に至った入居者が壁に残した単語の羅列に、文字通り光を当ててみせる。
「聴く─共鳴する世界」展は、これらの展示と相互に反響するよう、ほとんど地続きに構成されている。野村誠作品は、参加者が持ち寄った楽器で絵画に音楽をつける、2013年に同館で行われたワークショップをもとにしたものだ。スン・テウもまた、市内在住のべトナム人学生らと制作した歌「More than day (1日よりも長く)」を毎日16時に市内12ヶ所で流す。小森はるか+瀬尾夏美の展示は新作《飛来の眼には》(2020)を中心に、震災後から10年という月日と、東北で出会った人々や風景の変化に目を向けた。アンジェリカ・メシティ《母国語》(2017)はデンマークの都市オーフスを舞台に、多様な文化に由来する声や音楽が響きわたる様子をとらえる。
ニューヨークのコミュニティ・ガーデンに注目した恩田晃のプロジェクトも興味深い。1970年代、ニューヨーク市の深刻な不況を背景に、住民や活動家たちは放置されていた土地でガーデニングを始めた。1990年代以降に市の介入により危機に瀕するが、市民や慈善団体、自然保護団体による抗議活動や交渉の結果、現在でも住民の自主的な運営によってその姿を残している。恩田はロックダウンのなか、それぞれのガーデンでのレコーディングとその来歴をたどるリサーチを始める。本展はWEB(listening.artsmaebashi.jp)上でプロジェクトを公開しており、本作も視聴/閲覧することができる。
ワン・ホンカイ《ボロム(風)》(2020)は本展に奥行を与えている。台湾出身のホンカイは、留学生としてニューヨークに移住した際の、馴染みない言語圏における社会的な疎外の経験をきっかけに、移民や労働者など社会的に声を発することが難しい人々と「聴取」を巡る作品を発表してきた(*2)。本展示で起点となるのは、四・三事件の只中に韓国・済州島から日本へと逃亡した金時鐘(キム・シジョン)である。ホンカイは風が強いことで知られる済州島で録音したサウンド・インスタレーションと、金へのインタビューなどを収録したガイド冊子による6部構成の演目をつくり上げた。
済州島は15世紀初頭までは独立した王国だったことで知られる、大阪ほどの大きさの火山島だ。第2次世界大戦による日本の敗戦により占領から解放された朝鮮は、冷戦を背景に南北に分断されていく。こうしたなか、1948年4月3日、済州島で武装自衛隊の蜂起が起きる。アメリカ軍政を背景にした韓国当局は政府軍・警察による大粛清をおこない、当時おおよそ30万人いた島民のうち数万人が虐殺された。その後韓国が民主化する1990年代半ばまで、済州島四・三事件を語ることはタブー視されることとなる。
《ボロム(風)》の地図には本作の録音地点、済州島の特色である玄武岩の分布、金時鐘の脱出ルート、密航船を運んだ海流、渦巻く風向きがダイアグラム化されている。そこにホンカイも参加した、第7回アジア・アートビエンナーレ(国立台湾美術館、2019)の思考が引き継がれていることを確認できるだろう。キュレーターを務めたアーティストの許家維(シュウ・ジャウェイ)とホー・ツーニェンは、折口信夫の「稀人(まれびと)」という概念を軸に東アジアの脱植民地化について再考するため「人類世」の議論を導入し、「雲」と「鉱物」を対比させていた(*3)。
金時鐘とはどのような人物なのだろうか。1929年に朝鮮の元山に生まれ、少年時代を済州島で過ごした。日本の植民地支配下で朝鮮語が追いやられ創氏改名が進められるなか、あろうことか国語(日本語)で秀でた成績を収める少年に育つ。16歳で日本の敗戦を迎えても、歌を口ずさもうとすれば日本の童話と軍歌ばかりが出てきたと回顧している。唯一記憶に残っていた朝鮮の歌が、かつて岩場で釣りをしていた父親が歌う「クレメンタインの歌」であったという。本作の最終章には、金が歌うその楽曲が挿入されている。
光州と済州島を行き来しながら韓国語を学び農民工作文化運動に参加した金は、朝鮮語での表現活動を始め、済州島での最極左としての活動に入っていく。そして済州島四・三事件が起きる。本作での金へのインタビューは、その惨劇と済州島の風土、死と隣り合わせであった逃避行を克明に伝える。日本では日本語での詩作を行うとともに日本共産党や地下組織での活動に参加し、その後は朝鮮学校や文学学校での教師をしながら表現活動を続け、詩人・思想家として知られることとなる。
本作では説明されていないが、金時鐘は金大中が大統領に就任する1998年までのおよそ50年のあいだ、済州島とのかかわりについて公的に言及してこなかった。日本に渡った理由は「よんどころない事情」であるとされ、年譜上でこれらの期間は空白となっていた。しかし済州島の風は詩のなかに吹き続ける。民主化運動への武装弾圧である1980年の光州事件を扱った詩集『光州詩片』(1983)のいたるところに登場する風について、細見和之は次のように書いている。「このような風はたんに虚無の象徴ではない。(中略)生けるものと死せるもの、血塗られた出来事と褪せてゆく記憶、それらを絶え間なく出会わせる、かけがえのない目撃者であり証言者なのだ」(*4)。
ホンカイが観客に聴取するよう促すのは、まさしく金時鐘が「沈黙」を託した風である。玄武岩という目撃者がその窪みによって発する音。シャーマン/霊能者もまた、生けるものを呼び起こすヨンドゥン・ハルマン(風の女神)を召喚する存在である。ホンカイは済州島に住むパレスチナ難民やイエメン難民の声にも耳を傾け、入れ子のようなねじれをも用意した。
音=空気の振動ではなく、場所の境界と歴史的な事象を通り抜けながら、声なき人々の記憶と存在を伝える風=空気の流れを傾聴すること。その態度は、本展が芸術に与えた位置付けとラディカルに共鳴している。過去のレジデンスやワークショップ、収蔵品と反響し合うことで浮かびあがる「聴く-共鳴する世界」におけるアーティストたちの試みは、「沈黙」を伝える、社会の触媒として機能しているように思われた。
※筆者注:本稿の準備中に、アーツ前橋の作品紛失に関する調査報告書が公開され、住友文彦館長が紛失について謝罪したうえで、調査の一部内容を否定する会見を行った。その後、同館は4月1日付で「再発防止と信頼回復に向けて」とする文章を発表している。引き続き事態について注視するとともに、本レビューについては予定通り公開する。現代美術の動向と周辺地域の双方に目を向ける同館の活動が、今後よりよいかたちで継続することを願いたい。
*1──アラン・リクト『サウンドアート ──音楽の向こう側、耳と目の間』荏開津広、西原尚訳、木幡和枝監訳、フィルムアート、2010年、21頁。
*2──Lauren O’Neill-Butler “Hong-Kai Wang discusses her recent sound works,” Artforum, August 06, 2013, URL: www.artforum.com/interviews/hong-kai-wang-discusses-her-recent-sound-works-42189(閲覧日2021年3月18日)。《ボロム(風)》はWEB上でも公開されている(listening.artsmaebashi.jp/exhibit/wang)。また執筆にあたり本作の制作コーディネーターを務めた、キュレーター/研究者の権祥海(ゴン・サンへ)氏との対話に示唆を受けた。
*3──Hsu Chia-Wei and Ho Tzu-Nyen “Statement: The Strangers from beyond the Mountain and the Sea,” 2019 Asian Art Biennial:
www.asianartbiennial.org/2019/content/EN/concept.aspx(閲覧日2021年3月18日)
*4──細見和之『アイデンティティ/他者性』岩波書店、1999年、96頁。金時鐘についてはこれに加え、細見和之『ディアスポラを生きる詩人 金時鐘』(岩波書店、2011)、金時鐘『「在日」のはざまで』(平凡社、2001)、金時鐘『金時鐘詩集選 境界の詩』(藤原書店、2005)を参照した。金石範・金時鐘『増補 なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか 済州島四・三事件の記憶と文学』(文京洙編、平凡社、2015)に収録された、2001年発表の対談では、沈黙を破った直後の溢れるような証言を読むことができる。